その4 古き良き恐怖 人魂ばなし
火の玉教授と言われた大槻教授を、そういえばしばらく公の場で見ない。
髪の長い幽霊も銀色のUFOもミステリーサークルも全部「プラズマのしわざです」といいはなつセンセイの一途さは半端ではなかった。ある意味、土性骨が座っていたと言っていい。
それはともかく、二十年ほど前、大槻教授は火の玉発生装置を作り、公開実験を行ったのである。人魂だろうが火の玉だろうが自前で作れると。
わたしは大いに期待し、結果けっこう失望したものだった。
テレビで見たそれはほぼ瞬間芸で、ポンとはじけ出てからの持続時間が数秒ぐらいだったからである。
少なくともわたしがあちこちで聞いてきたそれとは全く様相が異なっていた。親しい人たちから聞いた人魂話は、持続時間も長くもっとこう有機的で、あたりの空気を変えるような存在感があったものだ。
一番印象深かったのは、中学一年の時、同級生の「ナカちゃん」が半べそで語ったものだ。
まず最初にその話から始めようと思う。
ナカちゃんは身長がクラス一番低いお笑い系の男子で、クラスの人気者だった。真面目くさった教師ほど標的にされ、語尾のいいよどみや表現のテキトーさなど、どうでもいい揚げ足をさっと捕まえては見事にひっくり返すのがうまかった。
夏休みの直前だったと思う。ある日、近来希に見る、といえるレベルの雷雨があった。ビルの避雷針のみならず、背の高い木や家庭のアンテナに落雷が相次いだ。
翌日、教室は雷の話で持ち切りだった。そこに、興奮状態のナカちゃんが飛び込んできたのだ。
ナカちゃんは開口一番、こう叫んだ。
「みんな聞けよ。おれんちにきのう人魂がはいってきたんだ。でっけえやつ」
「はいってきた?」
みなきょとんとしていた。見た、ではなく、来た、とはどういうことか。ナカちゃんはまじめな顔で続けた。
「すごい雷だったろ、おれ見物するためにわざと窓開けたんだ。そしたらぼうぼう燃えてる人魂がいきなり飛び込んできたんだ。ちょうどおれの顔ぐらいの大きさでさ。
びっくりして飛びのいたらそいつ、シューシューいいながらゴロンゴロン絨毯の上を転げ回って、白からだいだい色に色が変わってって、そんで窓からでてったんだ!」
皆一斉に爆笑した。あまりに素っ頓狂な話だったからだ。
ナカちゃんは笑わなかった。真っ赤な顔になって畳みかけたのだ。
「うそじゃねーよ、信じろよ! おれ出てった後しっかり窓閉めたんだ、そんで絨毯見たら人魂が通った通りに焦げてたんだからな!」
皆さらに笑った。そして口々にはやし立てた。
「人魂に目があんのか。なんで入ったところから出ていくんだよ」
「人魂ってのは燐が冷たく燃えてるんだから熱くないし焦げたりしないんだぞ」
「インチキインチキ」
「だまれっ、どうして誰も信じないんだよ!」
ナカちゃんは泣き出した。その様子に、笑っていた連中も少し戸惑い始めた。これは冗談ではなさそうだ。それで、ちょうど一時限目の科学の先生に聞いてみようということになった。科学担当のN先生は、大学出たてのクールなメガネ美女だった。
「質問があります!」
N先生が入ってきた途端にナカちゃんは勢い込んで手を上げた。
「どうしたのいきなり」
いつもとは様子の違う彼に、N先生は不審そうな様子だった。授業に関することでナカちゃんが真面目に質問などしたことなど一度もなかったのだ。
「授業の前に聞きたいんです。昨日おれんちに人魂が来たんです」
ナカちゃんは興奮状態で一気に語った。みなかたずをのんでN先生の言葉を待った。そうしたら、N先生は表情も変えず、クールにこう言った。
「ああ、珍しいものを見たわね。それはたぶん、球電現象ね」
「きゅ、きゅうでん?」
先生はチョークをもって黒板に「球電現象」と大書した。
「昨日のように激しい雷が鳴っているときにたまにみられる現象で、世界中で目撃されているものです。稲妻などの放電によって荷電粒子が集積して、それがボール状になって発光したものと言われているけど、詳しいところは不明。でも、ありえない話じゃないわ」
説明の半分以上は理解不能だった。クラスの連中は納得いかない様子で口々に質問した。
「でもゴロンゴロンとか窓から入ってそこから出て行くとか、へんじゃないですか?」
「生き物みたいだし」
N先生は落ち着いた様子で言った。
「いろんな動き方をするらしいわよ。転げまわるとかシューシュー音を立てて燃えるとか、ものにあたるとボールみたいに跳ね返るとか、狭いところから入ってきてそこから出て行くとか。
少なくとも、話を聞く限りでは、ナカちゃんの見たのはその仲間ね」
ナカちゃんは拳を振り上げてクラスの連中を振り返った。
「どうだ、聞いたか。おれはうそいったんじゃなかったろ。どうだどうだ!」
「えー……」
クラス中がどよめいた。その瞬間1年B組では、人魂が伝説でもインチキでもない、科学的根拠のある現実的な現象として認知されたのである。
そのときの紅潮した彼の顔を今も忘れられない。
さて、帰宅してこの話を母にしたところ、今度は母の顔色が変わった。いや、たとえではなく、本当に表情から丸ごと、変わったのだ。
「それ本当? ほんとうにほんとうなの?」
そのただならぬ様子に、今度はわたしのほうが不思議に思い、どうしたの、と尋ねると、母は放心したような様子で言った。
「ああ、よかった。よかった。長い間、誰にも言えなかった怖い記憶があるの。口に出しちゃいけないんだと思ってた。現実にあることなのね。よかった……」
そして母は訥々と自分の体験を語り始めたのだ。
聞いたところでは、母には二つの「人魂体験」があった。
ひとつめは、小学校四、五年のころのことだという。
母の出身地、岡山での出来事だ。
友だち二人と夕方遅くまで遊んだ帰り道、近道しようと、普段通らない道を通った。そこは肺病やみ(今でいう結核)の人がよくいく病院の裏手で、人けのない陰気な道だった。
怖さを紛らすようにおしゃべりしながら歩いていたら、いきなり頭上がパッと明るくなった。
三人で同時に上を見上げると、暗い空の下にぬっと立つ病棟の屋上のあたりが、光源のわからない灯りに煌煌と照らし出されていたという。
母の印象では「まるで突然現れた太陽のようだった」そうだ。
その光は頭上をゆっくり移動しながら病院の上層階を照らしだし、それにつれて病院の影が足元を移動した。と、光は突然音もなくすっと消え、周囲は元の暗闇に戻った。
「あれ、なに?」
友だちの言葉に、母ももう一人の子も何も答えられなかった。三人は暗闇の中をうつむいたまま、ただ黙り込んで家までの道を、ものすごい早足で歩き続けたという。
怖すぎて、再び顔を合わせても、二度とその話をすることはなかった。
もう一つは、母が祖母と二人、縁側に座ってスイカを食べていた時の話だ。やはり十歳前後のことだという。
突然、垣根のむこうから「バレーボールぐらいの」丸い光の玉が現れた。
それははじめ白色で、尾を引くようにしてゆっくり飛んでいた。そのうち黄色くなり、橙色になり赤くなり、庭を横切ると屋根のひさしの上でぱっとはじけるように消えた。
その間十五秒ぐらいという。
雨も降っていなければ雷も鳴っていない、静かな夜だった。
声も出せずに震えていると、祖母は口元に指を当てて低い声で言った。
「あれが人魂じゃ。どこかで誰か死んだんじゃな。ええか、誰にもこのことは言ったらいけんぞ」
「どうして」
「こういうふかいことは、口に出してにぎやかに騒いでいいことじゃないけえ」
そうして空に向かって手を合わせた。母も隣で手を合わせた。
その言葉通り、母はこのことを誰にも話さず今まで来たと言うのだ。
「人から人魂話を聞いたことはあったの。それでも、作り話だと半分思ってた。実際にみたら、それはもう、この世ならぬものを見たという衝撃で、言葉にできないわ。でも、よかった。説明のつくものだったのね。よかった……」
母は何度も「よかった」を繰り返した。大げさかもしれないが、「人生の負担」になっていたという。それだけ、昔の人にとっては大きな意味を持つものだったのだろう。
ただの放電現象だと思うのと、死者の魂だと思うのとでは気持ちの上での負担が全然違う。火の玉ではなく人魂だと思うなら、それはこの世が霊界と地続きだということの証のようなものだ。
さて、その母が「人から聞いた話」もなかなかに面白い。
ひとつ紹介しよう。これは近所のお酒好きのおじさんの話だ。
おじさんは夏のある夜、寄合の飲み会で深酒をし、ぐでんぐでんに酔っぱらってひとり帰路についた。その途中尿意を催し、そこいらの電柱に向かってふらふらしながら放尿した。
すると、電柱と塀の間を、「ごうごうしゅうしゅうと音を立てながら」明るいボール玉のような火の玉が通過していったというのだ。大きさはひとの顔ほどもあったという。
逃げようにも、出るものが出ている間は逃げられない。
「ひ、人魂じゃああ!」
出し終わった途端、絶叫しながらおじさんは爆走した。そして家に駆け込むとそのまま倒れ、高熱を出して寝込んだという。
奥さんは酒のせいと笑い話にしたが、ご当人は
「酒を飲んでいたのは確かじゃが、見たものは見たんじゃ」
と後々まで力説していたということだ。
この話に続けて、母は言った。
「でも、わたしのおばあちゃんぐらいの世代になると、人魂だの鬼火だのの話は、当たり前にしていたのよ。そのころは普通に土葬でね、夜お墓に行くと、青白い人魂があちこちにふわふわ灯って、お墓はそんなものだと思っていたって」
母が幼いころは、狐火や鬼火、人魂は、年寄りの話の中では日常のものだったそうだ。
様々な呼び名があるが、鬼火は一般に正体不明の浮遊する火の玉のことを言い、狐火は人を惑わすあやかしの灯り、または狐の嫁入りに属する光の行列のことなどを言ったらしい。
目の前ではなく、畑の中の道や遠い山道を、列をなしてしずしずと移動する例が多いという。
母は特に、人を化かすキツネや狸の話に付随して、鬼火や狐火の話をたくさん聞かされたといっていた。
「おばあちゃんやひいおばあちゃんから聞いた話は大体こう。
昔は街灯なんてなくて田舎の夜道は本当に真っ暗だった。道にまよって日暮れを迎えると、もう足元も見えないの。
そんななか、山道や畑の中に、ゆらゆら灯りが見える。やれ、誰かの提燈の灯りかとありがたくついてゆくでしょう。しばらくはゆらゆら揺れる灯りを追っていくけれど、途中にある塚とかをみると、同じところをぐるぐるしているのがわかるの。
さては狐だな! とわかった途端、目の前の提燈は消えてあたりは真っ暗。
こういうのを狐に化かされると言って、田舎の人はみなおそれていたそうよ」
母はこういう話を繰り返し聞かされたせいで、小さいころ、幽霊よりも何よりも狸や狐が怖かったそうだ。日暮れて道を行くと、悪い狐や狸に化かされて帰ってこられぬかもしれないと。
にしてもなぜ、あまたいる獣の中で、人をだまし化かすのが狐や狸なのだろう。
うちの近所に小規模な動物園があるが、幼稚園の頃初めて狸と狐を見たとき、わたしはそのあまりの貧相さと元気のなさに、瓢箪を下げて出っ腹を叩いている狸はどこの動物園にいるのかと本気で考えたものだ。
ところで、土葬のお墓の周辺に青白い人魂がとびまわっている、という風景は昔からしばしば話の中で聞く。が、火葬が一般的になってからはほとんど聞かれなくなった。
そういうことで、人間の体から出る燐という物質が発火しているのが人魂であり鬼火である、という説が出たのだろう。けれどこの説は、最近では否定されている。燐という物質がボール状になって燃えながら飛び回るということ自体がほぼありえないというのだ。
では、墓場で尾を引いてふらふらとさまようそれは、何なのだろう。
私的には、球電現象とは少し違うような気がしている。
きわめて大まかに言って、放電現象の一つとして説明されるそれと、霊やら魂やらの現世の姿に属するものとしての発光体と、存在そのものが違う気がするのだ。
大槻教授がのちに集めた証言では、球電現象と思われるものにはほぼ共通する特徴があった。
まず、火の玉はほぼ真ん丸のボール型。大きさは、距離によって見え方も違うが、テニスボールより小さいものはあまりなく、平均するとバレーボール大かそれ以上。
雷が鳴っていたり、天気が悪いときによく現れる。夏の夜に多い。
多くは色を変えながら飛ぶ。だいたい、白か青系から、黄色橙赤、という風に色を変え、しまいにポンとはじけるようにして消える。(これは燃えているものの温度が下がって行っていることを表しているという。青い炎が一番温度が高い)
たまに、ものを追うようにして飛んだり、狭いところから入ってきてそこから出て行ったり、意志があるような動きをすることがある。
これを聞く限りでは、ナカちゃんの見たものは代表的な球電現象だろう。 母が庭で見たものも同じだ。
酔っ払いのおじさんの見たものもこれだろう。
でも、母が病院の裏手で見たものは、何か違う気がする。祖母や曾祖母がよくみたという墓場の人魂や、狐火もなんとなく様が違う。
もちろん、場が病院や葬儀場、墓地ということで人の推測や物語が入るということは大いにあるだろうが、それにしても、放電や荷電粒子で語り終えることのできる世界の外にいるものもある気がするのは、わたしがものがたり好きなせいだろうか。
あの石原慎太郎氏も、「わが人生の時の時」という著書の中で、伝聞ではあるが印象深い発光体について書いている。
実際に見たのは、気が荒く喧嘩っ早い性格の、酒井という友人だそうだ。興味深い事例なので、ここでかいつまんで取り上げることにする。
この一遍のタイトルは「鬼火」だ。
酒井氏は戦時中、予科練(海軍飛行予科訓練生)に属していた。
ある日の訓練中、二名の犠牲が出た。
空中で飛行機が事故を起こし、座席から緊急装置で飛び出したまま、きりもみ状態で豆粒みたいに落下してきたという。酒井氏は落下する様子を見たのち、車で落下地点に駆け付け、遺体も見た。
友人は豆腐を崩したような姿になっていたそうだ。
「無残というより、人間こんなになっちまうのかと情けない感じだった」と彼は言う。
その日は慰労の演芸会が催されることになっていた。
中止も検討されたが、結局予科練生の気持ちを盛りたてるためにもと、演芸会は行われた。しんみりした気分の中、飛行場の見える屋外で、歌や芝居が続いた。
そして演目と演目との間の時間、何の拍子か、ふと水を打ったような沈黙があたりを支配した。そして何ということもなく、全員が飛行場のほうを振り向いたという。空には夕映えが残っていたが、滑走路のかなたはすでに暮れていた。
そうしたら、その滑走路のかなたから、
昼間燃え落ちた飛行機よりもなお大きな火の玉が二つ、紅蓮に燃えてぎらぎらと、
「音こそ聞こえないながらなお、ごうごうと轟きながらまっすぐに、天を目指して昇って行った」というのだ。
二つの火の玉が天に消えると、誰かがかけた号令に合わせ、皆一斉に空に向かって敬礼したという。
「感動というより、ただ、もの凄かった。しびれたようになって、ああ人が死ぬというのはこういうことか、と思った」
と、酒井氏は言ったそうだ。
慎太郎氏のこの一遍は、その光の玉の燃え方と現れ方の壮絶さで、「鬼火」という表現がぴったりの、強烈な印象を与えてくれる。それでいて同時に、この話全体が、命や魂というものに対する静かな畏敬の念に満ちている。
この光体の存在感は、わたしの中で、母が病院の裏手で遭遇した「太陽のような光」と同じステージにあるのだ。
生きることと死ぬこと、命が生まれることと消えることの「凄絶さ」を知らせてくれる存在として。
もちろん、球電現象なるものもあるのだろう。純粋にプラズマによる発光体だ。
けれどその陰に隠れて、実は死者がひっそり、あるいは轟々と、この世からあの世へ渡るとき、別の姿となって別れを告げる、ということも、ないではないのではないかとわたしには思われるのだ。
まだこのエッセイは四話目だけれど、わたしはさっそくと言わんばかりに、亡くなった母や父を俎上に乗せてきた。
しかも説明のつかない怪現象を、鬼籍に入った肉親のせいと言わんばかりに描いてしまった。なんという親不孝だろうか。
だが嘘は書いていない、それだけは守っているつもりだ。
その母は生前、何が怖いと言って一番怖いのは、自分の死後、自分の骨が
「どこを見ても死体だらけの墓地に放り込まれること」だと言っていた。
そのころには自分だって骨になってるんだから怖いもなにもないじゃないの、というと
「それでもいやなものはいやよ。周り中死体だらけの場所に埋められるなんて。とにかく、明るくて人の気配のする、にぎやかな場所にいたいわ」としきりに言っていた。
その母の骨も、今は無情にもおそれていた墓の中だ。
死後しばらく母の魂がどこにあったのか、墓の居心地はどうだったか、いつごろこの地を離れたか、それはわからない。ただ、しばらくほんのりとこの世にあった気配がするというような話を、わたしは二話三話で書いてきた。
わたしは自分の経験から、実は世にある様々な不思議事件は、そのほとんどが
「明るくてにぎやかな場所が恋しいと思うたましい」がさせたことかもしれないような気がしている。
すべてを現象として解明して、説明のつかない暗闇を無いようにするのが近代のやり方かもしれないけれど、わたしは昔の人の、たとえば庭で火の玉を見たときの祖母の対応を好ましく思うのだ。
もちろん、母のように、火の玉を球電現象として解明してくれたことで、長年の恐怖から解き放たれた人がいるのは事実だ。
けれど同時に、人魂、鬼火、狐火、不知火など、火の玉につけられた日本的な名前とそこにこもる情緒を、わたしはなにかいとおしく思う。
死して人がなお残す気配のようなものや、大自然の中に棲む動物たち、形のない命や思いのようなものを、解明しないままに手を合わせ、畏れ敬った昔の人たちのやさしい恐怖を、わたしは「古き良き恐怖」と自分の中で呼び、ひっそりと愛している。