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学校

作者: 生き神様

現役国語教師が、小説を執筆しました。

初投稿です。

感想いただけると嬉しいです。

よろしくお願いします。

学校


 私は学校を自動車の整備工場のようなものだと思っている。整備士が壊れた車を修理するように、教師は生徒を教育するのだ。

 はじめから整備の必要のない生徒もいれば、お大掛かりな修理をほどこしても到底走れないような車体まである。

 仕事は流れ作業で、壊れた車体の修理が完了すればオーナーに返却し、また壊れた車体を受け入れて修理をはじめる。

 車体の損傷が激しいからといって、強引に修理を行えば、車体が取り返しのつかないほど破損してしまう。修理は、厳しすぎず、甘すぎずのバランスが重要だ。

 このように考えるようになってから随分と仕事が楽になった。新任の頃は、放課後に自分の悪口が黒板いっぱいに書かれていたり、生徒からすれ違いざまに暴言を吐かれたりすることに精神をすり減らされ、命を絶とうと思ったこともあった。

 しかし今は違う。生徒に本気で腹を立てることもないし、生徒からどんなひどい仕打ちを受けようとも何とも思わなくなった。それは整備士が、破損した車体に見慣れるようなものだ。何をされようとも、特に何も感じない。

 整備士は破損した車体を見て、それに諦めることはあれ、恐怖や不安を感じることはないのだ。

 生徒は単なる壊れた車なのだから。

 私は放課後にいつも教室の掃除をすることにしている。教室は車を修理する作業場だ。作業場が汚れていれば修理がうまくいかない。車は思うように動かないし、こちらの修理も車体のすみずみまで行き届かなくなる。黒板をきれいに水ぶきし、床にモップをかける。明日の朝故障車が入庫してきたときによく様子が見れるように、カーテンはきっちりと開けておく。教室は、車体のメンテナンスに必要な情報も示してくれる。机に落書きが多ければオイル交換の時期が近づいており、引き出しの中が乱れていればタイヤが磨り減っているのだ。ロッカーの中が整理できていなければ、タイニングベルト交換の時期が来ているのかもしれない。

 外車のようにデザインはよくとも、頻繁に故障する車もあれば、地味でもしっかりと走ってくれる車もある。車体には個体差がある。人それぞれだ

 授業それ自体には何の意味もない。スパナやレンチがそれだけでは何の役にも立たないのと同じだ。スパナもレンチもそれを使って車のボルトを締め、ネジを回すからこそ意味がある。授業によって人格を矯正するのだ。授業自体には何の意味もない。ただ、私は好きなことを仕事にできて嬉しいと思う。

 職員室には人道味にあふれた「聖職者」がたまにいる。生徒と心から向き合い、思いを伝え合い、夢を語り合う。結構なことではないか。しかし、故障車に愛着を持ちすぎると厄介なことになる。修理がうまくいかなければ本気で落ち込まなくてはいけなくなるし、修理が終わってオーナーに車体を返却するときの虚しさといったら、筆舌に尽くしがたい。

 できるだけ生徒とは顔を合わせていたくないし、無駄な修理はしたくない。最小限の努力で、文句が言われない程度の整備をし、さっさと納車を済ませたい。

 教師としてはひねくれていると言われるだろう。実際に言われることもあるし、自分でもそう思っている。しかし、物事の価値は相対的なものではないか。

 誰がなんと言おうとも、私は整備をさっさと済ませて家に帰りたいのだ。休日にまで部活動に精を出し、ボランティアで車体のコーティング作業に関わるつもりはないし、仕事はあくまでも生きるための手段だ。家に帰ってまでの故障車のことを考えているなんて馬鹿馬鹿しい。修理が終われば金をもらって帰る。仕事はそれだけで十分だ。同僚からの評価アップのためなら労力を払うのもよかろう。熱心に故障車を修理する整備士を演じるのだ。馬鹿馬鹿しい。だか、それで年収五百万円ももらえれば安い仕事だと思う。

 そんなある日だった。いつものように朝の六時半に起き、朝飯をかき入れ、ヒゲを電動カミソリで大雑把に剃り、申し訳程度の歯磨きをしたあと、車に乗って出勤するために、一階のガレージに降りた。すると、私の愛車が一人の少女に変わっていた。

 彼女は私が気に入っていた黒い車体に見まごうばかりのミットナイトブラックのワンピースを着て、私がいつもポリッシュ溶液で丁寧に磨いていたヘットライトと同じように彼女の目は輝いていた。去年の夏に奮発してアルミホイールに変えた足回りは、ほっそりとしていながらスッキリとまとまっていた。彼女の長く美しい黒髪は、洗練された車体のアウトラインを思わせるように、なめらかで美しかった。

 彼女は半身になりながら私と目を合わせると、「乗って」と言わんばかりに私の腕を組んできた。



 彼女を学校の裏庭に駐車して、私は職員室に向かった。彼女は間違いなく私の愛車なのだ。世界の真理は相対的だ。客観的世界を認識する人間の感覚器官が主観を生み出すのだから、私の目には少女に見えていても、他の者には車に見えていたって不思議ではない。私が生徒を車として見ていたように。

 授業の空き時間や、昼休みになると私は私の愛車が心配になり、裏庭へ足を運んだ。季節は初夏だった。熱くはないか。水は飲みたくないか。日陰に移ってはどうか。なにか食べたいものはないか。そういった私の質問に、彼女はただ口元に笑みを浮かべて、首をかしげた。

 私は四六時中自分の愛車のことが心配だった、他の子供にいじめられはしないだろうか、暑さでどこか悪くなったりはしないっだろうか。

 私は定時の四時半になると、そそくさと職員室をあとにした。私の愛車は私を見つけるとさみしそうな顔をした。きっと一人で寂しかったのだろう。私は私の愛車と腕を組んで家路に向かった。

 そんな生活が半年ほど続いた。周りの者の目には私生活を投げ打って車を大切にする車オタクとして映ったことだろう。休み時間になると愛車に会いに行き、きれいに磨いてやる。定時になると一目散に愛車と腕を組んで帰った。自分のクラスの故障車のことなどもうどうでもよかった。私は、私の愛車が、このみずみずしい少女が可愛くて仕方がなかったのだ。

 そんな生活が半年ほど続き、彼女は動かなくなった。寒い冬の朝だった。彼女はガレージの隅でうずくまったまま、苦しそうな顔をしている。嫌な予感が胸を走った。もともと、私の愛車はビンテージ車だったのだ。

「部品も高くて手に入りにくいですし、きっと次の車検には通りませんよ」

というディーラーの言葉を押し切って買った車だった。まさかこんなに早くガタがくるとは思わなかった。目に見える所は毎日整備できても、中身の消耗部品ばかりはどうにもならない。こうなればもうプロに任せるしかない。

 私は信頼できる整備工場を探し、仕事を休んで彼女を運び込んだ。検査と修理を合わせて一週間ほどかかると言われ、私は泣く泣く彼女を置いて工場を後にした。彼女の寂しそうな顔が今でも忘れられない。

 一週間経ち、私のガレージに戻ってきた愛車は、ただの鉄の塊になっていた。正真正銘ただの「車」にもどってしまったのである。



 こんなことなら修理になど出さなければよかった。動かなくなり、冷たくなっていく彼女の横にいつまでも寄り添っていたかった。

私はピカピカに磨き上げられ、修理された私の「愛車」にもたれかかりながら涙を流した。

私は一晩中涙を流した。私は恋人を亡くしたのだ。


 どれくらい時間がたっただろう、ガレージの隅から朝日が差し込んできている。朝だ、「車」に乗って出勤する時間だ。私は鉄の塊に乗り込むと、キーを差込み、捻じ曲げ、エンジンをかけ、走り出した。軽快なエンジン音も、なめらかなステアリングも何もかもが腹ただしい。私の愛車はもっとハンドルが重く、エアコンの効きが悪く、おまけに燃費も最悪だったのだ。

 いっそこのまま死んでやろうか。恋人の亡骸と共に死を迎えるのも良いだろう。私にはもう欲しいものもない、失うものもない。そうだ、いっそ死ぬならあの忌まわしいガキども、故障車の集団に突っ込んで死んでやろうではないか。

 そう思い、私は勤務校の通学路へ、と、その瞬間、私の足はブレーキを踏んだまま動かなくなった、脳髄が震えた、全身が硬直した、戦慄が走った、嗚咽がもれ、涙が止まらない。

 目の前の横断歩道に立っていたのは、私の「愛車」だった。

 にっこりと微笑みながら、首をかしげている。風になびく黒髪が、私のエーテルとパトスを逆流させる。彼女の輝く瞳は私を捉えて離そうとしない。手を振って彼女は私に言う。

「せんせい、おはようございます。」

 そうだ、私は、「せんせい」なのだ。こんなに近くにいる可愛らしい「故障車」たちのことを忘れていた。提出物の出さない故障者も、私に舌打ちをする故障者も、友達をいじめる故障者、いじめられる故障車もみな愛おしい故障車ではないか。可愛らしい故障車ではないか。私は私の愛でもってこの愛おしい「故障車」たちを修理しようではないか。そのバンパーの汚れまでも愛おしい、クセのあるエンジン音をそのままに、私がいっぱいの愛情で修理してあげよう。

 私は学校を自動車の整備工場のようなものだと思っている。整備士が壊れた車を修理するように、私は今日も教壇に立つのだ。


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