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その7 この世からあの世へ渡るとき

 挿絵(By みてみん)



 知り合いから聞いた、ある貞淑なお婆ちゃんの話。

 遊び人でワンマンなおじいちゃんに羊のように仕えて耐えたおばあちゃん。心臓の病に倒れて、いよいよ病院で最後の時を迎えた。

 目を閉じたまま、もはや反応もないおばあちゃんのベッドを、家族が囲む。横暴だったおじいちゃんが、涙で語りかけた。

「お前、頼む、先に行かないでくれ。今まですまなかった。こちらを見て、何か言っておくれ」

 するとおばあちゃん、くわっと目を開けたと思うと


「あっちへ行けこのくそじじい!」


 そう怒鳴ってこと切れたそうだ。

 おじいちゃんのご心境を思うと、言葉もない。

 にしても、人というのはこのように、最後の最後に身近なものに本音を吐き出して逝くのだとしたら、おちおち大事な人の前では死ねないではないか。

 心を尽くして看病してくれた人に向かって罵詈雑言喚き散らしたり、お前となんか結婚するんじゃなかったなどと配偶者を罵倒したり、こんなできの悪い子供は欲しくなかったとか怒鳴り散らして、最後の最後にああ死んでくれてよかったと周り中に思われて死を迎えたら……

 いやその分、悲しまずに済むのだから残されたほうは気が楽かもしれない。


 今回は、まさに、この世からあの世へ渡るとき、人は何を見て何を残そうとするのか、それは愛か憎しみか、どんな形で残すのか、そんなところを、体験や伝聞を交えて語っていきたいと思う。


 人はあの世へ行くとき、何も持っていくことはできない、とよく言われる。貯めた財も名誉も地位も、なにもかもおいていかねばならない。持っていけるのは魂ひとつ。

 そもそも、もっていけるあの世とやらが本当にあるとしたらの話だけれど。

 ではあの世があるとして、魂ひとつが持ち物だとして、生前のままの魂を保っていられるのだろうか。

 優しい人は優しい魂を、荒ぶる人は荒ぶる魂をそのままに持っていけるのだろうか。

 わたしがこのことを気にするのは、今年の一月に亡くなった叔母の、四歳のときの逸話が忘れられないからだ。

 最初にこれを聞いたのは、母からだった。何の拍子でその話が出たのか忘れたが、とにかく、母にとっての祖母、わたしにとっての曾祖母がなくなったときのエピソードだ。


 曾祖母は叔母をそれは可愛がっていたという。孫の中で一番のお気に入りだった。叔母も、やさしいおばあちゃんが大好きだった。だから葬儀の日、ショックを受けるであろうことを考え、あえて親は棺の中のおばあちゃんを見せることはしなかったという。ただ、もう会えなくなるのだということを、みなで漠然と説明だけしたそうだ。

 葬儀を済ませて帰宅して、三、四日たったころの夜半。

 眠っていた叔母が、突然、叫び声をあげて飛び起きたというのだ。そして布団を飛び出し、悲鳴を上げながらやみくもに走り回り始めた。

 周りの姉妹たちが驚いて見守る中、父親が飛び込んできた。

「どうした!」

 幼い叔母は、土間の上がりがまちのほうを指さして叫んだ。

「おばあちゃんがいる、そこにいる!こっちに上がってくる!」

 灯りをつけても、もちろん誰の目にもそんなものは見えない。けれど叔母は叫び続けた。

「いる、いる、長い爪を伸ばして、長い髪で、白い服で、捕まえに来る!」

 パニック状態でわんわん泣く娘を、母親は抱きしめ、父親は叫んだ。

「早よう、早よう、仏壇のない部屋に連れて行くんじゃ!」

 姉妹が寝ていた部屋には大きなお仏壇があった。まず仏壇の扉を閉め、みなで叔母を隣の部屋に押し込め、布団をかぶせて、祈り続けたという。

 どうか連れて行かないで、I子をつれていかないでください。おばあちゃん、おばあちゃん、どうか思いとどまってください、と。

 のちに聞いたところ、叔母はこのことを覚えているという。白い服、短刀、草履をはいて、げっそり痩せて髪はざんばらで、目をかっと見開いて、それはそれは恐ろしい姿だったと。

 その様子はまさに、棺の中に入れたときの旅装束そのものだったと、母は言う。

 それにしても。

 どうして愛する孫の前で、おばあちゃんはそのような恐ろしげな様子だったのだろう。

 優しく微笑み、別れを告げる、それではだめだったのだろうか。

 死して菩薩のように静かになるか、蛇のように禍々しくなるか、それは自分では選べないのだろうか。それとも、幼い心に棲む、死、または死者への恐怖が見せた妄想なのだろうか。

 どちらにしろこの一件で、叔母にとってのやさしいおばあちゃんのイメージは木端微塵になったのである。


 次に紹介するのは、静かなほうのエピソードだ。

 わたしは大学時代、バイトであちこちの漫画家さんのアシスタントをしていた。女性漫画家というのは往々にしてこの手の逸話を持っている人が多い。中でも、SFファンタジーを得意とするW・Mさんは実に異次元の話題の豊富な人だった。

 これはそのWさんの叔母がなくなったときの話だ。

 葬儀はWさんの家で行われた。Wさんはその時まだ幼く、来客の対応で大人がバタバタしている間、二階で横になってひとりうつらうつらしていたという。

 すると、すっと足元のふすまが開いて、誰かが部屋に入って来た。

 薄目を開けてみると、西日のななめにさす中にふわりと立っているのは、亡くなった叔母さんその人だった。

 叔母さんは、髪をアップにして、緑色の着物を着て、俯き加減に近づいてくると、一言

「コロッケが食べたい」

 そう呟いて、すっと消えたという。

 Wさんは大慌てで階下に駆け下りて、来客用の料理をしている母親に、見たまんまを告げた。

 周りの人は仰天した。叔母さんは棺の中で、お気に入りの緑の着物を着ていたのだ。そして息を引き取るその時まで、「コロッケが食べたい、食べたい」と言い続けていたという。もちろんどちらも、Wさんのあずかり知らぬことだった。

 そこでお母さんは急きょコロッケを揚げて、叔母さんの棺の中に入れてあげたという。

 これなどは、切なる、そして静かな願いがちゃんと届いて叶えられた、幸運な例である。


 死んだ人がこの世に未練を残して現れたとき、見える人と見えない人がいる。

 最初の話ではおばあちゃんは孫の中でも叔母だけに見え、次の話では叔母さんは姪であるWさんにだけ姿を現した。

 必ずしも、関係性の深さで「見える人」が選ばれているのではないようだ。では、見える人と見えない人の差はなんなのだろう。

 本人の特性の差もあるのだろうか?

 そうじゃないかと思える例を次に挙げてみよう。高機能自閉症―アスペルガーとしての立場から数々の名作を生み出してきた女流作家、ドナ・ウイリアムズの「自閉症だった私へ」の中のエピソードだ。

 彼女は小学生のころしばしば、「そこにいない人」の姿を見たという。それが生者でも死者でも同じだった。普段ぼんやりしていると、中空に、友だちや家族の姿が浮かぶ。ケンカしていたり買い物をしていたり、デートしていたり。服装も会話も鮮明で、蜃気楼のように眼前にイメージが浮かぶのだそうだ。不思議に思い、あとでその友だちにその話をすると、言い当てられた向こうは、「どうして知ってるの。うちを覗きにきたの?」と気味悪がったという。

 あるとき、ドナは友だちと公園で遊んでいた。すると、離れた場所に、おじいさんが立ってこちらをじっと見ている。視線が合うと手を振ってくる。知らない顔なので、ドナはその友達に聞いてみた。

「あそこのおじいさん、知り合い?」

「どこのおじいさん?」

「あそこに立って手を振ってる」

「誰もいないよ」

 そこでドナはおじいさんの服装を説明した。こういう帽子をかぶってこういう色のチョッキを着てどんな顔つきで……

 すると友達は驚いて

「それ、わたしのおじいちゃんにそっくり。でも、ずいぶん離れたところに住んでいるのよ」

 振り向くとおじいさんはもういなかった。

 いやな予感がして駆け戻った友だちは、家で、そのおじいちゃんの死の知らせを聞くことになる。

 このおじいちゃんは、さぞ孫娘に見つけてほしかったことだろう。だが、孫には見えないのに、ドナには見えていた。

 そしてそのドナは、生者であっても、そこにいない人の姿を透視することができたのだ。

 これを信じるならば、ある種の人々には、望むと望まないとにかかわらず、「そこにいない者の姿を見る」能力が先天的に備わっている、ということになる。

 実際、アスペルガーに属する人たちには、こういう体験が多いようだ。

 音が蝶になって見えたり、綺麗なボールになって跳ねまわったりする。聴覚と視覚が地続きになっている感覚だろうか。音に色があり、言葉に姿がある。アルファベットを見ると色が浮かんだり、色を見ると音が聞こえたり、音が色彩に変換されたりする。網膜を通さずモノを脳でキャッチするという才能といっていいかもしれない。ならば、魂などという存在の濃そうなものがアンテナに引っかかり再現されても、それ自体はおかしくないような気もする。

 だが、三次元で存在していないものが、形として人の脳内で再現される場合、受け手の感性のフィルターを必ず通すことになる。ならば、再生機やスクリーンの個性や出来は必ず影響してくるだろう。

 もしあの世というものがあり、わずかな時間、そこに行こうかここにいようか迷っている魂が、親しい人や能力のある人の前に姿を現そうとうろうろしているとしたら、何とか複数の人にリアルタイムで同じ姿を見せることはできないものか。

 あらかじめ「この時間にここらあたりに来ますので頑張って見てください」と予告でもしてくれたら、複数で確認することもできるのに。


 実際、それを試みた人もいたのだ。

 今から五十年ほど前のことである。


 大高 (こう)という医学博士で、ご自分が実際に幽霊を見たという体験から、その存在を実証しようと、ある知り合いの老女と契約を結んだ。

 その老女もまた墓場で人魂がさまよう様子を見てから、あの世の存在を信じるようになっていた。学生時代から下宿の世話等で大高氏を知っており、成績優秀な彼の人柄を信用しての契約だった。

 老女は契約にあたり、誓文まで書いている。

 自分は霊魂の存在を信じている。あの世へ行ったなら必ず興さんの実験に感応し、霊魂の存在を実証する。もしこの実験により証明がされなかったら、霊魂はこの世に存在しないものであることを確信してもよろしい、と。

 やりかたはこうだ。場所は老女の弘前市の徳増寺の墓前。日は、死後四十九日目の昼夜二回。

 写真に写り、化学天秤(百分の一ミリグラムまではかれるという)に乗り、筆で何か書く。

 さて、その老女は七十九歳にして、脳出血で亡くなった。

 大高氏は葬儀の際、老女が約束を忘れぬよう、小さな手紙を骨壺に入れてもらったという。

「お婆さん、四十九日には必ず出てきてください。心からお待ち申しております。 大高 興」

 手紙にはそう書いた。

 そして四十九日目が来た。弘前は猛吹雪だった。

 大高氏はカメラを手に、徳増寺を訪れた。

 雪をかき分け、テントで墓を覆い、墓に向かって何枚もシャッターを切り、筆と紙を墓前に置き、化学天秤を用意して一日、待った。

 その結果はどうだったか。

 何も起きなかったのである。

 化学天秤は揺れず、写真には何も写らず、もちろん字も書かれなかったのだ。

 あれほど強く誓ったのに、実験に感応してみせると意気込んでいたのに、お婆さんは死んだ途端にすべてを忘れたか、あるいはこの世に感応するすべを持たなかったのだろうか。それとも、死んだらただの無しか待ってはいないのだろうか。

 現実派ならば、死んだらただの無、が一番近い結論だろう。

 だけれど、こうも考えられないだろうか。

 霊を見る人がしばしば感能力によって「選ばれる」ように、この世に影響を及ぼすほどの強い霊となる側もまた、「選ばれる」のだと。

 あるいは、この世とあの世の波長が何かの調子であったときだけ、位相のずれた場所にいるものの姿がこの世にあらわれる。それは死んだ者の自由にならないことであると。

 では、わたし自身は、霊魂という存在を信じているのかいないのか?

 実はこれもよくわからない。

 ただ、人の精神というものが、脳内物質の化学反応に過ぎない、とはとても思えないのだ。自分はなぜここにいて生きているのか、存在の理由は、などという思いや疑問が、ただの化学反応で生まれるものなのだろうか。

 完全なる無から、このような思いが生まれ、また完全なる無に帰するのだろうか。

 精神とは脳のからくりによる電気信号ではなく、やはり魂という別次元のものが存在するのではないのか?

 でなければ、人の命やこころの本来のふるさとはどこか、人間とは何か、という問題があまりに薄く簡単すぎるし、その簡単さがなんというか、切ないではないか。

 結局のところ、

「ほんとうのところは、何一つにんげんにはわかっていない」

「わからないことは、わからない、でいい。ただ、考える自由はある」

 というのが、わたしのスタンスなのである。


 では最後に、ちょいと後味の悪い話を一つ、置いていくことにする。


 祖母に追いかけられたあの叔母の話である。

 叔母は今年の一月、白血病で亡くなった。

 葬儀では、珍しいことに、遺族の希望を聞きながら化粧師が死に化粧を施す、という儀式があった。

 口紅を施す段になって、叔母の姉妹と娘さんとで、意見が分かれた。

 娘さんは明るく濃い朱色を望んだのだが、いざ塗ってみると、いささか派手だった。

 そこで叔母の姉妹二人が、もう少し色をおとなしめにして普段に近づけてほしいと申し出たのだ。

 結局口紅の色は薄いピンクに抑えられた。

 死に化粧を施された叔母の顔はとてもきれいで、気高いというか、頭を下げたくなるような気品さえ漂っていた。

 そしてその薄く塗られたピンクの口紅とそのスッキリとした唇の形が、なぜかいつまでもわたしの頭から離れなかった。

 その夜、寝ている間ずっと、左肩が痛んだ。

 なにか、大きな爪を誰かに食い込まされているような鋭い痛みなのだ。

 わたしはそのころ、寝ている間、背中に原因不明の傷ができていることが多く、これもその延長か、などと思っていた。

 そして朝、肩を見てみると……


 何とも表現しがたいものが左肩にできていた。


 まず、まさに「巨大な爪が食い込んだかのような傷」が肩に穿たれ、出血こそなかったが、それは「閉じた人の口」に見えた。

 そしてその上下に、細かく皺の酔ったピンク色の……

「唇そっくりの痣」ができていたのだ。

 あまりに異様なので、上から写真に撮ってみた。

 どう見ても、「ひとの唇」にしか見えない。

 夫に肩を見せたところ、驚愕して、「まるで人面瘡じゃないか」と言った。

 ひとのからだに、顔の形をしたできものができるという、あれである。

 唇の形は、一日でほとんど見えないぐらいになり、二日経つと幻のようにすっかり消えた。


 さて、この唇について何と考えよう。


 ここはひとつ、ロマンチックにいきたい。

 多少痛んだのはおいておくとして、最後の最後に美しい唇に見とれたわたしへの別れの挨拶として、叔母はそのキスマークを、左肩においていったのだと。


 さて、I叔母さんは、あのおばあちゃんと天国で、笑顔で再会できているだろうか。




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