門出
退役を募る知らせが掲示板に貼られている。その前を若い将校たちが集いどこか嬉しそうに話している。
「俺、2年ぶりに実家に帰るんだ」
「お前そんなに帰ってなかったっけ?」
「あぁ、母さんが極右だったし、家に戻らずお国に献身しなさいとかなんとか。でもこの間終戦したって知らせたら泣きながら帰ってこいってさ。本当は帰って来ないんじゃないかと毎日泣いてたって父が言っててさ…参っちゃうよな」
「それはよかったじゃんか。俺もようやく彼女と結婚できるぜ」
「本当か!」
「ずいぶん待たせたから申し訳ないよ」
「式には呼べよ、絶対」
「もちろんだよ。上官も来てくれるって」
誰も彼もがこの先の平和を考えては嬉しそうだ。柔らかな光景に綴も薄く微笑みを浮かべた。
「あ、京紡中佐!失礼しました」
「いえ、結構ですよ。何やら幸せそうな話だったからつい聞き耳立ててしまいました。二人ともおめでとう、きっとご家族も恋人も退役を喜んでくれるでしょう」
「ありごとうございます!!」
「中佐は、その、軍にそのまま残られますか?」
「今のところは退役しようかと思って」
「あ、そ、そうですよね!大きな家ですし」
「待っている方たちも喜ばれるでしょうね、それは」
「ふふふ、そうですね」
目を細めた綴の軽薄な微笑みに誰が気づいただろう。本人でさえも気づかなかったかもしれない。
地味だが面倒な戦後業務を淡々とこなしていくうちにいよいよ退役の日がやってきた。門出だとまだ残っていた参謀将校たちがわらわらやってきては写真撮影を頼んできた。
「…なぜ?」
「そりゃ、俺らのアイドルだからですよ!」
「そうです、一度肩を組んで写真撮りたかったんです」
「お願いします!!」
熱心に頼み込んでくるので、カメラマンも可哀想に思ったのか若干ニヤつきながらこちらにカメラを向けてきた。仕方なく、頼んできた5人に挟まれる形で肩を組む。
自分の生きてきた痕跡は消すのがモットーだったためカメラを向けられるのも初めてでフラッシュの眩さに驚く。思ったより良い写真になったのか目を細めたカメラマンが興奮気味にこちらに画面を見せてきた。驚きのあまりかいつもの作り笑いが外れて、はにかむようにして笑っているわたしと周りの弾けるような笑顔、まるで普通の集合写真のようではないか。少しばかり驚いて周りを見渡すと同じように驚いたようだ。
「すごい!めちゃくちゃ良い写真じゃないか!」
「これ、すぐに現像してくれたまえ!」
「俺、これを遺影にする」
「おい、不謹慎すぎるだろ!」
「京紡中佐、ありがとうございました!これ思い出に取っておいてくださいよ」
「ふふ、わかった」
頷いて握手すると嬉しそうに彼らは駆けていった。その背中は何か頼もしさすら感じさせて、新兵のあどけなさを思い出すと少し微笑ましい。笑ったのに気づいたのか後ろからやってきた朔夜が肩を組んできた。
「随分優しいんだな」
「そうか?」
「あぁ、俺には写真の一枚やくれもしないだろ」
「欲しがってるようには見えないから」
向かい合って揶揄うように呟くと予想外に強い視線が返ってきた。退役した軍人たちは急足で門を出て迎えにきた家族と合流している。まだ室内に残っているのは私たち二人だけだ。怜悧な眼差しがこちらを貫くようだった。
「…本当に流に来る気はないんだな」
「何度も言わせないで。私は私で、あなたはあなたでやることがあるのよ、朔夜」
「お前の全てが知りたいんだ」
グッと近寄ってきて、腕を掴まれた。情熱的な文言だったが、心を動かされるものではなかった。ふと目を伏せる。
「前にも言ってたな、面白いものでもないと言うのに」
くすりと微笑むと、1週間後に京紡の屋敷で会おうと呟いた。朔夜は何か不満げだったが、しぶしぶ頷いて少し後に閃いたように言った。
「つか、公家の王の屋敷なんか知るわけねえだろ。非公開情報だろ」
「あぁ、松濤だよ、あの一帯はうちのものなんだ」
「は?松濤?」
「うん、議員とかにも少し譲ったけれどね。ええと松濤と神山町の間かな。五千坪くらいあるから車で迎えに行く」
「いや、ちょっと待てよ。み、京紡って金融だろ?なんでそんな、土地」
「いやね、朔夜。不動産も車も金融も何もかも全部うちのものよ」
「…すまん、舐めてた」
「いいのよ、流財閥だって立派じゃない。お住まいは?」
「麻布だ。俺はマンションのが好きだけど」
「贅沢な息子ねえ、それなら朝迎えにいかせるわ」
「あぁ、ありがとう」
そして目線が絡む。灼熱のように燃え上がる朔夜の目と、どこまでも柔らかいのに凍てつくような綴の目。
朔夜は軍服姿の綴を網膜に焼き付けるように瞬きもしないで見つめていた。美しかった、誰よりも何よりも。白銀の髪の毛はもう解かれている。軍務を終えて天使の羽のように肩から背中から流れるように落ちて、ふわりと風に靡いている。滑らかな肌、完璧な弧を描く唇、小宇宙のような瞳。鬱っぽく紫がかった日、何か楽しいことでもあったのか弾けるように光がちらちらと散乱した日、怒りを堪えて赤紫に怪しく輝いた日、飽きることなくその瞳を眺めていた軍生活が終わる。朔夜は何か言いたいような、言いたくないような、聞きたいような、聞きたくないような気がして一日中ソワソワしていた。それでも綴は変わらなかった。
「朔夜、ありがとうね。軍生活あなたのおかげで悪くなかったわ」
「そうかよ…俺はくそだったな」
「それは…楽しかったってことかしら?」
「あ?」
微笑んだ綴につい釣られて結局朔夜も微笑んだ。穏やかな退役だった。




