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あの子の  作者: ヒビ
8/10

彼女の過ち


1週間が過ぎた。京紡に帰った綴はいなかった期間の仕事に翻弄されていた。会社の運営は細々と指示をしていたため順調だったが、家の方はごたついていた。裾野の広がった京紡の分家筋が各地で暴れていたからだ。戦乱で世の中が少し荒れているのをいいことに着服したり、綴に反目しようとする勢力を集めたりしていた。


流石に客人に見せるわけにはいかないなと早急の解決を目指してこの1週間、ほぼ不眠で綴は粛清を与え続けていた。


湯浴みをして、使用人が運んできた朝食を食べる。軍生活と比べ物にならないほど豪華な朝食のはずなのに、この広い屋敷で一人食べていると砂を噛んでいるようで不思議だった。食べ終わってお茶を飲みながら後ろに控えている使用人に指示を出す。



「流の者がしばらくしたら来ます。コーヒーを飲むと思いますから茶請けを用意しなさい」


「はい。何か好みのものとかは」


「知りませんが、適当な焼き菓子で十分でしょう」


「かしこまりました、すぐに作らせます」



恭しく頷いた使用人に視線を向けることなく、手元の資料を睨む。各地で混乱をもたらしていた分家の者たちを暗殺した際にその父兄たちから嘆願書が届いたのだ。読むに値しないが、一応目を通す。



「くだらないな」


「何がだ?」



ノックをすることなく入ってきたのは朔夜だった。足音を殺してきたようだが、護衛のものから着いたという報告は上がっていたし、何よりよく知った足音だったためバレバレだった。



「朔、よく来たね」


「さっき手土産渡しといた」


「何だ?」


「山吹色のお菓子」


「はは、山ほどあるからいらないよ」


「どうせコーヒー出してくれるだろうと思って、コーヒー豆。綴が好きな、ええと、炭火焼き焙煎のとこ」


「あぁ、助かる。あそこのもの以外口にしたくないんだよ」


「わがままなやつだなぁ。1キロほど買ってきた」


「本当にありがとう、ぜひゆっくりしてくれ」


「はは!態度違い過ぎんだろ。じゃ、遠慮なく」



どかりとソファに座って庭の風景でも楽しむように窓の外を見つめていた朔夜と、その様子に少しリラックスした綴も雑務を済ませようと急いでメールを送った。しばらくしてコーヒーを出してもらい機嫌よく使用人を労った朔夜はそっと綴の様子を窺った。


赤、青と不思議なほど色を変える紫の瞳はキーボードを睨みながらも青々と輝いていた。実は寝不足なのだと美味しそうにコーヒーを啜っていたが、顔色は良さそうだ。もう会えないような気がするほど儚い顔をして見せたあの雨の日の面影はどこにもない、ふうと安心して朔夜は息を吐いた。半刻ほど経ってようやく綴はパソコンから目を離した。簡易的な応接デスクを挟んで朔夜の向かいに座る。控えていた使用人が

コーヒーのおかわりを注いでくれたのを確認して、部屋に入るなと伝えて出て行かせた。



「家だと随分横暴なんだな」


「ふふ、大黒柱だからね。舐められないように気をつけているの、これでも」


「それで、今日は全部聞かせてもらうぞ」


「えぇ、そのつもりだけれど…後悔しないでね」


「何がだ?」


「聞いたことを。近いうちに必ず後悔するだろうけれど」


「…わかったようなことを言うんじゃねえよ」



コーヒーを置いて、綴を睨みつけるようにして朔夜は言った。浮名を大いに馳せた父によく似た甘い顔立ちと相反するような紺碧の瞳、絵本から抜け出た王子様のようだと社交界で大人気の彼もまた無表情になると冴え冴えとした冷酷な美貌へと変わる。



「お前のことは全部肯定してやる。どんな過去も過ちも全て受け止めてやるから……なんでも一人でやってしまおうと、俺から逃げようとしないでくれ」



最後は懇願のようだった。


綴はそっと目を伏せてから、それからまた朔夜の目を見た。薄く唇を吊り上げているが、悍ましいほど不吉な笑みだった。紫の瞳は、光を湛えて今や炯々としていた。


その獰猛な笑みに、恐ろしい表情に総毛立った朔夜はひゅっと息を呑んだ。だが、綴は止まらなかった。



「生まれついて以来、ずっとここに閉じ込められていたの。京紡本家は私一人、妾は法的に許されず、母は子宮と引き換えに私を産み落とした。生まれたその瞬間からこの家と血を絶やさない教育が施された」



質問すら許されない断定的な話振りの中、朔夜は瞬きもせずにその紫炎の瞳を見つめていた。



「成長してから、操り人形と化していた時に朔夜に出会ったね」



思い出すように綴の目尻が緩む。朔夜も間髪入れずに頷いて同じように頬を緩めた。


選民思想の強い京紡本家の父と祖父だったが、新たな事業のために流財閥と協働する計画が立った。流財閥の一人息子だと言うのに、父は朔夜をぜひ綴の婿にでもと考えていたようで父娘は流家を家に招待していた。



『…こんにちは』


『…流朔夜さんですね?』


『はい、あなたは…』


『京紡綴と申します。父と流様がお話しの間親交を深めるようにと仰せつかっています』


『その、目は………』


『すみません、気持ち悪かったですか?次お会いするときは黒色で伺いましょう』


『そうじゃなくて…』



綺麗だ、と朔夜は言いたかったのだ。感情を見事に制御していた綴は美しく微笑むばかりだった。一目見たときから気に入った新しい友人に朔夜はときめいていた。


ふわふわと揺れる白銀の髪の毛、長いまつ毛に隠された秘宝のようなアメジストの瞳。よく触りたいと強請っては綴を少しばかり困らせた。それでも綴は断ることはなかった。今考えると知らない子供に目玉を触られるなんて悍ましいにもほどがあるが、綴は何を感じていないようだった。彼女の空恐ろしさを感じつつもその美貌に、深い教養に、時折溢れた作られたものではない笑顔にコロリと恋に落ちた。


共同事業が終われば、同じく終わる関係だと察していた朔夜は頻繁に手紙を書いては綴に送った。日々感じたこと、学んだ内容、家族との会話……朔夜からの暖かな知らせは、京紡家で奴隷以下の生活をしている綴の密かな楽しみだった。そして、自分の地獄を嫌と言うほど思い知らされて無自覚に痛みを感じていた。



お茶請けにとウェッジウッドの皿に乗せられたカヌレを一口摘んで、綴はまた話始めた。



「ある人を、探しているの」



まるで手帳を取り出すが如く軽い口当たりで言った言葉に朔夜は戸惑った。これまでそんな話を一度も聞いたことはなかったし、綴にそんな探し人の様子は見られなかったからだ。



「母、親とかか?」


「朔夜が幼稚舎に入ってもわたしは自宅学習だっただろう?」


「あぁ、そうだったな」



グッと何かを堪えるように息を止めて、それからゆっくり吐きながら綴は小さな小さな声で言った。



「南雲、樹という男の子がいた。多分わたしへの生贄だったと思う」



ハッと息を呑む朔夜にまた笑みを深めて綴は思い返す。



あの頃、強さと賢さを以て他人を蹴落とすことでしか認められなかった。そしてようやく一部の事業を任されるようになってすぐに着服に気づいた。南雲家という分家の事業だった。


呼び出されて、みっともなく子供のわたしに土下座をしていた南雲の当主は一人の子供を差し出してきた。涙に濡れる父親を呆然とみながら差し出されたのは黒髪黒目の美しい少年だった。



『どうか、どうか…お許しを……!この子を差し上げます。どうか、我が家を根絶やしにしないでください。どうか、なんでもいたします、この子の命を奪っても、何をしても結構です』



樹は虐待されていたとか、南雲で愛されていないとかそういう訳ではなかった。むしろ可愛い末っ子として愛されて可愛がられて仕方なかった子だった。


ただ私と歳が近かった、そのために差し出されたのだ。ただただ慈悲を乞うためだけに子供を差し出したのだ。もちろん当主の首を刎ねた後に南雲家は消えたのだが、可哀想な身分の樹はわたしが世話をすることになった。いい上司とは、賢いペットの飼い方、人間力とは、適当な本を借りては誰かを世話するということを学んだ。



『樹、これが今日の予定だ』


『またこんな無理なスケジュールを…』


『終わるまで休めないからな、わたしがいなかったら適当に飯でも食って寝ていろ』


『…綴様は?』


『…そうだな、終わったら食うだろう』


『でも…これ終わらせる頃には朝になっています』


『問題ない』



ぴいぴいとよく鳴いてはいちいちわたしの言うことを否定するやつだった。圧倒的な身分差からか生贄という立場からか腹は立たなかったが、思考は理解できなかった。



『ここに置いてもらって一年が経ちました。僕、そろそろあなたのお役に立ちたいのです』


『…結構よ。樹は京紡を継ぐ訳ではないのだし』


『ちが、違います!綴様の役に立ちたい、それだけです』



不思議なことを言うやつだった。ペットとは飼い主によく懐くと言うが、そうなのだろうか。樹を抱きしめて寝るとよく眠れた。誰かを殺す判断をしたとき、誰かの家を潰したとき、誰かの弱みを握ったとき、誰かを蹴落としたとき、そんなときは樹は恐ろしいほどの洞察でわたしを慰めようとした。慰めが必要なほど心は脆くないのに、樹は執拗なまでにくっついてきたのでそんなとき少しばかり息がしやすくなったように感じた。



『綴様、こちらがその資料です』


『…ん、ありがとう』


『よく眠れましたか?昨晩は』


『あぁ、樹の作るハーブが効いたのかも知らん』


『今度処方を伝えますね』


『いや……お前が作ればいいだろ』


『それもそうですね』



この頃は与えられた環境に慣れて、苦しみながらもさりげなく補佐をしてくれた樹のおかげで悪くない日々だった。しかし、一瞬でそれは失われた。


いつものようにうっすら朝日が登ってきてようやく寝具にくるまった。樹の心臓の音を聞きながら目を瞑ろうとしたそのときだった。



『…南雲のガキが、まだ生きていたか』



酔った祖父が入ってきた。爛々とした目で飛び起きたわたしたちを睨んでいた。



『これは、わたしに下さったのでしょう?当代が』


『知るか、一度裏切ったやつは死ぬまで裏決まる。お前はそんなこともわからない阿呆だったか?』


『えぇ、分かりません。わたしのペットです、前代には関係ないでしょう』



その生意気な口ぶりが癪に触ったのか、徐にピストルを取り出すと樹に向かって引き金を引いた。一切のためらいはなかった。寝ぼける頭で必死に樹を引き寄せたが、遅かった。


パァン、乾いた音が一つ響いた。


世界が一つ、足を止めたような気がした。


鮮やかな赤、美しい黒い瞳がこちらを見つめていた。質の良いものを身につけろ、次代様の犬だぞと呟いて買い与えたシルクのネグリジェに血痕がいくつも飛んでいた。高級品なんて慣れているはずだろうに、サラサラとした布を撫でては嬉しそうにしていたっけ、洗濯にコツがあるとかなんとか言いながらしていたっけ。そんな大切なものに血痕が点々と付いている。


意味がわからなかった。


恐ろしく緩慢に自分の体は動いた。引き寄せた樹は何故かこちらに微笑んで見せていた。どれくらいぶりかの涙が溢れそうだと感じたのにそれでも一粒も溢れることはなかった。


騒ぎを聞きつけた叔父は呆れたような顔をしてこちらを見た後、一応死亡診断書書いてもらわなきゃねと呟いて樹を車に乗せて走り去っていった。叔父の目は雄弁だった。



お前が間違えたのだと。



感情表現は抑えて事実だけを述べて説明すると一層朔夜は怪訝な顔をした。



「死んでいるのだろ?」


「…そうよね、普通は」


「どう言う意味だよ」


「咄嗟に樹の体を反らせたときに銃弾の軌道は変わったはずなのよ。祖父のことだから正確に心臓を狙っていた。だからこそ少し上に逸れたはずなのよ、肋骨か、肺に」


「…確認は?」


「していない。する間もなくおじさんがトランクに詰め込んで連れて行った。そして、次の日の朝に死亡診断書が届けられたの」



綴がそう言うと、苦いものを飲んだように顔を顰めた朔夜が言いにくそうに口を開いた。綴はなんとなく言われることをわかっていた。



「そ、れはさ…言いたくねえけど、お前がそう信じたいだけだろ」


「そうかもしれないね」



やっぱりわかってもらえない。きっと、そうだと、わかっていた。


全てを肯定すると先ほどまで言った朔夜の口は残酷にも、綴の願いを、祈りをそっと否定していた。うっすらと微笑んだ口元は嘲笑が滲む。何を期待していたのだろう、長い軍生活で、そして長く親交を深めてきて、朔夜はこちら側かもしれないと勘違いしていたのかもしれない。綴は温くなったコーヒーを啜って、話を変えようとまた微笑んだ。





お読みいただきありがとうございます。

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