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母なる惑星(ほし)

作者: TAKA丸

「暑いな……」

 十月に入っても、その年は気温が下がらなかった。

 と言うより、寧ろ益々上昇しているように感じられた。

 会社に備え付けられているエアコンは経費節約の為に滅多に点けられる事はないが、今年は例外なのだろう、七月の初めからずっと稼動している。

 しかしながら、その設定温度は当然高目にしてあるので、効果の程はイマイチだ。

 まあ、外よりはましといった程度だろう。

「言うなよ……余計に暑くなる」

 俺の隣の席にいる同期入社の友人は、少々 (とは本人の弁だが) 太めな為、この暑さが結構堪えているらしい。

 標準サイズの俺でさえ汗がひっきりなしに出て来るのだから、彼の辛さは想像に難くない。

「環境保全を主目的とする企業なら、文明の利器をあまり活用し過ぎるのも問題だからな。 これはこれでいいのかもしれんが……」

「ただのケチだと俺は思うがね。 ま、昨日までの三日間に比べたら、今日は幾分ましか」

「猛暑の後は残暑が続いて、秋も冬もすっ飛ばして春にでもなるか?」

「いや、この分だと春まで忘れられそうな感じだな」

「日本も常夏の国になるのかねえ? 俺には地獄だな……」

「おはよう……ございます」

 そう言って俺たちの部署に入って来たのは、中途採用で六月に入社した奴だ。

 梅雨時だったからという訳でもないのだろうが、どこか陰鬱な感じのする男だった。

 年齢は俺達と同じくらいなのだが、外見はえらく老け込んで見える。

 しかし別に害を与える訳でもないので、俺達はごく普通に付き合っていた。

「おはよう」

 ただ俺達以外の連中は彼の何が気に入らないのか、かなり冷ややかな対応をしている。

 いや……そう見えるだけなのかもしれないが……。

「風邪ひいてたんだって? もう治ったのかい?」

 大きな白いマスクをつけているところを見ると、完治した訳ではなさそうだが。

「ええ、何とか。 まだ少し熱がありますけど……」

「熱があるって事は、ウィルスが体内で活動してるって事だろう? それを殺す為に身体が熱を上げてるんだからな」

 太目な友人からしたら、細身な彼の事が心配なのだろう。

 かなり本気な目で言っている。

「あまり無理はするなよ? 身体を壊しても会社は何もしてくれないぜ? ……とは言っても、あまり休んでたら今度はクビか」

 この男が休んだのは三日間。

 急な病欠は、この会社が最も嫌がる休み方だ。

 そうは言ったって 「何月何日に病気になりますので何日間休みます」 なんて、事前に届けなんか出せるもんか。

「しっかりと釘を刺されましたよ」

「随分と嫌味を言われたんじゃないかい?」

「まあ、それなりに……」

 この部署の上役は、そういうタイプの人間だ。

 自分の失敗は他人に擦り付け、部下の手柄を横取りする。

 そのくせゴマをするのだけは上手いから、それなりには出世する。

 まあ、いざとなったら真っ先にクビを切られるタイプではあるだろう。

 と、ひとしきり心の中で毒づいたところで始業のベルが鳴り、俺達は仕事に取り掛かった。


 昼休みになり、俺達は昼食を摂る為、外に出ようとしていた。

「この暑い中、外へ行くのか……」

 太目の友人は汗を拭いつつ、ウンザリした表情で言って来た。

「仕方ないだろう? 社員食堂は廃止されちまったし、弁当を作ってくれるような相手もいないしな」

「本当かあ? この間、綺麗な女性と歩いてたって事務の子が言ってたぞ?」

「そんなカマには引っ掛からんよ」

 そういう相手がいたら愚痴なんかこぼさずに、もっと意欲的に働くさ。

 そんな事を思いながら、ふと視線を例の男の席に向けた。

 たまには一緒に食事に行こうと誘うつもりだったのだが……。

「あれ? 彼はもう出たのかな?」

「早いな。 まあいいさ、それだけ食欲が出たんだろ。 結構な事じゃないか」 

「そうだな」

 俺達はそれ以上気に留めず、灼熱の太陽が出迎えてくれる外へと出て行った。

 だが、この暑さではあまり食欲もわかず、簡単に済ませた俺達は少しでも涼を取ろうと考え、会社の傍に新しく出来た、リラクゼーションルームへと向かった。

「真っ直ぐ会社に戻っても、昼休みの間はエアコンが使えないからな」

「経費を節約するなら、無能な上司をクビにした方が早いと思うがね」

 勤務時間外だといっても拘束時間内なのだから、社の冷房を使わせて欲しいものだ。

 そんな不満もあって、俺はかなり露骨に悪態をついた。

「そう言うなよ、彼らにだって家庭があるだろう。 家族を路頭に迷わせない為に必死になってるんだから、多少横暴な部分だって出て来るさ」

 そう言われると、何だかこちらが悪党のように思えて来る。

 この友人は見かけ同様、心根も丸いようだ。

「クビを切るなら、寧ろ独身の俺達だろうな。 色々な事情を考慮しなくて済む分、切る方も気が楽だろう」

「怖い事を言うなよ。 ……ん? あそこにいるのは……」

 何の気無しに目をやった先には公園があり、生い茂った木の枝が作る影の中に、彼は一人で佇んでいた。

「何をしてるのかな?」

「涼んでるんだろ? 木陰は案外涼しいからな。 それに彼は線が細いから、エアコンの冷風は却って堪えるのかも知れん。 まだ風邪も治り切ってないみたいだしな」

「成る程……」

「だが、俺達はエアコンの冷風を求めてるんだ。 さあ、早く行こう!」

 文明に骨の髄まで毒された俺達には、自然の涼よりも不自然な冷風が恋しい。

 それが自然を破壊する行為だと知りつつも、手軽な快適を求めるのだ……。


 その日の夜も熱帯夜で、俺の部屋ではエアコンが大活躍していた。

 一人暮らしでは夕飯を作るのも面倒臭いし、食べに出るのも金が掛かる。

 という訳で、今、俺は四本目の缶ビールを開けようとしているところだ。

 そんな時、俺の部屋のドアをノックする音が聞こえた。

 インターフォンも付いてはいるのだが、故障したままに放置してある。

 自分で直せない事もないが、単に面倒臭いのだ。

「はーい、どちらさん? 新聞なら間に合ってるよ?」

「僕です……夜分にすみません」

「え? ああ、君か。 ちょっと待っててくれ、今開ける」

 いつもの如く張りの無い声の主は、ドアを開けると軽く会釈をし、俺が招き入れると静かに部屋の中へと入った。

「随分冷えてますね……」

「ちょっと冷え過ぎかい? じゃあ、少し落とそう」

 俺はエアコンの設定温度を上げ、風量を下げた。 

 途端に部屋の温度が少し上がったのを肌で感じた。

「しかし今年は残暑が続くなあ……。 ビールしかないんだが、いいかい?」

「あ、お構いなく……」

「呑めない訳じゃないんだろ? 少し付き合えよ」

「はあ。 じゃあ、少しだけ……」

 彼に冷蔵庫から出した缶ビールを手渡すと、自分も飲みかけを飲み干し、新しいビールのプルトップを開けた。

 さすがに冷蔵庫から出したばかりのビールは冷えていて旨い。

「それで、今日はどうしたんだい? 君が訪ねて来るなんて初めてだろ」

「実は……僕、会社を辞めようと思ってるんです」

「合わなかったかい?」

「それもありますが、しなければならない事があるんです」

 力の無い声とは裏腹に、彼の目にはある種の光が宿っていた。

 一瞬、彼が何か犯罪でも犯すんじゃないかと心配になったくらいだ。

「何をするんだい? 差し支えなかったら教えてくれないか?」

 俺は彼を刺激しないように注意しながら、彼が何をするのか聞き出そうと思った。

 もし法に触れることをしようというなら、それは止めなければならない。

 安っぽい正義感なんかじゃないし、巻き込まれるのが厭なのでもない。

 自分の知り合いが犯罪者になるのが厭だという、ただそれだけの理由だ。

「今まで僕は国内だけじゃなく海外へも行って、そこで色々な人達と出会いました。 色んな仕事を経験してみて、色んな事が解りました」

「へえ、意外と行動的なんだな」

「どこへ行っても変わり者扱いされてましたけどね」

「そうか」

 俺はその事について否定も肯定もしなかった。

 その必要は無いと思えたからだ。

 彼は別に俺に意見を求めている訳ではなく、ただ話しを聞かせたいだけなのだから。

「僕はずっと悲鳴を上げてるんです。 でも、誰もそれに気付いてくれないんです……解り易いサインだって送ったし、実際に色々な警告だってしたのに……」

「え?」

「ずっと我慢して来ました……。 でも、もう限界です」

「おいおい……」

 こりゃあマズい。

 会社に爆弾でも仕掛けるか、それとも社長と刺し違えるか……。

 何にしても、まともな考えを持っていないようだ。

「まあ、落ち着けよ。 色々と不満はあるだろうが、それはみんな同じだよ」

「そうでしょうか? 僕にはそうは思えません」

「そりゃあ一部の恵まれた生活をしている奴は然程感じないかも知れんが、少なくとも俺達一般市民は色々と不満を抱えて生きてるよ」

「不満……何が不満なんです? 暑い時には涼しく出来て、寒い時には暖かく出来る。 お腹が空いたら満腹になるまで食べられて、咽が渇けば何でも飲める。 雨、風を凌げて、病気になれば治療を受けられる。 ……不満って何です?」

「……」

 こう理路整然と喩えを上げられると何も反論出来ない。

 給料が安いとか休みが少ないとか……彼女の一人もいないとか……。

 浮かんで来るのはその程度の事ばかりだ。

 考えてみれば、実際、不満らしい不満なんて本当は無いのかも知れない。

 生きて行く上での不満なんて……。

「しかし、それはあくまでも 『ただ生きている』 上での事だろう? 人間は、もっとメンタルな部分での価値観を持っているんだ。 それだけじゃ満足な生活をしているとは言えないんじゃないかな?」

「物心共に満たされない限り、人間は満足しないと言う事ですか?」

「まあ……身も蓋も無い言い方をすれば、そうなるかな?」

「欲が深いんですね、人間て……」

「その欲があるから、何かをしようという気も起きるんだけどね」

 言っていて、何とも説得力が無いな……と、俺は自分に苦笑した。

「でも、その欲は止まる事を知らない。 だからここまで環境が破壊されてるんでしょう?」

 どうやら彼は随分と高尚な考えを持っているらしい。

 これは益々以って危険だ。

「ま、まあ、難しい話しはこれくらいにして、だ。 会社を辞めて、他に何かあてがあるのかい?」

「いえ、特にありません」

「じゃあ、もう少し頑張ってみたらどうだい? このご時世だ、再就職もなかなか難しいだろう?」

「大丈夫です。 生きて行くだけなら問題ありませんから」

 ホームレスにでもなるつもりかい?

 危うくそう訊きそうになって、俺は言葉を飲み込んだ。

 いくら何でもそれは非常識な質問だし、彼を刺激してしまう結果になりかねない。

「本当にお世話になりました」

「いや、俺は特に大した世話もしてないさ。 ごく普通に接していたに過ぎないよ」

「いえ、お二人には随分と気にかけて頂きました。 だから貴方達だけは何とかします」

「……はあ?」

「それでは、僕はこれで」

 そう言うと、彼は俺が引き留めるのも聞かずに部屋を出て行った。

 テーブルの上には、いつの間に呑んだのだろう空になったビールの缶だけが、彼の存在そのままにひっそりと置かれていた。


 翌日から気温の上昇は最高記録を更新し続け、連日 『異常気象だ』 という声がテレビから流れていた。

「駄目だな……外の暑さに負けてるんだ。 エアコンなんて効きやしない」

「室温が三十五度を超えそうだぞ。 俺はもう脱水症状でも起こしそうだよ」

 汗かきな太目の友人は、そう言いながらペットボトルの水をガブ飲みしている。

 それで余計に汗をかくのだが、水分補給をしなければ本当に参ってしまうだろう。

 事実、ここ数日で死亡した人の殆どが脱水症状を起こしているのだ。

 あと何日かこの状態が続けば、冗談抜きで首都機能が麻痺するかも知れない。

「ロシアの永久凍土も溶け出してるらしいな」

「それどころか、南極や北極の氷山まで小さくなってるらしいぞ? これじゃ常夏程度じゃ済まないな……灼熱地獄だ」

「彼は大丈夫だろうか……?」

 ふと、彼の事が頭に浮かんだ。

 彼は予告通りに退職願を出し、そのまま誰に告げるとも無く姿を消した。

 上司は相変わらず嫌味タップリに送り出したことだろうが、辞めて行く者にそんな物は効果が無いだろう。

「そんなに体力があるようには見えなかったし、この暑さでやられてるんじゃないかな?」

「ああ。 風邪で体力が落ちてたところに持って来て、連日のこの暑さだからな。 何事も無ければいいけどな」

「風邪……か」

『いえ、お二人には随分と気にかけて頂きました。 だから貴方達だけは何とかします』

 不意に、あの夜の彼の言葉が頭に浮かんだ。

「どういう意味なんだろう?」

「ん? どうかしたか?」

「いや、何でも……」

『熱があるって事は、ウィルスが体内で活動してるって事だろう? それを殺す為に身体が熱を上げてるんだからな』

「……ははは、まさかな」

「何だよさっきから。 暑さで頭でもやられたか?」

「いや、どうもつまらない事に考えが引っ掛かってしまってな」

「そりゃ、やっぱり暑さのせいだな」

 その時、大学である教授から聞かされた 『ガイア理論』 を思い出した。

 小難しい事は殆ど忘れてしまったが、端的に言うと、地球を一つの生物として捉える考え方だ。

『地球が生命ならば、増え過ぎた人類とは、あたかもその身に巣食う癌細胞のような物である。 癌は自身から生まれ出で、やがてその身を死に至らしめる』

「ジェイムス・ラブロックだったかな……?」

「あ? 誰だそれ、ハリウッドスターか?」

「イギリスの博士だよ、生物物理学のね。 医学博士号も持ってる」

「で、それがどうしたんだ?」

 太目の友人は暑さにウンザリしながら俺に訊ねた。

 パタパタと書類で扇いでいるが、その風は生温い。

「別にどうもしないよ。 ただ、人間は地球にとって、どの程度価値がある存在なのかと思ってね」

「人間の価値? ははは、そんな物ありゃしないよ」

「無価値かい?」

「そりゃあそうだろう。 もし俺が地球だったら、人間が邪魔で仕方ないと思うだろうね。 破壊と汚染の限りを尽くしておきながら、その相手の恩恵に与ろうとする。 こんな身勝手な存在に恵みを与える気にはならないよ」

 相手の立場に立って物事を考えられるこの男にして、こう言わしめる存在なのか、人間は……。

「……そのせいなのかもしれないな」

『今の環境問題は、所詮人間が人間自身の文明を破壊する程度の問題であり、地球という惑星の存続には何ら脅威を与えない。 よって、地球を守ろうなどとエコロジスト達が叫んでいるのは大きな誤りであり、人間の力の過信である。 ここまで来たら人類が絶滅しかけるのは逃れようが無い事だ』

「滅ぶべくして滅ぶ……か」

「そうならないように、俺達みたいなのがいるんだろ?」

「彼は……そう思ってくれるだろうか……?」


『しなければならない事があるんです』


 その年の十二月。

 地球は観測史上最高の気温を記録した……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私は、この小説で「不満なんかないじゃない」という文がすごく印象に残った。 人間は、少なくとも先進国の人間は生きるのに何の不自由もないのに、お金がないだとか、もっとおいしいものがたべたいとか、…
[一言] とても面白いです。世界観とストーリーがぴったりです。……この物語に救いを見出すなら、TAKA丸さんはどこに見出しますか?
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