彼女の過ち2
お互いに近況を報告しては細々と笑みを交わしてようやく元通りの雰囲気に落ち着いたように朔夜は感じていた。さっきは、研ぎ澄まされたような、静謐に厳かに過去を語っていた綴の様子に圧倒されていたが、今はほのぼのと流家の教育もスパルタだねと穏やかに微笑んでいる。
「その、今度パーティがあってだな…」
ぜひパートナーにと思うがどう誘おうか、少し言葉を詰まらせていると執務室にノックの音が響いた。足音で誰か気づいた綴はどうぞと軽やかに言う。入ってきたのは使用人の中でも最高位のものだった。いつもの無表情だが、綴はどこか緊張しているのがわかった。
「…綴様にお見通しをと門番がしつこく迫られています。近隣に迷惑になりそうですし、何よりここの秘匿性が…」
「…全く迷惑な。どなた?」
「…板垣と美濃の当代です」
舌打ちでもしたい気分だったが、頷いて通せと命じる。しばらくして警備のものに連れられた中年の男性二人が通された。
二人とも憤怒に顔を赤く染め上げて目の前の朔夜を見つめていた。
「こ、この度はお目通りいただき…」
「わたしが当代です。おふたりとも。そちらは流の者ですよ」
困ったような顔の朔夜の後ろから出てくると驚愕の眼差しを喰らった。女だとは知らなかったようだ、当たり前か。あまりにも血濡れた代替わりを外に言うわけにはいかず、ただ一言だけ嫡子が引き継いだとだけ告示したのだから。
すまない、と赤く染めた顔を一瞬で青ざめてこちらに頭を下げた。白髪混じりの頭皮を見つめて、綴の心は凪いでいた。先ほど使用人に伝えて呼んできた大柄の男が影のように入ってきて、扉の前に立った。
「板垣様と美濃様は何用で?」
「あ、あぁ…この度は愚息が大変なことを…」
「誠にすみませんでした、どうかこの老体に免じて許していただけませんか?どうか」
這いつくばって頭を地面につけたまま動かない。ゆっくり綴はしゃがみ込んで二人の目の前に膝をついた。
「顔を上げてもいいわ」
柔らかく鈴のような声でそう言うと二人はゆっくりと地面から綴へと目線を上げた。怒りに紅潮した頬はそのままだが、どこか目に希望が見えている。ふと横に立つ朔夜を見ると哀れみの表情を浮かべていた。大人が、それも見窄らしい老人たちが土下座しているのなんて見たくもないのだろう。さっさと許してやれよ、とでも言いたげだ。
「…ふふ、もうこの世にはいませんことよ」
ゆっくりと一つ一つの音を噛み締めるように言うと、目の前の男たちは絶句した。理解が追いつかないのか、口をはくはくとさせているためもう一つ解説を加えることにした。
「京紡に楯突いたのですから、本来であれば一族郎党皆殺しです。どうして許されると思ったの?」
「み、京紡様……」
「あなたたちの息子さんはね、横領しただけではなく、京紡本家の血は誤っている。分家筋にこそ本物の血が流れていると宣っては、人を煽動して乗っ取ろうとしていたそうですよ、ご存知?」
「そ、んなことを…なぜだ…」
「わ、わたしは知りませんでした。しばらく留学すると聞いて……」
「あぁ、いやね。子育ての失敗っていうのは、小さな頃であれば親のあなたたちが責任を取るはずだけれど…成人でしょう?だから命を持って償わせてあげましたの」
反逆罪だから遺体はあげられないけれど、これ、どうぞと彼らが首にしていたネックレスを差し出した。血塗られたクロムハーツが鈍く輝いた。
これで決定的に心が折れたのか二人は涙をボロボロと溢しながらネックレスを両手で受け取って、握りしめた。その湿っぽい空気が嫌になりさっさと本題を告げた。
「そしてね、あなたたちはご存知ないのかしら」
涙のあまり声も出せない様子にふふと笑いが出てくる。涙が出せるならばまだ絶望はしていないに違いない。朔夜はやめとけよと綴の肩を掴んだ。痛いくらい握り掴んできたその手をそっと振り払う。
「…朔夜、邪魔するならあなたでも容赦しないわよ」
「でも、そいつらも…もう帰してやれよ」
「まぁ、バカね。帰れるわけないでしょう?」
その言葉で空気が固まった。一同は声も出せずに目の前の綴を見つめた。
しゃがみ込んだ綴の肩から白銀の髪の毛が溢れる。さっきまで紫に輝いていた美しい瞳は今度は赤色の色彩へと変化している。先程の紫がどこかの宇宙の静寂だとすれば、この赤は宇宙の終わり、死のように不吉な輝きだ。死の天使様、どちらの当主が声に出しただろう、その言葉がピッタリだった。
「公家の王の顔を見てはいけないのよ」
固まったと思った空気はより一層冷えた。目の前で泣いていた当主たちは今度こそガタガタと震えて脂汗をかきながら地面に顔を擦り付けた。あ、あ、と意味のないうめき声が聞こえてくる。
公家ではなく、新興の財閥である朔夜だけは意味がわからなそうに首を傾げた。
「ふふ、なぜ京紡本家がこうまでして謎めているか考えたことあるかしら?誰が当主か、どこに本家があるのか、住所は、誰が働いているのか、家族構成は?……全部秘匿してきたのは顔を見せなかったからですよ」
「…なぜだ?見られたって構いやしないだろ」
「さあね、わたしも知らないわ」
「はあ?」
「でもね、公家の王を見てはいけないのよ。見たらね、殺されるから」
無邪気に微笑むと、呼び出した男に一つ頷く。男は間髪入れずに銃を取り出して、俯いた二人の当主の頭を後ろから撃ち抜いた。
2度、銃声が響いて、それから屋敷は静まり返った。
窓の外の穏やかな鳥の声が嘘のように室内は冷え切り、鎮まり、息が詰まりそうなほど血の匂いがした。
「ふふ、片付けはお願いね。わたしと朔夜は応接間に場所を移動するわ。そちらにコーヒーをお願い」
「かしこまりました」
何事もなかったかのように立ち上がった綴は美しかった。赤く染まった瞳は元の紫に戻り、長いまつ毛の下で烟っている。男におつかれさまと頷いて扉を開けて朔夜を振り返った。
朔夜は、今まで見たこともない衝撃に目の前がパチリと明るくなり、眩暈がしたようにその場から崩れ落ちた。
めまいにふらついた朔夜を支えたのは先ほど銃を取り出して二人殺した男だった。わずかに硝煙の匂いが男の手先からして身を固くしたのに気づいたのか、男は恭しく朔夜から手を離した。
「朔夜、大丈夫?」
「あぁ」
「案外ビビリなのね、あなた」
「はあ?……目の前で殺されたんだぞ」
「そうね」
いまだに膝が笑っているが、無言で新たな部屋に案内された。今度は木目の美しい黒檀の応接間で、一つ一つのインテリアが控えめながらも豪奢だ。毎日丁寧に磨かれているのだろうか年代を感じさせないほど美しく輝いている。先程の綴の執務室よりも重厚感のある部屋だったが、あの圧迫感は消えたような気がした。
しばらくして今度はロイヤルコペンハーゲンのティーセットで紅茶が供される。
「…マリアージュフレールか」
「えぇ、コーヒーを少し飲みすぎてふらついたのかもね。ゆっくり飲んで、ミルクは?」
「いらない」
「そう」
極めて優雅に、品よくミルクを垂らした綴は美味しそうに紅茶を一口飲んだ。マルコポーロという銘柄は華やかな香りが特徴的でお気に入りだった。コーヒーも好きだが、あまり量は飲めないため、2杯ほど飲んだら紅茶に変えるのが京紡家では当然だった。
「ふふ、あなたも青ざめた顔するのね。軍では撃墜数多かったのに」
「そりゃ、そうだろ。俺ら海軍だったろ、撃墜とか…人の数じゃなくて、船の数だし」
「まぁ、そうね」
「目の前で人を殺されるなんてたくさん経験して堪るかよ」
「わたしは一時期情報局の暗部にいたから、よく殺したけれどね」
「は?」
先ほど冷えた空気がまた戻ってきたようだった。美しい所作で紅茶を飲むティーカップ越しに見えた綴の瞳は青紫だった。その澄んだ輝きはまるで氷柱のようだ。見るもの見るものに刺さりそうなほど澄んでいる、どうして、そんな瞳で人殺しを語れるのか…朔夜の悲哀は声にならずに唇だけが戦慄いた。
「わたしが先に将校課程終わらせて、朔よりも早く将校入りしたでしょ?それで一年間新兵として海軍に入って、色々下積みしたわけだけれど…それが終わって暗殺部隊にいたんだよね」
「だ、誰からもそんな話…」
「暗殺部隊は秘匿中の秘匿だからね。…それで、情報局にいたら樹を調べられるかもと思ったの。ま、空振りだったけどね」
内部の情報を持っているからこそ綴は神がかり的な予知のように戦況を、不正を見抜いていた。これにはもう一段衝撃が来たのか呆れたように朔夜は鼻を鳴らした。
「は、はは…お前の行動の源は、殺されたはずの男かよ」
「…そうだけど、何かおかしい?」
「いいや?…俺ではお前の核にはなれないんだな」
ぼそっと不貞腐れたように呟いた朔夜に一瞬驚いたものの笑みが溢れる。先程、二人を目の前で殺したのにそれでもなおわたしに焦がれているようだ。
朔夜もなかなか狂っているよなと綴は思い、少し誤魔化すように紅茶を飲んだ。慣れ親しんだ味は今やどこか違うように感じた。
「そういえば、朔夜は今何してるの?」
「俺は復学したぞ」
「まぁ、どこだっけ?」
朔夜がなんでもないことのように呟いた高校名は、有名な金持ち学校だった。今のところここほど有名で、学費が高く、偏差値も高い高校はないだろう。少し呆れつつも頷いた。
「どうかしら?同い年との交流は」
「悪くはねえよ。平和になったのを実感する」
「ふふ、素敵ね」
話を続けようと口を朔夜が開いたとき、先ほどの男が入ってきた。男の後ろからコーヒーをくれた使用人が新たな菓子をお盆に置いてついてくる。さっきの衝撃を思い返した朔夜は少し身構えて、無意識のうちに胸ポケットを撫でた。そこにはもう返納したはずの愛銃がある感覚がした。
ぴくりとも顔を変えなかった綴は不機嫌そうに言った。
「また誰か侵入者?」
「いえ、ご報告を」
「あぁ、そう。手短にね、朔夜が怯えてるわ」
「怯えてねえよ」
ビビり扱いが不服なのか少しだけむすっと呟いた朔夜を歯牙にかけず、綴は先を急かした。
「当主たちの携帯端末の履歴です。中を改めたところ少し怪しい内容が」
少し血痕が飛び散る携帯端末を、不愉快そうにゴム手袋をつけて触れる。冷たい温もりが伝わってきた。パスワードはすでに解除してあるのかするりと中に入れた。
軽く検索履歴やメールのやりとりを見てから問題と言われたメッセージアプリを開く。どうやら妻や仲の良い家の者たちとやりとりをしていたようだ。
「うまく取り入ってみせるさ?相手はガキだ、ですって?…なぜ、年齢がばれているのかしら」
「そうです。美濃は分家の末派ですし、板垣も似たような家です。なんなら京紡とはなんら関係ない家の派生で婚姻を期に一族入りしたようなものでしょう」
「ふむ…また裏切り者ですか、全く面倒な」
「情報に詳しい者に解析させてみようと思いますが、他に何か気になることはありますか?」
「そう……随分と頭の軽そうなガキ扱いされてるな。このあたりも少しばかり気になるな。いまだに婚姻もされてないから仲人でもして中枢に近づいて見せるさ、もね」
「そうですね、偉大なる主君を平気で侮辱するとは…言いしれぬ怒りが込み上げてきます。これは早く解析させましょう」
「京紡の顔を見てはいけないと同じくらい侮蔑してはならぬ、背叛してはならぬも伝わっているかと思っていたが…近いうちにいくつか粛清する羽目になりそうね、もう本家以外全て殺滅してもいいのではなくて?」
「少し骨が折れますがそれもいいかもしれませんね。いつからこんな腑抜けた分家しかいなくなったのか…分家の立場をわきまえぬ輩です」
「ええと、それでは解析が終わり次第結果を報告して頂戴。その後駆逐する家を決めましょうね」
「かしこまりました、そのように手配いたします」
よろしくと手袋を外してひらひらして見せると恭しく男は下がった。部屋の温度がまた少し下がったような気がした。朔夜は目の前にいる美しい少女がこの上なく悍ましく、そして破滅へ人々を導く天使のように見えた。




