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13/21

その13 仁義なき戦い

 さて。

 怪現象は、年間通してずっとだらだら続くわけではなく、明らかな波があった。

 大体秋も深まったころ、十月か十一月の午前四時あたりからドンドンと壁を蹴飛ばすような音で突然始まり、家のあちこちが鳴り続け、ほぼ半年続いて、四月か五月には終わる。

 始まるときも終わるときも唐突で、段々に静かになるというものではなく、ある日突然ストンと家中が静かになって終わる。それが毎年毎年毎年、同じパターンで続くのだ。

 まるで、この世と異界とをつなぐ道がわが家を通って貫かれており、その門が秋になると開き、半年間魑魅魍魎の遊び場となり、春になると閉じるかのようだった。

 そして現象は、音だけではなかった。

 時計の針が曲がる。座椅子の下に水たまりができる。本や瓶などが落下する。これらはみな怪音の時期に実際に起きたことだ。

 時計はダイニングの陶器製の時計で、ガラスなどのカバーはなく、文字と絵を焼き付けた焼き物の裏に機械を、表に金属製の針を取り付けた簡単な構造のものだ。

 その秒針が、数分間のうちに九十度曲がったのである。それも、二回。

 あるとき、料理をしながら時間を確かめた。午後7時、急がなければ。そしてもう一度見た。おかしなことに秒針が見えない。どうして見えないのだろう?

 次の瞬間、わたしは仰天して手にしていた鍋を取り落しそうになった。見えないはずだ、秒針は文字盤に対して九十度の角度で立ち上がり、まっすぐこちらを指していたのである。

 その間、ダイニングに入ってきたものはいない。誰も時計に手を振れていない。時計の針は、わずか5分ぐらいの間に勝手にいきなりひん曲がったのだ。

 わたしは指で針をもとに戻し、なかったことにして無視した。騒げば負け、のような気がしたのだ。

 その数日後、また同じ現象が起きた。同じぐらいの時間、秒針がぐにゃりとまがってこちらを指したのである。今度は元に戻さず放置していたら、数日のうちにその先がさらに曲がってゆき、蚊の足のようになった。


挿絵(By みてみん)

(実際の写真)


 音だけの時と比べて、明らかな危機感があった。「お前だよおまえ」と堂々と指さされた気がしたのだ。この騒動を引き起こしているのは間違いなくお前だよと。

 続いて、いつもわたしが使っているデスクトップパソコンの前の座椅子の下に、「水たまり」ができる、という現象が起きた。

 パソコンを使い終わり、何となくお尻の下がじめじめしている気がして座布団と座椅子をどけたら、なんと、そこにうっすらと、でもはっきり、水が溜まっていたのだ。

 直径は40センチぐらい。ごくごく浅いけれど、立派な水たまりだった。

 座椅子は藤でできており、ごつごつしたつくりで、床との間にわずかな空間があったのだ。

 液体の正体がわからず、顔を近づけてみたら、泥の匂いがした。

 瞬間、背筋がぞっとした。これは床下から来たものだと直感で思ったからだ。竜神の池だったという庭。濃い暗闇の漂う庭。家の下の水と瘴気。それらを集めたようなこの水は、いつもわたしが座っている定位置目がけて昇って来たのではないか。そして泥水と一緒に上ってきたものは……?

 そのころ、わたしの身の回りで、やたらモノが落ちるという現象が多発していた。それも、家の中だけではない。スーパーでも本屋でも、カフェでもおかまいなしである。

 たとえば、スーパーで食品の棚を見ている。棚の上から、釜飯の素が落ちて来る。 拾って元に戻す。隣の棚からレトルト食品の箱が落ちて来る。拾っていると、さらに左右の食品がバサバサと落下する。近くにいた客が、何が起きているのかと不審そうにこちらを見る。まるでチャップリンの映画のように、きりがないのだ。

 またあるときは、書店で突然、目の前の本が落ちた。拾おうとかがんでいると、同じ本が5,6冊、立て続けに落ちてきて、足元に本の山ができた。今でも覚えているが、林真理子の本だった。

 また、コンビニで支払いをしているとき。レジの前に置いてある籠がいきなり籠ごと落下した。どら焼きとか大福とか半額になったスナック菓子とか、「ついでにどうぞ」が置いてあるあの籠だ。ひじも腕も全く触れていない。籠は目の前で、まるで「飛び出すように」落下したのだ。店員さんも「大丈夫ですか。どうしたんだろう?」とびっくりしていた。

 カフェでも、コーヒーを飲んでいるその後ろの棚から、ジャムの瓶が突然ドンと音を立てて落ちてきたことがある。もちろん誰も触れていない。あまりの異様さに、すぐ店を出てしまった。そこのカフェは席の後ろの棚に販売用のジャムの瓶が並んでいるので、以後使わないようにしている。割れてしまったら申し訳ないからだ。

 あるときは、さしている傘が突然折れた。そぼ降る雨の中、いきなり手元で「ビシッ、バキッ!」という激しい音がしたと思うと、わたしは持ち手だけをもって雨の中に突っ立っていた。開いたままの花柄の傘が足元に落下していた。何の衝撃を受けたわけでもないのに、突然、支柱の金属ごと傘の柄が折れたのだ。


挿絵(By みてみん)

(帰宅してから撮影)


 また、寝ている間に、わたしの背中に正体不明のひっかき傷ができるようになった。鋭い針か爪できーっと引っ掻いたような傷が、平行に広い感覚で数本できる。指は掌から扇状に生えているので、たとえ爪を伸ばしていても、無意識にかけばこういう風にはできない。傷は時に流血を伴って、毎日毎日、あちこちにできた。そしてとにかく、普通に、痛いのである。自分で傷の通りにひっかこうとしてみたが、ちょうど手の届かない部分に傷は多発していた。

 これは何度か写真に撮ったが、えぐいのでここにはのせないことにする。臀部に、太針で引いたような傷が長々とできたこともある。

 怪音の続く間、わたしの身体には傷が絶えず、「暴力趣味の夫と僕が思われるんじゃないか」とダンナはびくびくしていた。

 怪音は自宅にとどまらなかった。書き物のために一人ビジネスホテルに泊まることが多いわたしだが、そのころ、一人でホテルに泊まると必ずと言っていいほど、壁や天井がビシビシと派手に鳴った。壁の内側で泡がはじけるような、爪ではじかれるような耳触りな音で、昼でも夜でも、滞在中ずっと鳴り続けるのだ。

 家の中で聞くような、「何かが壁を叩くような、天井を何者かが歩くような」音ではない。あくまで何かがはじけるような、小さな破裂音に近い音である。

 けれど、夫や家族と旅行すると、同タイプの(都市にある鉄筋構造の)ホテルでも全く音がしない。

 もはや、怪現象の中心にわたしがいるのは明らかだった。

 では、なぜわたし中心に怪現象が起き、どうしておさまってくれないのだろう。これが物理的に説明できないことなら、何をもってくれば説明できるのか。やはり、妖怪や妖精やご先祖のからの伝言と素直に受け取るしかないのだろうか。

 正直言って、わたしはもううんざりしていた。始まって五年たっても六年たっても、音は一向に収まらない。秋になればやってくる。ある夜中、正確には明け方、突然、家族中が物音をそれぞれの部屋で聞く。そして翌朝、みなうんざりした顔で言うのだ。

「……始まったね」

 いつまでたっても、これらの怪現象に慣れることはなかった。

 何もないところから音がする。誰も触れないのにモノが落ちる、移動する。背中に傷を残す。その異様さが持つある種の「意思」のようなものが、怖かった。なにしろ、その意思にしろ伝言にしろ、その意思はこちらには読めない字で書いてあるも同然で、何一つ受け取ることができないのだから。

 テレビ局に入ってもらって、現象をカメラに収めて、たとえ胡散臭かろうが霊能者に見てもらおうか、と思いつめたこともある。けれど、あまたいる霊能者が、同じ件で同じ姿の霊を透視したのを見たことがない。みないうことがバラバラだ。能力が本物ならば何人集めても同じものが見えるはずではないのか。なんだかんだで、わたしはそういった能力者も個人的に信用できないでいた。

 よく心霊写真で足や首がないものなどがあると、霊能者さんたちが「足のけがや事故に気をつけろとご先祖が言っています」というけれど、実際に夢にでもあらわれて「足の事故に気をつけろ」と日本語で申し渡したほうが早いのではないかと思う。あんな写真でまっすぐ伝わるわけがない。霊だか何だかのほうも、言いたいことがあるなら出てきてさっさと言ったらいいのだ。実際、この怪現象の主は、わたしに何の用があるというのだろう。

 そうはいっても、背中の生傷に耐えきれず、信用できる霊能者探しをしたことは正直、ないかといえばある。そしてかなり高名な、地域でも信用されているというある人物にあたりをつけ、さあ連絡しようとしたら、ご当人が「あちこちから予約料をとるだけ取って失踪してしまい、詐欺師として訴えられている」というニュースが入って来た。それ以降、霊能者探しはあきらめてしまった。

 というわけでほとんど打つ手なしというありさまだったが、盛り塩ぐらいはした。

一番音の激しい、夫婦寝室の枕元、北側の壁に作り付けてある飾り棚に粗塩を盛ったのだが、なんだかあっという間に溶けてしまった。

 ネットであちこちでぼやいてはみたけれど、わたしと同じような体験をした人はほとんどおらず、人に話してみても、「お医者にかかってみたら?」的なことを遠まわしに言われるだけだった。こういうことは経験した人にしかわからないことなのだろう。でも、考えてみれば無理もないことだ。わたし自身、もしこの体験を食らっていなかったら、同様のことを人に相談されても「病んでるなあ、大丈夫かな」ぐらいしか思わなかっただろうと思う。

 そのうち、ある人が

「似たようなことを佐藤愛子が経験して、本に書いてる。読んでみれば?」と教えてくれた。

「私の遺言」というノンフィクションエッセイだという。

 かなり古い本なので、書店では見つけられず、近所の図書館の書庫から探して出してもらった。

 読んで驚いた。そこに書かれていたことはまさに、わたしが経験していることとほぼ同じだったからだ。


 作家の佐藤愛子氏は、昭和五十年、北海道浦河町に山荘を建てた。そしてそこに移り住んでから、次々と怪現象に見舞われることになる。

 深夜の屋根の上をのしのしと歩き回る力士のような足音(手伝いの女性も聞いている)消した電燈が帰宅するとつくという現象、またその逆、水を出していないのに聞こえる水音、ドアの開閉音、天井や壁を巡回するラップ音、そして東京の自宅や滞在先のホテルでも続く同様の異様な音。

 怪現象は音にとどまらない。ばかりか、わたしのものと比べても相当に派手である。換気扇のファンが取り外されて床に置いてある、本のつまった段ボール箱が8個から6個に減る、または勝手に積み重なる、電話の子機がソファの腕部分の中に押し込まれる……

 ペットの犬は怪死を遂げ、本人も激しい頭痛に襲われて体調を崩し、佐藤氏は作家として人としての危機を迎える。

 そして、当時まだ無名だった霊能者の江原氏と、すでにもちろん有名な美輪明宏氏とつてのあった彼女は、藁にも縋る思いで助力を頼むのだ。

 すると、電話越しに美輪氏は言う。

 佐藤さん、あなたたいへんな所に家を建てなすったわねぇ。

 山荘の裏にある山の右肩の方が暗くて、他は晴れて明るいのにどんよりとしてて何か変なのよ、と。

「佐藤さん、とにかく東京へ帰っていらっしゃい。家の問題だけじゃなくて、あなたに憑いている霊が背中に重なり合ってるのが見えるわ」

 こんな人がそばにいてくれたらどんなに心強いことだろう。わたしは心からうらやましかった。

 その後、美輪さんを含む様々な識者に尋ねて分かったことでは、どうも彼女が山荘を建てた土地は、和人に滅ぼされたアイヌの集落があった場所らしいということだった。そしてその一族の怨みが地縛霊となって巣食っているという。

 加えて佐藤家の先祖が作った因縁が因縁を呼んで、膨れ上がってしまっている。その全部を佐藤氏が背負っている、というのだ。

 現象の重なりよう、そして、アイヌというキーワード……

 佐藤氏の本は、わたしにとって一番近く、そして一番の衝撃だった。

 美輪氏は、彼女の先祖が武士であろう、と言い切った。そして多くの命を奪っていると。

 わたしの先祖も士族だ。

 士族と言えば、あちこちで人を命を蹂躙している。それは宿命的に仕方ないことなのだが、それが故に子孫は多くの恨みと業を背負うという。美輪氏自身も、それが故に多くの業や呪を受け継いだという。そして、いかに不条理であっても、子孫がその業や因縁を被るのは仕方のないことだというのだ。

 徹底した現実主義で、目に見えぬことは信じない主義だったと言う佐藤愛子氏は、その言葉を戸惑いながらも受け入れる。

 彼女は言うのだ。

 私にはどうやら私に頼り憑いている佐藤家の先祖を成仏させねばならない役目があるようだ、と。

 そしてその役目を、宿命として受け入れ、力を尽くして浄霊をすることで災厄を乗り越えようとする。

 いい本に出合ったとは思ったが、わたしはそこまで読んで暗澹とした。

 わたしはどうにも素直に「先祖の呪い」「業」「宿命」という言葉を受け入れられない。そして、それが宿命だと言われても引き受ける気がしない。

 人の死後に怨念渦巻く世界がもしあるにしても、それを訳の分からない現象としてこの世に及ぼして、なにか秘密めいた儀式をしないとこの世を去らないぞという強引な意思を、受け止める気になれないのだ。

 佐藤氏はアイヌの長の血を引く霊能者を呼び、魂を浄化する儀式を始めることにする。

 詳しくは忘れてしまったのでここでは省くが、到底素人の知識では行えそうにない大がかりな儀式を行い、それは滞りなく済んだ。が、皆を見送って帰宅すると、消したはずの家の灯りがぼうと灯っている。

 そこで彼女は知る。儀式は済んだが、先祖の霊はまだ自分を許していない……

この怪現象は、結局それから二十年も続いたのである。

 二十年……

 その間、わたしでは到底お呼びできないようなご高名な方々が入れ代り立ち代り、彼女と彼女の背負う霊と家そのものを救おうと努力した。そのうえでの年月である。

 参考にできることを全部参考にしても、二十年。

 これはダメだ。

 本の最後は、人の世界と死後の霊界のありかたが次元ごとにつらつらと書いてあったが、わたしは「一応勉強になりました、ありがとう」ということでぱたりと本を閉じてしまった。

 そんな根気はわたしにはない。そして思った。もうこうなったら、あっちが飽きるまで一緒に遊んでやる。

 本やジャムの瓶を落として楽しいならすればいい。音を立てて面白いなら立てればいい。

 怖がりさえしなければ害はないのだ。

 この世界は生きる者の世界だ。そしてわたしは、あなた方に害を及ぼした覚えはない。先祖のしたことなら、先祖とあの世で戦っていただきたい。わたしは、戦いません。武器もありませんので。でも、言いたいことがあればお聞きしますので、全力で伝えてください。ただし、わかるように日本語で。

 いろんな音をたてられ、いろんなものを動かされても、仰りたいことはさっぱりわかりません。気が済まないから気が済むようにしているだけだというなら、あなたは立派なストーカーなんですよ。子孫に恥ずかしいと思わないんですか。

 天邪鬼な私は、霊界のわからず屋にそう説教してやりたい気持ちだった。

 そしてさらに思った。

 このさき、どんな死に方をしようとも、どんなに恋しくても子孫を怖がらせるような出現の仕方はすまい。

 どんな非業の死を遂げても、その子孫を呪いはすまい。

 よいご先祖になってやる。

 恐れ入ったか。


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