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その11 マイケルジャクソンとイセエビの怪

 Youknock me off of my feet my baby、ポオオオオオオオッ!!


 マイケルジャクソンの甲高い声に絶叫されて、わたしは真夜中のイスから転げ落ちた。家を揺るがす爆音である。なにしろ、ケンウッド君渾身の最大音量だ。

 わたわたとオーディオのある暗い居間に転げ込み、オーディオのイコライザーのディスプレイ画面が狂ったようにガンガン上下しているのを見る。

 あああっ、またか!

 曲名は、The way you make me feel である。ちょうどマイケルの雄たけびから始まるやつだ。

 自分がいたのは隣室で、このオーディオには触りもしていない。ヤツは勝手に自分でスイッチを入れ、しかも最大音量でCDをプレイし始めたのだ。この怪奇勝手演奏はそのころの我が家の恒例行事だった。

 ご存じの方はわかるだろうが、元気なオーディオの「最大音量」は、音というより爆発である。どこの何を押せばこれが止まるのか、脳みそがふっとばされてもうわけがわからないのだ。耳を押さえておたおたしている間にもマイケルはカモンガール、ヘイッ!アォッ!とわめきちらしている。飛び起きてきた夫がオフスイッチを押し、わたしはコンセントを元から引っこ抜いた。

「またなの……?」

 起きてきた娘が目をこすりながら立っている。いやまったく、ほんとうに、申し訳がない。

 十数年前にもなるだろうか、当時、わたしは雑文とイラストなど描いて小遣いの足しにしており、真夜中は創作活動にあてていた。お気に入りのBGMはマイケルかスティング、スティビーワンダーとかプリンスあたり。オーディオは時々こうして発狂するので、ラジカセで深夜放送や音楽を聴いていることが多く、音量ももちろんささやかなレベルに絞っていた。

 なのに、である、なぜか仕事部屋の隣の居間のテレビやオーディオが、それも夜半、勝手につきまくるのだ。いきなり音響機器のスイッチが次々に入り、複数セットしてあるCDの中からたいていマイケルの曲を選んで強制的に聞かせてくれる。しかも、最大音量で。

 あるいはラジオがついてFMを爆音レベルで聞かせてくれることもあればテレビで深夜の競馬が始まることもある。ただつくだけではない、高い位置にあるツマミを回してボリュームを調整するようになっているこのオーディオの音量を、どうやって物理的に回し切るのかがわからないのだ。こういうことが頻発するので、いつも音は最小にしてあったのである。

 ついにその日わたしは、引っこ抜いたコンセントの先をガムテームでコルクボードの床に貼り付けた。もうこれだけ強引なことが起きるなら、抜いておいたコンセントが蛇のように床を這って、勝手に電源に差し込まれても不思議はない、と本気で思ったからだ。実際、コンセントを抜いていたはずのオーディオが鳴りはじめたこともあった。

 近くを幹線道路が走っている場合、トラックの強力な無線の影響でそういった現象が起きることはある、というのは知っていた。大通りなら百メートルほど先にある。

 それによって起きる現象の範囲も調べてみた。

 が、

 例えばだ。

 買ったばかりの新品のデスクトップパソコンの前にわたしが立った途端、ブーンと音がして電源が入り、起動音とともに壁紙が浮かび上がり、ようこそ、とか文字で挨拶されて勝手に画面が切り替わってゆく。こんな現象が、無線電波で説明できるだろうか。

 コンビニや美容院の扉が、自分が入店した後、誰もいないのに開いて閉じてを繰り返すのもそのころはしょっちゅうだった。

 がーと扉があき、ピンポンとチャイムが鳴る。いらっしゃいませえ、と店員が声をかける。誰もいない。数秒後、また開いて閉じてを繰り返す。店員が気味悪そうに扉を見て首をかしげる。いたたまれず、さっさと店を出る。 コンビニなら、とりあえずそれですんだ。

 ところが、美容院だとそうはいかなかった。

 近所に安くて感じのいい美容院が新装開店して、贔屓にして通い始めた二回目。

 そのときお客はわたしひとり、男性店長とおしゃべりしながら髪を切ってもらっていた。

 ちゃら~んと音がしてドアが開く。

 いらっしゃいませ~。

 受付嬢が入口を見るが、誰もいない。ドアはすまして閉まる。

 またか、と身が縮む思いだ。またちゃら~んとドアが開く。そして閉まる。

 おしゃべりを中断して店長がドアを見に行く。何か挟まってるんじゃないの? よく見て。そう言われた女性店員がどこを見てもどう点検しても、何も異常がない。

 結局、髪を切ってもらっている一時間余りの間、五分に一回の感覚でドアは開いて閉じてを繰り返した。まるで透明人間が出入りを繰り返しているように。

 男性店員とわたしは、おしゃべりを続けることもできず、女性店員は懸命にドアを何とかしようとし続けたが徒労に終わった。

 朝からこうなんですか、と尋ねると、店長は、いや、実はお客さんが来てから急に……と申し訳なさそうに言う。

 やっぱりか。

 その店を出てから、いったん買い物をし、何となく帰り道にあたるその店の前をゆっくり通ってみた。新しい客が髪を切られていたが、もうドアは開閉を繰り返してはいなかった。

 そうしてふた月もしないうちに、その店は閉店してしまった。

 そんなこんなにきりなく襲われていたころ。

 わが家は、ある夜突然始まった、怪音に悩まされていたのだ。

 どの異常現象を筆頭に持ってきたらいいのか悩むところだが、たぶんおそらく、あの音が始まってから、すべては起こり始めた気がする。何しろ昔のこととて、時系列がはっきりしないのだ。

 いや、もとをただせば、あの地蔵菩薩がわが家を飛び回ったあのときから、何かの予兆はあったのだろうか?

 壁紙のばりばり音といい、植生のむちゃくちゃな庭と言い。

 ならば予兆というより、

「素地はあった」というところだろう。


 で、ずらずら羅列してもしかたないので、おおよそ十数年前から始まった一番の怪、「謎のイセエビ音」から話をはじめ直すことにしよう。


 それは、大雑把ですまないけれど、とにかく今から「十数年前」のとある夜中。いや、明け方。

 夫と枕を並べて眠っていた寝室の、真っ暗な部屋の中から、有りえない音が突如聞こえ始めたのだ。


 かりかり、ばりばり、かりかりがりがりばりばり。がりがりがり、がりがりがりがり。


 無視できる音ではない。目を覚ましたわたしは最初、部屋の中に「たくさんのとがった足を持つ巨大な生き物がいる」と思ったのだ。

 たとえて言えば、そう、生きのいいイセエビである。あるいは巨大なシャコかなにか。考えたくないけれど、三十センチ以上あるゴキブリとか、グレゴール・ザムザ……とか?

 とにかく『尖った足をたくさんもつ大きな虫あるいは生物』が、壁を直接ひっかいている音と言えば一番、近かった。それも、相当派手な音だ。

「なにかいるね」

 それが隣の夫から掛けられた最初の言葉だ。それははっきり覚えている。

 わたしはとっさに時計を見た。午前四時ちょうどだった。

 わたしたちは、すぐに部屋の明かりをつけた。そして音のする方向を見た。

 それは室内ではなく、ベッドサイドのクロゼットスペースの中から聞こえているようだった。

 結構余所行きのスーツやネクタイ、バッグをしまってある空間である。

 恐る恐る、扉を開けて、中を懐中電灯で見てみた。

 何もいない。

 すると、がりがりかさかさがりがり、という「たくさんの足のひっかき音」は、正体を見せぬまま、部屋の中を移動していった。これが妙なのだ。全く見えないのに、音は自由に移動するのである。

 そして、北側の窓のない壁の中に「納まって」しまったのだ。

 がりがり。がりがりがりがりがりがり。

 壁の中から、シャレにならない音は続いている。

 そのとき、わたしたち夫婦が何を思ったか。

 ひとつ、お笑いいただきたい。

 その当時、夫は仕事の関係で、「生きたイセエビやクルマエビ」をクール宅急便でたびたび送り付けられていたのだ。そのほとんどが、おがくずの中で生きていらっしゃった。

 夫はこともなげにバスンバスンと料理してくれたがわたしはなにしろ、生き物を食べモノとして贈られるのが大の苦手だった。

 廊下にいつも、がさごそ言っているエビ類カニ類がはいっている箱があるのが嫌で、もう来ませんようにと祈っていたのだ。第一、コレステロールが高いと人間ドッグで診断されていたこともあり、エビカニ類は遠慮したい身なのであった。

 生き物大好きな娘と相談し、でっかい水槽を買ってきて「イセエビの餌」をペットショップで捜し、オスメスそれぞれに名前を付けて飼おうか、などと半分本気で相談したこともあった。夫によって即座に却下されたが。

 それでも年末になるとイセエビ様はどんどん送りつけられ、人にあげてもおっつかなかった。

 一体どれぐらいのイセエビやクルマエビを鍋に放り込んで、あるいは刺身にして食べたやら。

「ついに……。 ついにその呪いが来たかっ!」

 わたしは半ば真面目に、ほんとにそう思ってしまったのだ。

 オーストラリアの保護団体なら「当然の報いだ」と大きく頷いただろう。

 音はそれからほとんど毎晩、やってきた。そして必ず、始まりは午前四時だった。

 いっておくが、送り付けられてトロ箱に入っているイセエビと食べた数は一致している。家の中で行方不明になったイセエビはいない。


 そうしてその夜から、わたしたちは、わたしたち一家は、どんどん激しさを増してゆく「怪音」に、一家じゅうで悩まされることになるのである。

 音は壁にとどまらなかった。家じゅうの壁や天井に巣食い、ガリガリからとんとん、ゴロゴロボールが転がるような音から、どんどんどんという重い人間の足音に変化し、夜となく昼となく鳴り響き続けることになったのである。


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