表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

その14 イセエビ音の怪 終章

 正体不明の怪現象は、「イセエビの夜」からおおよそ十年は続いたと思う。

 終わったと思っても毎年律儀にやってきて、律儀に去る。その間、一番痛かったのは、飼い猫の死だった。

 今もって、あれがこの現象と関係あるかどうかはわからないけれど。


 一番音をおそれていた娘は、大学入学と同時に他県に移ることになっていた。それが決まったころから、彼女は口癖のように言っていた。

「わたしはいいけど、父さんや母さんはこの家で死ぬまで暮らすんだ。大変だね、大丈夫かなあ……」

 音が激化した時期、彼女の部屋の前に、アメショの飼い猫が陣取るようになったというのは、前に書いた通りだ。

 アレルギーがあるので通常一緒には眠れないが、怖さもマックスの時は、たまに部屋に入れて慰めてもらっていた。

 その子のお腹の深部に腫瘍ができているとわかったのは、彼女が家を出るほぼ三週間前のことだ。三月も終わりに近づいていた。

 多少食が落ちた以外特に異変はなかったが、撫でた時のお腹のしこりが気になって病院へ連れていったときは、もう手遅れというぐらい腫瘍はお腹の中で肥大していた。家族全員が心から驚き、そして後悔した。どうしてもっときちんと猫の体の変化を見てやれなかったのか。もともとぽっちゃり体型だったので、相変わらず太っている程度にしか感じていなかったのだ。

 そのころちょうど怪音はマックス状態だった。家じゅうで鳴り響く音はますます激化し、一体誰にすがればこの異常事態が何とかなるのか、年月が経っても解決しない音の嵐に、みな途方に暮れていた。そんなこんなで、そちらにばかり気が向いていたということも、ないと言えばうそになる。

 だんだん何も食べなくなり、ただよろよろと家を徘徊しては暗いところで座り込むねこを、なすすべもなく見守った春。いただいたお薬と、猫用アガリクスの粉末を飲ませるしかできなかった。

 庭には春の花々が咲き競っていた。チューリップを除いては植えたものではなく、ほとんどが勝手に生えてきた花々だ。

 ねこは外に出たがった。弱った体で、掃き出し窓に体をぶつけるようにして外に行こうとする。

 せめて居たい場所にいさせてやろうと、わたしたちは見張り付きで、彼女を庭に出した。

 暖かな日差しの中で、痩せ衰えたねこはふらふらと歩き回り、花々の中に座り込んだ。そしてじっと前を見ていた。

 なにを考えているのだろう。なにを感じているのだろう。

 立ち尽くして見守る娘には、もう表情もなかった。

 高村光太郎の智恵子抄の一説が頭に浮かぶ。

 この妻を取り戻すすべが今が世にはない……


 花の庭をさまようこと三日、娘が新居に引っ越す予定のその日の朝、彼女は天国に旅立った。

 この子をおいて新居になんていけない、と寄り添い続ける娘を、大きな目で見つめた続けたのち、空を掴むように足を動かして大きく息を吐いて、それから息を引き取った。

 ……もう大丈夫。いってらっしゃい。

 そう、動かなくなった背中が言っているように思われた。


 誰もが思った。この子は旅立ちの朝まで娘を守り続け、そして天に召されたのだと。

 気まぐれで自分勝手で気位が高く、人にこびず近寄らず、でも娘にだけは心を許し、抱きつくようにして眠っていた。

 今までありがとう。最後の朝まで、娘に寄り添って守ってくれたのは、あなたのほうだったね。

 愛しいねこの細い体を撫でながら、わたしは涙が止まらなかった。感謝と、感謝と、そして早く気づいてやれなかった後悔の痛みの涙だった。

 娘はただ呆然としていた。あまりに悲しみと衝撃が強いと、涙さえでないことがあると、わたしはそのとき知った。

 近所の動物霊園で火葬にしてもらい、小さな、でもちゃんとした葬式もあげた。

 今までは猫のお骨はそのまま霊園の納骨堂におさめたが、娘はこの子だけは手放さないといって、白い布に包まれたお骨を抱きしめ、写真とともに新居に移って行った。

 家では最後まで涙を見せなかった彼女が、ねこの死を思い出してはひとり慟哭していたことを、あとから知った。


 娘の話では、新しい部屋では何の現象もないという。

 そして、ねこと娘の去った家は四月を迎え、いつものように怪音も半年のシーズンの終わりとともに家を去った。

 その翌年からだろうか。

 音と現象は、だんだんに沈静化していった。

 残されたスコ猫はのんびりしたタイプで音に反応せず、また夫と息子も「また鳴ってる」ぐらいで放置、わたしは嘆きあう相手といとしいねこを失って張り合いがなくなり、もうどうにでもなれという気分だった。

 家はわたしの持ち家で土地は複数共有の借地。ここを離れることのできない事情があった。(共有ということは相手の同意がないと売れないということ)そして亡くなった父は何があってもこの土地を手放さないようにとわたしに言い残していた。吉祥寺という場所柄はいいし、魅力的な立地ではある。

 何があってもここに住み続けるなら、どうにかして折り合いをつけていかねばならないのだ。

 息子は大学を出たらさっさと家を出てもらうとして、わたしと夫はさて、長生きができるのだろうか?

 だが、あがくのをやめたころから、音の訪れは遅くなり、持続が短くなり……

 そうして、娘が大学を卒業した年だろうか。

 最後の騒動が始まった。


 いつもの秋のおとずれから一週間ほど、怪音は近来まれにみるうるささで家中を駆け回った。

 どんどんばたばた、どたばたかりかりぱたぱた……

 その音は、いつにもまして動物じみており、明らかに四つ足の動物が家中の壁と天井裏を、動線を無視して縦横無尽に駆け回っているかのようだった。

 しかも、ピークを迎えたのは陽のさんさんとさす朝である。

「今日はすごいねえ」と夫はコーヒー片手にダイニングの天井を見上げ、

「うるさくてやってられない」と息子は部屋の壁をどかどか駆け上がる音にうんざりして下に降りてきた。

 最後の音を、今もはっきり覚えている。

「そっちに行ったよ!」とダイニングから夫が言うと同時に、居間の天井を、トコトコトコトコっと四つ足の何かが走ってきた。

 音はわたしの頭上を通過すると、居間の掃き出し窓の方へ走り抜けた。

 それが最後の音だった。

 それきり、すべての音がぴたりとやんだのである。


 二階の天井。

 壁。

 息子の部屋、元娘の部屋、階段の壁面。

 一階のパソコン部屋、ダイニングキッチン、居間。

 ありとあらゆるところで鳴り響いていた音が一斉に止み、奇跡のような静寂が訪れた。


 その日一日、わたしたちは半信半疑だった。

 あれほど元気に駆け回っていた音が、いきなり全部消えるはずがない。

 今までそんなことはなかった。来れば半年、それが鉄壁のパターンだったのだ。

 だが音は、翌日もしなかった。

 お約束の午前四時が来ても。

 また次の日が来ても、夜が来ても、朝が来ても。


 そしてついにその年は暮れた。

 だが翌年の秋、息子がある日「音が始まった」とぽつりと言ったのだ。

 わたしはぞっとした。

「うそ。どんな音?」

「壁をトントン、って」

 近年、音はたいてい息子の部屋から始まっていたのだ。ああ、また開始なの?

 けれど、音はそれきりだった。彼の証言以外誰も聞くこともなく、続く音はなかった。


 そしてそのころ、わが家に新客がやってきた。


 庭で野良猫が産んだという三毛の子猫、二匹。

 貰い手がなくて知り合いが困っていると友人から聞いて、飼えない環境じゃなし、と名乗りを上げたのだ。

 一番危険な十月の家にやってきた生後三か月の猫たちは、元気いっぱいだった。

 片方は典型的な三毛、もう一匹は稿三毛。どちらも見とれるほど美しく、つやつやとしたビロードのような毛並みで、今まで見たどんな猫よりも尻尾が長く、きらめくような深い瞳を持っていた。

 今度は死なせはしない。毎日抱いて、身体の変化を確かめて、大事に大事に育てよう。そう決心していた。


     挿絵(By みてみん)

 

  最初のあたりこそ物陰に逃げ隠れして怯えていたものの、危険がないとわかると、二匹はわが家の飼い猫史上最強の俊敏さと野生で、家の中を滅茶苦茶にしてくれた。

 観葉植物をかじり、土を掘ってトイレ代わりにし、パンや調味料を引きずり出して食い散らかし、ピアノや飾り棚の上に乗っているものというものを全部叩き落として走り回る。

 そして季節は、なんといっても、秋である。

 一年は収まったあの音が、再開するかどうかの分かれ目だ。

 だが、見ていてなんとなく思った。

 この生命力あふれる二匹の猫たちなら、もしかして音の主も追い払うぐらいのパワーを持っているのじゃないか?

 先住猫は嵐のように走り回る子猫たちにすっかりおびえてしまい、そっちのケアも大変だったが、毎日子猫たちに壊され散らかされてゆくあれこれのモノの片付けも大変だった。

 そんなこんなであたふたと過ごしているうち、何の音もしないまままた翌年が来た。


 何の音もしない、何の現象も起こらない。ただ静かに過ぎてゆく秋、そして冬。静かで平和なお正月。

 それがこんなに、奇妙に新鮮に感じられるとは!

 そして、わたしの背中からも、あれほど絶えなかったひっかき傷が消えていったのである。

 そのまま今に至っている。

 ということで、これが顛末の全貌である。


 あれこれの霊能者のお世話になったわけではなく、紹介できるような除霊をしたわけでもないので、なにが功を奏したかなど全く分からない。

 だから、総括して語れることもこれといってないのである。


 だが、もしかしてもしかしたら、とちらりと思っていることが、ないではない。

 あの明らかな四つ足の足音。部屋のあちこちを飛び回った生き物の気配。

 あれは見えざる動物の、動物たちの訪れだったのではないか。

 うちは猫を飼い続けてきた。どの子も人懐っこく、特にうちの子どもたちを心から愛してくれた。その猫たちが去りがたく、定期的にお友達を連れてわが家を訪れていたのではないだろうか?

 どうもそう考えてしまうのは、ひとつには、

 三歳の子どもの体にわたしのような鋭いひっかき傷ができ続けて困っている、という、ある母親の話を聞いたからだ。

 通常の爪ではできない、針のようなものでひっかいたような長い傷。それが目の前で遊んでいる間に、服の下の背中やお尻に多数出現する。着せていた服を、汗をかいたからと脱がせてみたら、もう数分のうちにできているというのだ。

「見える人」に見てもらったところ、かわいがっていた猫の霊が、遊びに来ているのだという。

 猫に悪気はない。ただ、もっと遊びたかったという思いが残っているだけだと。

 そういわれて考えてみれば、わたしの身の回りで起きた怪現象、

 ビンが落ちる、本が落ちる、時計の秒針が曲がる。

 これらは今の暴れん坊の猫たちならどれも瞬時にやってのけることだ。というか、日常茶飯事である。

 見えない猫が周りについて回っていたなら、どれも不思議ではない。

 それに加えて、最後の最後に聞いた「トコトコトコ……」という軽やかな足音の印象があまりに鮮やかで、わたしには、

 例えば里帰りしたあのアメショの子が、悪さし放題の猫たちに向かって

「さあ行くよ、これでおしまい!」と声をかけ、先頭に立って外に連れ出したような気がするのだ。

 木の生い茂る、雑草が勢いよく咲き誇る、ほったらかしの野生の庭へ。


 勿論それで終わりとするにはあまりに無理がある。そもそも、金色の地蔵菩薩や竜の池の伝説と全く結びつかない。怪音は消えたが、不可解現象に関しては、正直言えばまだぽつぽつとまだ散発している。

 ともあれ、この何やらうっそうとした家に住んでいて思うのは、生きものと、かつて生きものであった者たちの気配の濃い場所だということだ。家の内外に何かと闇の多いこの家では、そうしたものが悪意なく、たびたび季節ごとに開く通り道を通って交差しているのではないだろうか。

 それらに、悪霊とか自縛霊とか名を付けてお払いする必要も、とりたててない気が今はするのだ。それというのも、この土地自体に嫌な空気をわたし自身が感じないからである。一度は他県に移り住んだ娘も、「やっぱりここで育つとほかには住めない」と、週末ごとに帰ってくるありさまだった。不可解現象があるにはあっても、考え事や創作的なことをするのに、やはりこの家は最適だという。


 そして現在、うちを占領している二匹の猫たちは、まだ一歳そこそこだというのに、先住猫の1.5倍ぐらいのサイズになっている。

 この子らを門柱の左右に座らせたら立派なシーサーになりそうだ。それぐらい、堂々たる体格である。石敢當がわりにもなれそうだ。

 そして、これを書いている今は、九月。外は日に日に秋の気配が増している。

 例年なら、「そろそろあれが来る」と怯え始める頃合いだ。

 はたして今年も、あれは来ないままだろうか。

 このまま音がしない状態で、年の暮れを迎えることができるのか。

 また始まったら、どう対抗したらいいのか。

 実はこのエッセイを始めたのは、もしそうなっても、ネタにして実況中継してやろうという心づもりがあったからなのだ。暑い夏を怪談話で過ごし、秋になったらしつこいリベンジにそなえてスタンバイ。つまり結局、自分のために始めたエッセイでもあったのである。

この先、不本意な実況中継をすることになるか、それともこのまま平和に時は過ぎるのか……


 それは、今年の秋の、見えざる客人のご機嫌次第ということで。


 これからも、思い出しオカルト話をすることもあるかもしれないし、多少ずれた雑談をしたくなった時にここを利用するかもしれないけれど、

 とりあえず、イセエビ音から始まった怪現象語りについては、ここで終了とします。

 ご清聴、ありがとうございました。



   挿絵(By みてみん)







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ