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双月の恋  作者: 藤之恵多
暁の章
4/6


 迦月は屋敷の造りに詳しかった。朔夜の乳兄弟ならば、生まれてからずっとこの家にいるはずだから何もおかしなことはない。

 ここを曲がると東の対、このまま進むと月葉さまの局と様々なことを説明しながら進んでいく。

 遥日は全ては覚えられなくとも、なるだけこの屋敷の造りを把握しようと頭の中に地図を思い浮かべ一つずつ書き込んでいく。不思議な事に、その間誰ともすれ違うことはなかった。


「さて、ここから先が南の対。盛名様の居場所はさすがにわからないから、誰かに尋ねて?」


 ぱらりと迦月の髪の毛が肩から滑り落ちた。ここまで一緒に来てくれるなんて、親切な人だと遥日は最初にからかわれた事を棚に上げて思った。

 迦月と話しているうちに緊張は大分取れ、手の震えはいつの間にかなくなっていた。家人の少ない七図家は人の賑わいというものが遠く、静かで、気を紛らわすことができなかったのである。それを無くしてくれたのは迦月に他ならない。


「はい。本当に丁寧にありがとうございました」


 深々と頭を下げる。

 考えてみれば迦月にも仕事はあるはずで、こんなにも長い時間を遥日に割り振るには相当な無理があったはずなのだ。

 色々な感謝を込めて、遥日は頭を上げた後も迦月を見つめていた。もしかしたら、この時に忘れていた緊張が戻り、顔に出ていたのかもしれない。迦月がいなくなる――迷っていた所を助けられた遥日にしてみれば、気持ち、再び道に迷うようなものだった。


「そんなに、不安そうな顔をしなくても、盛名さまはお優しい方よ」


 困ったような、まるで幼い子供を見るような瞳で迦月は遥日の頬をつついた。その感触に遥日がびっくりして目を丸くすれば、「そうそう」とひとりで軽く頷き笑顔を見せる。


「笑顔で、堂々と、礼儀正しく、挨拶なさい。

 あなたは朔夜さまから文を託されたのでしょう? それは立派な、あなたの初仕事なのだから」

「……はい!」


 迦月の言葉を胸に刻む。

 遥日の歯切れのよい返事に、迦月は「よろしい」と嬉しそうな笑顔を浮かべていた。



「盛名さまなら奥で書き物をなさっているよ」


 迦月と別れた後、東の対とは違い人の多いらしい南の対で、すぐに家人を捕まえ事情を話したところ、返ってきた答えがこれである。

 忙しい様子を引きとめ続けるわけにもいかず、遥日は礼を言うと自分の足で奥へと進んでいた。戸惑う事無く足を進められるのは南の対までの道すがら迦月が大体の間取りを教えてくれていたからである。

 七図家の邸宅はおおまかに四つの対と庭から出来ており東と南の対の造りは非常に似通っていると説明されていた。

 自慢ではないが、東の対は散々歩いていたため大体のこと、部屋の数などは把握していた。広すぎる対に嫌気が差しもしたが毎日働いていれば慣れるだろう。

 一つ一つ確認するように進んでいく。わかっていたことだが部屋の数は膨大であった。

 さっき引き止めた侍女の言う奥がどの辺りを指しているか、遥日にはわからず、それでも進むしか方法はない。地道な作業の繰り返しの果て、遥日はその人を見つけることができた。

――涼やかな風が吹くような横顔。華奢な体つきは、まるで柳のようで、その手に持たれた筆は滑らかに流麗な軌跡を描いていく。

 最後の局で見つけたその人は見た瞬間に貴族の嫡男であることが理解できた。

(うわぁ……)

 遥日は言葉を失くした。朔夜の兄である盛名は、血のつながりを濃く感じさせる顔立ち、美しいとしか言えない美貌を持っていた。

 さすがは七図家と遥日が胸のうちでし切りに感心していると、その気配を感じたのか盛名が目を通していた書物から顔を上げる。しゃらりと音が鳴るような涼やかな佇まいは都の中でも舞で名の通った貴公子らしく、向けられた視線だけで思わず後ずさりしてしまうそうだった。


「そこにおるは、誰ぞ」

「は、はい!」


 笑顔で、堂々と、礼儀正しく。

 遥日は先ほど迦月から言われた言葉を思い出し背筋を伸ばした。

 切れ長の瞳がじっと自分を見つめている。跳ねる鼓動を押さえつけ、声が裏返らないように注意しながらゆっくりと音を紡ぎ出す。


「朔夜さまから盛名さまへの文を持ってまいりました」

「朔夜から? 受け取ろう」


 許可の言葉に遥日は恐る恐る足を踏み出す。

 ここで裾など踏んで転んだら大惨事であり、雇ってもらった日に解雇なんて不名誉なことになりかねない。家で待つ妹たちのためにも頑張らなければと盛名の前へと移動し、一礼してから文を差し出した。

 男にしては白い優美な指が視界の上から伸び、貴族の娘にしては働き者の手である遥日の掌から文を取っていく。

 舞をしている人など今までいなかったため比べようもなかったけれど、風流人とはこういう姿になるものなのかと遥日はこの家に来てから何度目かわからない感嘆を漏らした。


「そなた」


 そんな風にぼんやりとしていたからだろうか、最初その言葉が自分に投げかけられたものだと気付かなかった。今この場には遥日しかおらず、必然的にその声は自分に掛けられたものなのだと遥日は数秒遅れて認識した。


「そなたが新しくこの家に来た者か。ふむ、どんな者かと思っていたらば……」


 顎に指を当てつつ、盛名はしげしげと遥日を見た。

 その視線はまるで珍しいものを見たという感じで、遠慮も配慮もない。向けられる視線の意味を理解できない遥日はただ困惑するしかなかった。

 足元から頭の先まで見られた後、今度は頭から足まで視線を戻される。不躾極まりない視線ではあるが、盛名は自分の上司にあたるような人間である事を考えるとされるがままになっているしかない。遥日は文を差し出したときから頭を下げたまま、じっと我慢していた。


「なるほど、なるほど。これはまた、面白い」


 どれだけの時間をそうやって過ごしたのかはわからない。手に汗がじんわりと滲んできた所で盛名はそう言い放った。


「はい?」


 我慢していた。失礼のないように。

 しかし、それでも、唐突にわけのわからない事を言われれば驚くものである。したがって、この時遥日の口から声が漏れてしまったのも致し方ないことなのだろう。

 面白い――自分は風流人からそう言われてしまうほど変な顔なのだろうか。

 思わず顔を上げた遥日の視界に、口角を上げ、悪戯に笑う盛名が映っていた。悪そうな顔だった。

 悪戯好きの子供がするなどというものではなく、悪人がよいことを聞いたときの顔に近い。これで場所が都の外れで、盛名の顔がもっと強面だったならば賊と間違われること間違い無しである。

 それがただの笑顔に見えてしまうのだから、顔の良いこと、雰囲気の素晴らしいことは得なものだと遥日は思考の端で考えていた。


「あれが好むのはそなたのような顔か。似ていないと思っていたが、似ているところもあるものよ」


 "あれ"が誰を指しているのか遥日にはわからなかった。

 それでも盛名の口ぶりからするに、彼に近しい人であることは自ずとわかった。そして"あれ"が好むのが遥日のような顔ということは、遥日がこの七図家に呼ばれた理由に関わっているのだろう。

 月葉は遥日を「私の子が選んだ」と言っていたのを含めて考えると、盛名でないとすれば朔夜であり、自分の主になったことからしてそう考えるのが自然のような気はした。けれどこの時、遥日はすんなりと自分の出した結論に納得することが難しかった。

 それは盛名が口に出す"あれ"という言葉が朔夜にはあまりにも不釣合いだったからかもしれない。


「盛名さま? 申し訳有りませんが、私には先ほどから何をおっしゃっているか――」


 わかりかねます、と紡ごうとした言葉を遮るように、盛名は顎を擦っていた指を離すと片手に持っていた文に一度視線を置いてから言った。


「ふむ、一言でまとめれば、そなたは私が好む顔をしているということだ」


 俯かせた顔からも未だに口角が楽しそうに笑っているのがわかった。

 何を言われるのだろうと身構えていた遥日であったが、こういう言葉は予測していない。

 遥日は今年で15も過ぎるよわいであり、浮いた話の一つや二つくらいあってもよい。それどころか夫婦になっている娘も貴族では少なくないというのに遥日はこういう話には縁がからきしなかった。つまり、耐性もなかった。


「は」


 面白いほど体が硬直する。開いた口が塞がらない。

 盛名のような美丈夫を遥日は他に知らないし、これからも多くはならない確信があった。

 その盛名から好みの顔だと言われ、顔に昇る熱を止めることができない。その一方冷静に物を考える思考の一部は、からかわれているに違いない、冗談に違いないと必死に彼の人の言葉を否定しており、遥日の頭はまるで働いてくれなかった。


「冗談ではないぞ。私は好き嫌いがハッキリしている」


 頬を赤く染める姿に盛名は楽しそうに笑うと、遥日がやっとの思いで口に出そうとしていた言葉を否定した。

 にやにやとした笑顔に頬の熱は際限なく上がって、まるで熱を出しているような心地であった。どうすればいいのかわからないのだから、固まり続けるしかない。

 ふと似たような状況になった気がすると思い、すぐさま迦月の事を思い出す。

 迦月が遥日に言葉をかけられ、からかいの言葉を投げられたときのことである。

(七図家の人は冗談が好きなのかしら)

 顔の熱を一刻も早く下げるために思考を逸らす。似たような笑顔を浮かべた迦月と盛名が脳裏で浮んでは消えた。

 紅くなったり、固まったり、はたまた首を傾げたりと忙しない遥日の動きを一通り堪能した後、盛名は何かを思い出したかのように表情を変えた。


「ただ、そうよの」


 パシンと扇が盛名の掌を強く打つ。

 舞が得意とされる盛名の扇は男扇であるにも関わらず、洗練され、質素でありながら見劣りすることは少しもない上級品であった。

 朔夜からの文をある程度畳み机に置いてから盛名は立ち上がった。座ったままであっても姿勢の良さが目に華やかだったが立ち姿は更に違う。すっと一本芯が通った歩き方は、まるでそこが舞台だと勘違いをしてしまいそうなほどの空気を作り出していた。


「お主に手を出せば怖いことが起こるから何もしはせん」


 遥日の目の前まで来た盛名は音もなく膝を折り、直線的でありながら鋭さを感じさせない動きをもって遥日の顎の下へと扇の先を忍ばせる。そして何をされたのか分からないまま顔を上げさせた。

 自然と遥日は盛名の顔を至近距離で見ることになり、ようやく収まってきていたはずの頬の朱が再び色濃くなる。

 盛名が口にしている言葉などほとんど耳には入ってこなかった。ただ相変わらずその言葉たちにからかいが多分に含まれているのだけは感じ取れて、遥日は目を白黒させるばかりだ。


「そなた、名は?」


 切れ長の瞳はどことなく迦月を思い出させた。朔夜ではないのは、きっと彼女にこの雰囲気がなかったからだろう。何にせよ、迦月と朔夜は瓜二つであるのだから朔夜にも似ていることは間違いなかった。


「遥日と申します」


 小さく息を吸ってから名前を告げる。逸らされない視線に羞恥が募り遥日は失礼でないように気をつけながら目を伏せた。


「はるひ。いい名ではないか」

「ありがとうございます」


 高貴な人の口から発せられれば自分の名前でもどこか特別なものに聞こえる。響きを確かめるように呼ばれた名に遥日は頬を緩めた。

 そうしてから気付く。高貴なという部分が重要なのではないのかもしれないと。

 大路家も一応ではあるが貴族の家柄であり、位だけならば七図家と同じ家の貴族と顔を合わせたこともあることにはあった。

 父親が健在の頃はまだある程度の矜持を保てていたのである。その時にも貴族の長女として挨拶をしたことは幾度かあったけれども、名前を呼ばれただけで嬉しくなってしまうようなことは七図家の一族が初めてであった。

 ならば、これは、きっと。七図家が特別な家であることの証明のようなものなのだろう――遥日はそう思った。

 都の轟く雅な一族、七図家。その証なのだろうと。


「では、遥日。朔夜にはこう申せ。"文は確かに受け取った。お主の見せたいものもわかった"とな」


 遥日が思考の海に一時身体を沈めていた間にも盛名は動いていた。

 いつの間にか扇は盛名の肩へと移動しており、恐らく手首を返しただけの小さな動き、それも気付かれないように微かな力にさえ気を配ったもので遥日の顎先から動かされたのを知らしめる。


「しかし昼過ぎに着いたと聞いていたがそれにしては早い仕事だったの。この家は慣れるまではちと不便だろうに」


 盛名が眉を少しだけ上げ、疑問を貼り付けた顔で遥日を見た。

 やはり最初の頃は誰でも迷うものなのだなと遥日は自分の迷子体質を棚に上げて納得した。ここに迦月がいれば、一笑とともにその考えを否定してくれただろうが、その人は今いない。


「はい。迷っていた所を朔夜さまの乳兄弟である迦月さまに助けられまして」


 迦月がいなければまだ南の対にも着いていなかった。青葉を眺めていたときに迦月に出会えたことは幸運としか言いようがない。遥日はそう思っていた。

 遥日の言葉を聞いた盛名は一度、驚いたように瞳を広げると、それから納得したように何回も頷いて遥日を見た。


「迦月に。それは運が良い。東の対で人に出会うのは難しいからの!」


 にっと笑って、機嫌よく響く声が遥日に届く。

 何がそこまで盛名の胸を打ったのか、遥日には予想も着かなかったが、とても機嫌が良いことだけは容易にわかった。それは盛名の口から漏れる言葉の高さや強さがまるで踊っているかのように感じられたからだ。

「青葉を眺めていた所、声をかけてくださいました。途方にくれていたのでとても助かりました」

 静かに頭を下げる。

 登場の仕方は良いものではないけれども、あそこで迦月に出会えていなかったらと考える方が遥日には怖い。

 音も気配もなく背後に立たれたときには腰を抜かさんばかりに驚いたが、手を辿り、見た顔が主である朔夜と瓜二つということで更に驚いた。人間驚きすぎると逆に体が固まってしまって動けなくなるのだなと遥日は今日知ることができたのだ。


「良い良い。こちらも助かる」

「はい?」


 深く頭を下げる遥日に盛名は軽い調子で返した。その声に乗せられる音に変わりはなく、機嫌がよい。僅かに開かれた扇で口元は隠されているが瞳で盛名の表情が笑んでいる事を察するのは簡単だった。

 はらりと揺らされた扇が遥日の元に香りを運ぶ。今の季節に相応しい、華やかな香りで、本来男には似合いそうもないものであるのに盛名が焚き染めていると少しも違和感がない。


「なに、こちらの話だ」


 掌を軽く振り、気にするなと盛名が伝える。

 脇息にもたれかかる姿は腰がすえられていて、とても落ち着いているのに対し、雰囲気は興味深いものを見つけた男の子のようであった。そう、遥日さえいなければ今すぐにでも局を飛び出して何処かへ走り出しそうな気がした。


「引き止めて悪かったの――帰りは一人で大丈夫か?」


 にやりとした顔に浮ぶのは明らかなからかいである。今日、その顔を見るのは何度目になるのだろうかと慣れ始めた思考で考える。

 元々しっかりした性格というわけではないが一日でこんなにからかわれるのは初めてだ。

 いい加減、冷静に切り返せるようになってもいいような気もした。それでも一人の人間が出来る反応というのはそんなに多いものではないらしい。勝手に頬に熱が集まって行き、顔が熱くなるのがわかる。これはまた赤面しているに違いないと遥日は思った。


「大丈夫です! 迦月さまに道は教えていただきましたから」

「ほう。ならば何も言わんさ。南の対は人が多い、不安ならば尋ねて帰るがよい」


 心配が少量含まれた声音で告げられる。残りの大半は言うまでもない。盛名は相も変わらず楽しそうな微笑を浮かべつつ遥日を見つめていた。


「……ありがとうございます」


 含まれる感情に不満はあれど、言葉だけを捉えれば心配されていることに違いなく、遥日は静かに頭を下げた。

 私情は別にして礼儀はしっかりとしなければならない。たとえ兄弟間のことであっても、遥日は朔夜の使者であるのだからその立場に則った態度を示さなければならない。笑顔で、堂々と、礼儀正しく。迦月が教えてくれたそれはまさに使者の姿勢であった。

 どちらにせよ、遥日の初仕事は無事終わり、迷いながらも何とかたどり着いた朔夜の局で、迷ったことから迦月に助けられたことなどの顛末を報告することになったのはまた別の話である。

 

予定通り投稿。

次回予定は2/13です。


ではでは。

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