その19 再びの終章そして近況
「十月の呪い」復活からしばらくたって、その後どうなったかといえば、
現状、右肩の激痛のため長文が書けないという体調不良が最初に来るのだけれど、それはそれ。
この件について二度目のピリオドを打つために続きを報告いたします。
先月再開した原因不明の壁の音は、家全体で鳴り響き、息子の部屋に集中攻撃をしかけたのち一応、止まった。そこまでが、前回。
しばらくは「止まった」と言い切っていいのかどうか半信半疑でいたのだけれ ど、もう、そう言いきっていいと思う。
こういうことはかつてなかった。始まれば半年は大いに賑やかしてくれるのが恒例で、春先にピタリとやむまでのお付き合いと覚悟していたのだが、事実として止んだのである。
生物ならば相当大型と思えるほどの大あばれだったのだが、さてどこから入りどこから出たのか? それも集団で。
正直言えば、今も音源が現世の動物だと半分は思い、半分は思っていない。
その音の持つ異様さは、現実に何かがそこにいてたてる音の異様さと完全に違ったからである。それを今回、再確認した。
うちの三毛猫二匹の反応を見てもそれがわかるのだ。
彼らは、例えば二階の住人が椅子を動かしても何か落としても一切反応しない。また、ためしに孫の手で隣の部屋の壁をひっかいても、首さえあげなかった。(音はそっくり)
けれどいったんあの音が始まると、いや正確には始まる直前、異様な緊張状態に陥り、低いうなり声を上げながら部屋を走り回り、音に向かって飛びつこうとしていた。音がしている間の部屋の空気のびりびりする感じは、始まって改めて思い出したのだが、独特だ。まるで見えない電気がそこらじゅうに走るような違和感がある。それを敏感な猫たちはいち早く察するのだろう。
さて、些細なことでわたしが開けてしまった壁穴には白い紙を貼り、何かいるなら出て来い、と恐れながら待ったのだが、結局何も出ては来なかった。
朝になって紙が破けていたら相当な衝撃だったと思うのだが、格好の出入り口であるはずのそこは、今まで使われていない。音もぱたりとやみ、ともかくも平穏が訪れた。
穴と引き換えのようにして。
……そんなある日、あれが訪れたのだ。ヤマト便に乗って。
音のたとえとなった、イセエビである。
それも元気のいいのが三匹。
最初の最初、もう十年余りも前、壁の中から音を聞いたその瞬間、「イセエビが壁にいる」と夫婦そろって口にした。そのころ夫の仕事関係で立て続けにイセエビが送られてきて、発泡スチロールの箱の中で暴れるその音を毎日聞いていたからである。
もうじき食べられる運命のイセエビたちが、出してくれとせがむ命の最後の音。それとまさにそっくりだったのだ。
思えばわたしは生きたイセエビを料理することができず、夫の帰宅を待ってお願いしていたのだけれど、それまで、箱の中では苦しかろうと蓋をあけて眺めるという自虐的なことをしていた。食べ物として認識することができず、名前を付けて飼おうかと本気で思ったこともある。食材として食卓に登場するまでのイセエビとの付き合い方が、わたしにはわからなかった。
そんな気持ちをよそに、年末になると毎年やってくるイセエビたちは、時に五、六匹を越えた。
夫に、先様に送ってこないでと頼んでとお願いしたこともあるけれど、仕事関係で言えないこともあるのだそうだ。
そんな矢先、壁の中から突然聞こえてきたガリガリカサカサ音。
その音は壁の中ではなく、室内の見えない空間から聞こえているようだった。灯りをつけて見まわす部屋の中から、移動しつつ平然と響くのだ。わたしたち一家は混乱しながら、一向に出て行かないその音と付き合う羽目になった。春になって収まるまで、一年の半分を。長いこと、長いこと。
そして今年、音が去った後に届いた晩秋のイセエビ。
わたしは箱を開けて空気を入れ、ごめんねごめんねと謝り倒し、また蓋をふさいで音だけを聞きつづけた。
この音。やはり、そっくりだ。
三毛猫姉妹にとっては初めての客だ。壁から聞こえるのとよく似た音にどんな反応を示すだろう。三匹のイセエビの入った箱を、猫の前においてみた。
猫たちはカリカリガリガリという無気味な音を立てる箱を興味深げに眺め、近くによってくんくんと匂いを嗅いではみたものの、あの怪音が響いていた時のような緊張も何もなく、じきに飽きて傍を離れてしまった。
どうやら猫たちにとって、音質は似ていても全く異なるものらしい。
そうして偽善者のわたしは、夫の手によって手際よくばらされたそれを、苦しいだろうと空気を入れ時に自由に床をはわせたそれを、今までと同じく、お刺身や鍋や天ぷらにして結局は美味しくいただいた。
呪われても仕方がない。どんな小動物も動いている限り狩りの対象にする猫たちのほうが、よほど潔い生き方をしていると思う。
さて、もうこの現象に対してはあらゆる推理をしてきたし、結論めいたものまで出した。おそらくはこの家で飼い続け、それぞれの寿命を迎えた猫たちの見えざる来訪ではないかと。
で、今回。
壁に穴をあけるというアクシデントののちいきなり音が止まったことに関しては、どう理由づけしたらいいのだろうか。
音の主が何者であれ、この家の閉じられた空間を好んで住みかとしていたなら、それが開いたことによって快適な空間でなくなり、半年の隠れ場所を捨てたのだろうか。
なんとなく、外界と、閉じられた家の中の空間が繋がったことで、何かが流れ出したという感じがしないでもない。
音に悩まされた過去の長い時間、そして再び経験した短い期間、わたしは同じことをひたすら考えていた。
次に家を建てるなら、余計な「壁の中の空間」のない、屋根なり天井のログハウスにしようと。
音が去った今、唯一の困りごとは、わたしの右肩が急激に異様に重くなり、痛みと引き攣れで自由に動けない状態になっていることである。
四十肩五十肩の類ならもう経験済み、治癒済みだ。今回もあまりの痛みに整形外科に行ったのだが、いまいち原因がつかめない。正直、日常生活に支障をきたすレベルの痛みだ。パソコンのキーを叩くのさえ相当の苦痛である。
お医者様に、寝る前だけ飲んでくださいという超強力な痛みどめを処方してもらった。
この薬は、眩暈とふらつきと強烈な眠気と、ときに意識の混乱・消失という、なかなか素敵な副作用を伴っている。一度は、自分としては意識を失って夜中に目が覚めた、と認識しているのに、あとで家族に尋ねたら普通に夕食を作って家族と会話していたらしい。これもなかなかにオカルトである。その間の人格は、どこから来たのだろう?
さて、この肩の痛みを何としよう。実はものを書くのもそろそろ限度という状態だ。
ここはもう、見えざる何かが快適な住まいを失った腹いせに、この肩に移住した、と締めくくるべきだろうか。
ただの頚椎症だといわれるより、そのほうがまだしも諦めがつくというものである。
結局オカルト趣味というのは、ピントを外したロマンチストの最終駅という気がしないでもない。猫もイセエビも、みな物語のなべに入れてごった煮にして満足してるんだから。
さて、また何かあっても、この件についてはここで触れないことにして、現状とリンクした部分はひとまず終了としようと思う。
でも、いまだ多少、オカルトネタの貯蓄はあるので、この痛みが治まったころにまた気まぐれに書きに来るかもしれない。
その時はまたご愛読よろしく。
ではイセエビストーリー、ご清聴、ありがとうございました。




