道しるべの花
七月のむしあつい、ある週末でした。
仕事をおえて、夕暮れ時。
県道でバスをおりて、村への道をたどる途中でした。
「ああ、ことしも、もう、こんなに」
わたしはそっとしゃがみました。
道ばたの雑草が白いつぼみをつけています。
ちいさな、かわいらしい、つぼみです。
もう明日にも咲きそうです。
ちいさな、かわいらしい、花なのです。
茎のさきっぽが、おじぎをするみたいに下を向いて、つぼみはそこからぶら下がっています。
まるで、ちっちゃな豆電球。
花がさくと、それがふわっとひらいて、つり鐘形のランプシェードみたいになるのです。
みたい、どころでは、ありません。
つぼみがひらいた、最初の夜。
白い花が二、三日は咲いている、その最初のひと晩だけ。
そのかわいらしい、ちいさな花は、ほんとうに、ほんのり、白く、ひかるのです。
このあたりでは、ひと夜ちょうちん、なんて呼んでいます。
ほかにも、土地によっては、きつねのランプだとか、ほたるぶくろだとか、そんな呼び名もあるようです。
朝、花がさいて。
昼間は、なんともないのです。
でも、だんだんと日が暮れて、あちらこちらの街灯も、そろそろ灯をともそうかというころになると……
道ばたの側溝のすきまだとか、
電信柱の根もとだとか、
そこかしこの田んぼのあぜ道だとか、
そんなところで、花はひっそり、ひかるのです。
一輪、二輪、三輪、と、白く、すずしく、ひかるのです。
そこだけぽうっとあかるくて、まるでちいさな常夜灯。暗い夜道の足もとを、静かにそっと照らすのです。
なかでも、お宮への道は、きれいです。
今はたがやす人もいない、草ぼうぼうの田んぼや畑にはさまれて、街灯だってほとんどない、村の中でもひときわ暗い夜の道。
そのまっくらやみの道ぞいに、ぽぅっとひかるその花が――ここにひとむら、あそこにひとむら――ずっと先まで、つづくのです。
あっちにも、こっちにも、ああ、向こうにも……追いかけ、追いかけ、たどっていきたくなるのです。
たどっていくと、だんだん、花はふえてきて……一の鳥居につくころには、みぎもひだりも、地面はもう、その白いひかりでいっぱいなのです。
鳥居をくぐってさらにすすむと、鎮守の杜のぜんたいが、下から、ぼうっと、ひかるのです。
そして、その夜にかぎって、なぜだかいつまでたってもお宮にはつかなくて、ただまっすぐ一本きりの参道が、ずっと、ずうっと、つづくのです。
「ひと夜ちょうちん咲いたげな」
「ひと夜ちょうちん咲いたとな」
「ひと夜ちょうちんぽんぽろぽん」
「のんのんのんのんぽんぽろぽん」
わたしたちは、めいめい一輪つんだその花を、小人のちょうちんみたいに、指につまんで行くのです。
囃しことばをとなえながら、夜の奥へと行くのです。
*
「ばあちゃん、つぼみ、ついてたよ。明日にも、さきそうよ」
つぼみを見つけたその帰り、途中で、杉田のおばあちゃんのところに寄りました。
「おや、もう、そんなかい。どれ。――ああ、庭のも、つけてるねぇ。明日あたり、さきそうだねえ」
「ばあちゃん、ことしは、どうするの」
「うちのは、酒さえあれば、ごきげんだからねえ。まあ、なにかてきとうに、アテになるものでも、こさえとくよ。あんたは、ことしも、ぼたもちかい」
「あの子が、すきだったから」
「もう何年だね」
「八年よ」
「はやいねえ」
おばあちゃんが、ため息みたいに、いいました。
それから、わかれて、家に帰りました。
その道すがらにも、白いつぼみは、そちらこちらで、風にそよそよ、ゆれているのでした。
すると、次の日には、やっぱり、思ったとおり、庭にも、道ばたにも――あっちにひとむら、こっちにひとむら――かれんな花が、ひらいているのでした。
わたしは、もう、わくわくして、朝からしゃっきり、はりきってしまうのでした。
ぼたもち用のあずきを水にひたしながら、
「ひと夜ちょうちん咲いたげな」
「ひと夜ちょうちん咲いたとな」
はやくも、口のなかで、そんな囃しことばをつぶやいて、鼻歌なんか歌ってしまうのでした。
「そうだ、中村屋さんまで、行ってみようかしら」
中村屋さんは県道沿いの小さなスーパー。もとは村の雑貨屋さん。移転して大きくはなったけれど、このあたりで買い物といったら、いまもやっぱりあそこです。
おりよく今日は日曜日。せっかく時間があるのです。おはじき、千代紙、シャボン玉。あの子がよろこびそうなものを、いくつかみつくろってみたいのです。
中村さんもこの時期には、ちゃんと、そうしたものを多めに仕入れてくれているはずです。
天気もよし。思い立ったら、じっとしていられなくて、朝ごはんもそこそこに、洗濯物だけちゃちゃっと干すと、わたしはいそいそ、でかけたのでした。
そしたら、ことしは、そのお店に、きれいな和物の、端切れセットなんて、売っていたのでした。
大量生産のセット品なんて、と、最初は思いましたけれど、でも、最近は、ばかになりませんねえ。よく見ると、なかには、布地も柄もずいぶん上等なのがまじっているみたい。
「便利な世の中になったものねえ」
なんて、ちょっと年寄りくさいかしら。
でも、そうね。ことしは、日曜だから。いまからでも、時間、たりるかしら。まにあうかしら。
そう思って、ほかのといっしょに、ためしにそれも買ってみたのでした。
「わりといいでしょ? ことし、はじめて仕入れてみたの」
「ほんと、きれいね」
「なにか作るの?」
「あずきが、あまってるから……お手玉にでもできるかしらって」
「チヨちゃん、よろこぶわね」
レジでそんな話をしたりもして。
売場のあちこちでも、お客さんどうし、
「今夜ね」
「さいたわね」
「おみやげ、どうしよう」
「これなんか、いいんじゃない?」
なんて、お店全体が、なんだか、ふんわり、うきうき、しているのでした。
*
家に帰ると、もうおひる。残り物でごはんをすませて、あずきの様子を見ながら、そろそろもち米もお水にひたして――
待っているそのあいだに、買ってきた端切れを縫って、余ったあずきをつめて、お手玉に。
それがすんだら、そろそろ頃あい。
つけておいたもち米を、うるち米といっしょに、さっと洗って、おこわに炊いて。
あずきのほうも火にかけて――砂糖ひかえめ、ちょっとお塩をきかせて。
炊けたおこわをつぶして丸めて、あんこでつつんで。
あの子の好物、ぼたもちづくり。
すっかりできあがるころには、いつのまにか日がかたむいて、あわてて洗濯物をとりこんで……
けっきょく、日曜なんていっても、あっというま。洗濯物をたたんだら、中村さんで買っておいたお弁当で、さきに早めのお夕食をすませてしまうのでした。
そのころには、日の長い夏空も、もうだいぶ赤くなって……
ここにひとむら、あそこにふたむら、庭にひらいた白い花が、いよいよ、ぼうっとひかるのでした。
白いお花を、一輪つんで……
タッパーにつめたぼたもちと、あったかいお茶をいれた水筒と。おはじき、千代紙、シャボン玉。つくりたてのお手玉みっつ。
リュックにつめて、背中にしょって。
お花のあかりを、手にしたら――
さいしょに寄るのは、やっぱり、杉田のおばあちゃん。
あの子がいなくなってもう八年。その間、ずっとお世話になりっぱなし。
「ばあちゃん、これ、おすそわけ」
小分けにしたぼたもちを、玄関先でわたして、
「そんなら、こっちも、おかえしな」
こっちはこっちで、杉田のおばあちゃん特製の、玉子焼きなんか、わけてもらって。
お酒、持とうか、重いでしょう。いいよ、いいよ、あんたこそ。だったらせめて、半分だけ――なんて、毎年のやりとりをくりかえして。くりかえすことが、もう、うれしくて。
それから、杉田のおばあちゃんも、庭先で花を手折って、いっしょに、お宮へ向かうのです。
「ひと夜ちょうちん咲いたげな」
「ひと夜ちょうちん咲いたとな」
のんのんのんのんぽんぽろぽん。年がいもなくうきうきと、そんな囃しことばを、つぶやいてみたりもするのでした。
お宮に近づくにつれて、ふだんはだれかに行き会うこともめったにない田舎道も、この日暮ればかりは、だんだん、人が増えてくるのでした。
「やあ、どうも」
「いい晩ですね」
「晴れてよかったですね」
「きょねんでしたか、おととしでしたか、途中で雨がふって」
そこかしこで、ご近所さんたちの声がきこえて、こちらもかるくあいさつしたり、ちょっとことばをかわしたり。
年々人がへっていく村ですが、この時期だけは、遠くから帰ってくる人たちがいたりもして、お祭りというでもない、屋台店ひとつ出るでもない夜ですけれど、でも、お宮への道は、ひさしぶりに、にぎやかなのです。
「やあ、ひさしぶり」
「ことしはなんとか間にあいましたよ」
「おやじがうるさいもんでねえ」
「たけちゃん大きくなったのねえ」
「どうだい町のほうは」
「どうにも景気がねえ」
おとなたちがそんなあいさつをかわすうちにも、ひさしぶりに見かける、わかい人や、子どもたちが、ちいさな明かりを無心にゆらし、囃しことばをとなえるのです。
「ひと夜ちょうちん咲いたげな」
「ひと夜ちょうちん咲いたとな」
「ひと夜ちょうちんぽんぽろぽん」
「のんのんのんのんぽんぽろぽん」
お宮が近づくにつれて、おとなたちはだんだんことばすくなになって、ただ子どもたちのかわいらしい囃しことばだけが、夕闇のなかにゆれるのです。
一の鳥居が見えるころには、下からてらす白いひかりが、まぶしいくらいになって……そのきよらかさに圧倒されたみたいに、子どもたちの声さえ、だんだん、ちいさくなるのです。
そうして、やがては、だれもがだまってしまって、ただ胸の奥でだけ、ぽんぽろぽんの、のんのんのん。無心にとなえながら、そっとお辞儀をして、鳥居をくぐるのでした。
*
見あげると空はまだすこしだけ赤いのです。
鎮守の杜は真っ黒です。
でも、みぎもひだりも、白いお花がたくさんひかって――それはもう、数える気にもならないくらい、たくさんひかって――参道は、お祭りの夜みたいにあかるいのです。
あんまりあかるくて、かえって目がくらんで、なんにも見えなくなるみたい。
たくさんの人が参道を歩いているのだけれど、もうだれがだれやら、となりを歩いているのがあいかわらず杉田のおばあちゃんなのか、いつのまにか別のだれかに入れかわっているのか、それももうわからないのです。
だからって、気にすることもないのです。
こんやは、みんな、いっしょです。
なんにも、心配、いりません。
まぶしくて、目がくらんで、ふわふわして、どこを歩いているのかもわからなくて……けれど、白いひかりの道はどこまでもまっすぐで、わたしたちはその道を、ただただ、たどっていけばいいのです。
ときには、途中の階段を、上へ、上へ、のぼっていけばいいのです。
いつもならとっくにお宮についているころなのに、もうそんなのも通りすぎて、奥へ、奥へ、上へ、上へ、どこまでもただ行けばいいのです。
そうして、行って行って行くと、そのうちには、いつのまにかもう道なんてものもなくなって、地面はどこもかしこも、ただ一面、まっ白いひかりだけになるのです。
まっくらやみの底に、どこまでも、見わたすかぎり、白くかがやくお花畑がひろがっているのです。
すると、ずっといっしょに歩いてきた村のみんなのそこここで、
「かあちゃん」
「とうさん」
「ああ、坊や」
「こっち、こっち」
「はやく、はやく」
「やっと、会えたねえ」
「ことしもきてくれたねえ」
あちらの世界へ行ってしまって、今夜ひと晩だけかえってきてくれた、なつかしい人たちの声がきこえてくるのでした。
村の人たちは、めいめい、それぞれ、会いたい人と合流して、ひとしきり抱きしめあったり、泣きあったり。
もしくは、あたりまえみたいに、笑いあったり。
それから、あっち、こっち、思い思いの方向へ、つれだって去っていくのでした。
そうして、年に一度の今夜だけ、せめて思いをつくすのです。
「ばあさんや」
「はい、じいさんや」
ふりむけば杉田のおばあちゃんも、さきおととしに亡くなった杉田のおじいちゃんといっしょになって、憎まれ口なんかたたきながら、にこにこ笑っているのでした。
おじいちゃんに一升瓶を手わたして――わたしもあずかっていたのをさしだして――ふたりでかるく手をふると、つれだって、野原の向こうへ歩いていくのでした。
気がつくと、あれだけたくさんいた村のひとたちはみんないなくなって、白いお花の原っぱに、わたしひとり、ぽつんとたちつくしているのでした。
そうして、そのわたしの手を、くい、くい、と、だれかが、そっと、ひっぱるのでした。
それだけで、もう、わたしはにんまり、笑顔になって――うれしくて、たまらなくて――ものもいわずにふりかえると、しゃがみこんで、七才のまんまのちっちゃなチヨを、ぎゅっと、ぎゅうっと、抱きしめるのでした。
ひさしぶりだからはにかんで、なかなか顔をみせようとしないチヨは、ただ、もう、わたしの肩や胸に顔をこすりつけて、ふふふ、ふふふ、と、うれしそうに笑うのでした。
わたしは、もう、たまらなくて、ただもうたまらなくて、
「チヨや、チヨ、かわいいチヨや」
しばらくはチヨを抱きしめたまま、歌うみたいにくりかえすしかできないのでした。
そうしていると、はなればなれだった時間がぜんぶ、まるでうそだったみたいに、とけて消えていく気がするのでした。
*
それから、お花のなかに遠足用のシートをしいて、わたしとチヨも、水いらず。ぴったりならんですわるのでした。
「かあちゃん、ぼたもち、ぼたもちは」
「はいはい、ことしもちゃんとあるからね。それに杉田のおばあちゃんの玉子焼きも」
わーいとはしゃぐちいさなむすめに、一年ぶりの好物を、たっぷり食べさせてやるのでした。
ほらほら、あわてなさんな。
水筒につめてきた、あったかいお茶を飲ませてやって。それから、あんこでベタベタになった口もとを、わらってふいてやったり、するのでした。
それからあとは、おはじき、千代紙、シャボン玉。とっておきのお手玉みっつ。一年ぶりのかわいいむすめと、たのしく、いっしょに、遊ぶのです。
ひとつとせ、ふたつとせ。歌いながら、ほうりなげたお手玉を、でもうまく受けられなくて、チヨったらすぐに落としてしまうのです。
そうして、「やって、やって」と、おねだりするので、なつかしいかぞえ歌なんかくちずさみながら、わたしがやってみせてやるのでした。
むかしとったなんとかで、お手玉みっつ、ひょいひょい宙に舞わせるわたしの手もとを、むすめは飽かずながめるのでした。
どれほどそうしていたでしょう。さんざ遊んで時間を忘れて。いつかつかれてぐっすりと、ちいさいむすめは、わたしのひざで眠るのでした。
するとそこへ、
「チヨちゃん、チヨちゃん」
声をかけてきてくれた娘さんがあるのでした。
年のころなら十五、六。かざりけのないシャツにジーンズ。まだお化粧もいらないほっぺたに、つややかな黒髪をたらしながら、チヨの寝顔をのぞきこんでいるのでした。
「チヨや、チヨ」
わたしがそうっとゆさぶると、チヨはうにゃうにゃいって目をこすって、それからお友だちの笑顔をみると、
「あ、さっちゃん?」
ぱちっと目をひらいて、ふわっと笑顔。
「ずいぶん、おっきく、なったのねえ」
「そりゃ、もう、高校生だもの。カレシだってできたのよ」
チヨは目をまんまるにして、興味しんしん。「どんな子、どんな子」目をかがやかせてききました。
さっちゃんは、ちらっとわたしのほうを見て、ちょっと照れくさそうに、しどろもどろ。
そのあいだにも、ちいさいチヨは、ねえねえ、と、だだっ子みたい。
「ひさしぶりでしょう。あっちでゆっくりお話ししてきたら」
わたしがそう水をむけてやると、チヨはおおきくうなずいて、行こう行こう、と、お友だちの手をひくのでした。
さっちゃんは、ちょっと申しわけなさそうに、わたしに会釈していきました。
わたしはにこにこ笑って手をふって、それからほっとため息ひとつ、黒くてなんにも見えない空を見あげたのでした。
するとそんなわたしの耳もとで、
「チヨをとられたね」
なんて、母さんが、ちょっといじわるばあさんみたいに、にやにや笑ってささやくのでした。
「いいのよ。八年もたつのに、会いにきてくれるお友だちがいるなんて、すてきじゃない」
お花畑のちょっとむこうで、むすめたちは、ひそひそ、ささやきあって。お友だちのうちあけ話に興奮して、チヨはときどき、ひっくりかえってジタバタしたり、きゃあきゃあはしゃいで走りまわったり。
そんなむすめが、わたしは、ただいとしくて、いとしくて……
「こうして、見ているだけで、しあわせだわ」
「そうかい」
やれやれ、どっこいしょ。母さんは、わざとみたいに年寄りくさいことをいいながら、わたしのとなりに腰かけて、
「あんたも元気でやってるかい」
「元気よ。元気にきまってるじゃない」
わたしは、あたりまえみたいに、そうこたえて、けれど、こたえたはしから、なぜでしょう、ぽろっと、涙がこぼれるのでした。
「あら? あらあら?」
そうして一度こぼれてしまうと、あとからあとから、ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙はいくらもあふれてくるのでした。
「なんでかしら、どうしてかしらねえ」
とまどいながら、泣き笑いしていると、母さんが、
「やれやれ、いくつになっても」
わたしの肩をそっとひきよせ、抱いてくれるのでした。
するともう、それだけで、わたしは、ちいさい子どもみたいに、声をあげて泣きだすのでした。
「おかあちゃん、おかあちゃん」
よしよし、と、母さんは、そんなわたしの頭を、むかしと変わらない手で、なでてくれるのでした。
そのうちには、なつかしい子守唄なんか、歌ってくれたりするのでした。
ねんねこ ねんねこ ねんねこな
ねんねこ ねんねこ ねんねんこ
すると、母さんだけでなく、いつのまにか父さんも、わたしのそばによりそって、生前はあんまり見せたこともないような、やさしい笑顔をうかべているのでした。
お祖父ちゃんやお祖母ちゃんや、わたしが生まれる前に亡くなったという兄さんまで、いつのまにか、わたしのまわりに集まって、にこにこ笑っているのでした。
お宮の外では会ったことのない、ひいお祖父ちゃんやひいお祖母ちゃん、それからもっと先の人たち――みんなみんな、そこにいるってわかるのでした。
わたしは、そんな親身のぬくもりにつつまれて、幼子みたいに、やすらいで……いつかぐっすり眠るのでした。
いいこ いいこだ ねんねしな
いいこ いいこで ねんねしな
ねんねしな……。
*
翌朝。
目がさめると、いつものじぶんのおふとんのなかでした。
朝日がまぶしくさしこんでいます。
枕もとに、昨夜の花が、おいてあります。
ちょっとしおれて、それでもまだ、白く、かわいく、ひらいています。
わたしはそっと起きあがると、ねまきのまま、花入れにあたらしい水をくんで、その花をお仏壇にそなえました。
するとそのとたん、花は、ふわっと、いい香りを、ただよわせたのです。
その一輪だけではありません。
ちりん、ちりん。
風鈴が鳴りました。
そしたら、夏の朝のまだすずしい風が、あっちから、こっちから、おなじ花の香りを、たっぷり、はこんできたのでした。
わたしは息をすいこみました。
もう来年までひかることはないけれど、そのかわり、あと一日、二日のあいだ、花はこの香りで村をつつんでくれるのです。
そして、風にそよそよゆれるたび、あの人たちは今もにこにこしているよと、わたしたちに、思いださせてくれるのです。




