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その1 つるばら つるばら

このエッセイは一応すべて実体験に基づいて書いていく予定ですが、個人的なことでもありなに一つ押しつけるつもりはございませんので、一つ他人事と思ってお気楽に読み流してくださいませ。






挿絵(By みてみん)


 ぼくは

 夢と現実の区別が

 つかない子どもだった


 これは、天才漫画家大島弓子氏の、今から二十五年ほど前の作品「つるばら つるばら」の冒頭のセリフです。

 トランスジェンダー、今でいう性同一性障害に苦しむ少年・継男(つぎお)が、自分の前世であるらしい「たよこ」の生涯を、一生をかけて追う物語。

 幸せに暮らし、やさしい両親に愛されながらも、彼は自分の遠い記憶の中の、薔薇の咲く家が忘れられない。そして、愛する男の記憶。その彼が、多分自分のいまわの際に叫んだ言葉。

 たよこ、キミのそばに行くまで僕はずっと一人だ、すっと一人でいるぞ。

 その愛の記憶を追いながら、現世での自分の性別に苦しみ続けるのです。

「つるばらつるばら」は、一人息子が「男として生きられない」ことをさとった父親が、くわばらくわばらとつるかめつるかめを足した言葉をおまじないのようにしてつぶやいたものです。つまり、困ったことだがどうしようもない、なんとかしてくださいよ、という思いのこもったセリフなのだけど、語感が薔薇なので、これを聞くと頭の中にはきれいなつるばらがそわそわと成長していく。少なくとも、わたしにはそんな風に思われました。

 まああれです、くわばらくわばら、とつぶやくよりはずっと軽やかで美しくていいじゃないですか。


 さて、自分の話題に戻しましょう。

 実はわたしも、夢と現実の区別がつかない子どもでした。そして継男と同様、幼稚園に上がるか上がらない頃から、自分の帰るべき家は別にあると思い込んでいたのです。

 その家は、繰り返し夢の中に現れました。

 金色に輝く落ち葉が降りしきる一本道。その先の、小さな白い柵に囲まれた、白い家。中にいるのは、太った母親。心から愛する、世界中で一番大事な母親。彼女は金髪の白人女性なのです。そう、日本人ではありません。そして自分も、白人系の男性なのです。

 家に対する思いはただ甘やかで、せつない。そこには郷愁と愛だけがある。帰りたくて帰りたくてたまらない、自分だけの故郷。

 けれど、白人少年の自分自身は夢の中に存在しない。この情景は、成長して凶悪な殺人犯になった自分が、刑務所の中で見る夢なのです。夢の中の自分が見る夢。つまり二重構造ですね。

 では、愛する母親と愛しい家を持つ男がなぜそのような凶悪犯になったのか。

 その答えは夢の中に出てきません。心の中には、ただ回り中の人間すべてに対する憎しみと怒りが渦巻いているのです。そして何人もの人間を行きずりに殺しながら、何の後悔もない。ただ心の芯が凍り付いている。その感覚があるのみです。

 とにかく、これが前世の夢であるのなら、前世の私は凶悪な殺人鬼で、それはたくさんの人を殺した。それは間違いなさそうです。

 成人になってからの白人男性の夢は残酷なぐらい鮮明でした。

 良心の痛みもなく、わたしはひとを殺し続けた。銃で、ナイフで。そして母親にすまないと置手紙をし、逃げに逃げた。そのあげく、捕まり、死刑判決を受け、死刑囚の生活に入るのです。

 この夢を見始めたのはほんの三、四歳のころだと思うのですが(幼稚園のジャングルジムに寄りかかってボーっと思い出していた記憶がある) 小学校高学年まで同じストーリーの夢を見続けました。

 で、ある時点でヘリで僻地の刑務所に移送されるんですが、その情景が異様に鮮明なのです。

 ある島のようなところにおろされる。受付のような小部屋がある。名前と宗教を言わされる。全部着替えさせられる。それから長い暗い廊下を歩く。

 ちなみに、小学生のころ、わたしは映画というものをディズニー以外ほとんど見たこともなかった。だから何かの映像の影響とは考えられないのです。ずっと後になって脱走モノの映画を見て、細かい部分があの記憶とそっくりなのでほんとに驚きました。そしてその風景は記憶の中というより、自分の網膜に焼き付いているのです。

 さて。夢の中のある夏、大雨が降り続き、あたり一帯が洪水になり、施設は水没しました。わたしはそれに乗じて脱走し、家を目指すのです。が、その途中で射殺される。あるいは銃殺刑を執行される。

 射殺される瞬間の記憶があるだけで、このあたりの情景はよく思い出せません。

 この絶望的なストーリーはまるでフィルムを巻き戻すように、何度も何度も夢となって幼いわたしを訪れ、わたしは文字通り「夢と現実の区別がつかない子ども」になってしまいました。

 そして、自分は今に人を殺す、とすっかり思い込んだのです。それも不特定多数の人を次々に。

 自分の本質はあの男なのだから、必ずそれをやる。この未来を誰も知らない。この未来から自分を守ってくれる人はいない。誰か止めてくれないものか。止めてくれないなら、自分で自分を殺すしかない。警察にいって話しても逮捕はしてくれないだろう。わたしはどうすればいい。どうすればいい。

 わたしは死刑をおそれ、前世をおそれ、小学校低学年でもう立派なメンへラキッズになっていました。

 思い切って親に相談したら、当然理解されず、ただ「こんな変な子はほしくなかった」と思い切り母に嘆かれたのです。

 それから、こういうことは人に話してはいけないのだ、わけのわからない話をして不安がらせるのは親不孝なのだと思い知り、二度と口には出さなくなりました。(そこへ行くとつるばらつるばらの継男の両親は悲しくなるぐらい理解があっておおらかだった)

 その代り、代償行為があらわれたのです。いわゆる、強迫神経症ですね。

 あれをせずにいられない、これをせずにいられない。おまじないのような行為は、すべて「本当の自分」を押し隠すための儀式でした。その変な行動がまた、母を悩ませた。

 わたしは十を過ぎるころから、早く自殺せねばとそればかり思っていました。その一方、本音では生きたかった。そして、洗濯ロープとかひもとか、そういう「長いもの系」を極端に恐れるようになり、刃物やとがったものを避けるようになり、電車のホームの端には寄れなくなりました。そのせいで今も、白内障の手術さえ全身麻酔でないと受けられません。先端恐怖と閉所恐怖(拘束恐怖)は何十年たっても消えなかったのです。


 その後、年月とともに快癒するどころか、恐怖症と神経症はどんどん数をまし、鬱とパニックと極端な不眠も加わって二十代ではたいへんにぎやかなことになるのですが、その報告をしつこくやってるとメンヘラ自慢になるのでここらへんにしときましょう。

 前世の記憶……かもしれないもの、がうまく消えなかったことによる障害は、その後どうなったか。

 結論としては、知識によって救われたと言えるでしょう。

 わたしは、精神医学や心理学からはじまって、スピリチュアルや神秘系、たくさん、とにかくたくさん本を読みました。特に、前世の記憶を持ったまま生まれた子どもたちのその後を調べ、なるほど自分のようなケースも広い世界にはあるらしいことを知り、そのことによって自分に起きたことを客観的に分析することができたわけです。

 科学的に言えばありえないことであっても、自分の中に積み重なった記憶と夢は否定できない。そして多くの、同様な経験をした人々がいる。多分わたしはボンクラな運命の神の失敗で、消去すべき記憶が消去されないまま生まれ、まっとうに生きたいという気持との間で混乱が起きたのだ。と、そんな風に理解しました。

 そんな自分に、あなたは大丈夫だよ、と言ってあげられたのはいつ頃だったかな。

 それは多分、何の犯罪もおかさず、三十を迎えようとする頃。どうやらこの気性がどこかで劇的に変わって連続殺人犯になることはなさそうだと思うことができたあたりで、わたしは結婚し、子どもを二人もうけ、人を育て愛することで、自分を再生してゆくことができたのだと思います。

 上の子は予定日を二週間も遅れて(助産院だったので悠長に待ってくれました)偶然、わたしと同じ誕生日に生まれました。そして書き出せばきりがないぐらい、わたしと何か記憶がつながっている部分がすごく多いのです。

 これに関してはここで書くのはやめにしますが、娘も「ママとはただの母子じゃない気がする」といいます。わたしもなにか、確かに何かすごく重い深い縁があって、出会うべくしてこの世でであった気がするのです。


 いまわたしは、様々な混乱から解き放たれて、まあ先端恐怖と閉所恐怖は残りましたが、今迄の人生の中でたぶん一番穏やかに健やかに暮らしています。

 人はただ偶然この世にポンと生まれるわけではなくて、何か長大な因果律の中で、その流れの中でこの世に生まれ、どう生きたか生ききったかで、また違う流れの中に帰ってゆく。今はそんな風に感じています。


 不思議なのは、あれほどの犯罪を犯した男が本当に自分の前世なら、なぜ自分は下等な虫けらやひどく虐待される動物や家畜にならず、ヒトとして生まれることができたのか。

 何が自分にこの人生を与えたのか?

 今となってはここが一番の謎です。


 さて、ここからは完全な付けたし。しょうもない話をここまで読んでくださった皆様へのおまけです。

 昔々お絵かき大好き娘だったわたしは、あこがれの大島弓子先生にファンレターを出し、ご近所だったこともあって修羅場のお手伝いに呼ばれたことが数回ありました。

 綿の国星シリーズ執筆中だったと思います。

 先生は隣のお部屋で原稿を書き溜め、それができるとアシスタント部屋に持っていらっしゃるのですが、煮詰っているとなかなか原稿が来ず、待ち時間の間は正直、暇でした。

 で、トイレに立ったある夜中、ひょいと先生のお部屋を半開きの戸から見てみたら、

 先生の頭に大きなピンクの猫耳が生えているではないですか!

 わたしは首を傾げながらも、何しろ綿の国星シリーズだから(主人公が子猫)猫の世界に入り込むために、耳付きのヘアバンドでもしてお仕事しているのだろうと勝手に納得していました。

 ところがそれをチーフアシさんにお話しすると、びっくりした様子で

「そんなはずないですよ-、一度もみたことないですもん」

 当の大島先生にお聞きしたら、慌てず騒がず

「そのようなものは持っていません」


 でもきっちり見たんですよ。あれ、何だったのかなあ。

 つるばら、つるばら。



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