戦争の終結
「…なるほど、これが正解なら直ちに戦争は終わるな」
いつものアルカイックスマイルではなく、驚きに満ちた顔でつぶやいた雨宮は、しかししばらく何か考え込んでいた。
「何か問題でも?」
「…終わるってのが不思議でな。何か大事な事項を見落としてでもいるのではないかとすら思ってしまったよ」
「そうです、私も同じことさっき思いました」
「また戦況が変わる前に急いで立案して決行しようじゃないか、作戦局はまだいるな?」
「ここに来る前に待機を命じました」
「さすがだな、この案を実行可能か考えてもらえ。間に合えば明日の朝一で会議にかけてみよう、報告しなさい」
「はい」
一礼して下がろうとした時、雨宮がポツンと尋ねた。
「なあ」
「はい」
「…もしも終わったら、戻るのか?」
「そうするつもりですが…」
「もはやあの家には君しかいないんだよ、それでもか?」
「おっしゃる意味がよくわからないのですが…親族がいようがいまいが関係ありません、私はただただ京紡を繁栄させるだけです」
「そうか…」
「昔のように言ってくださらないのですか?それでこそ京紡だと」
「…もう行きなさい」
失礼します、と告げながら見つめる叔父は悲痛そうに顔を歪めていた。なぜそんな顔をするかまるでわからない。ただ分かるのは昔の叔父はいないことだ。我々は間違っていた、と叔父は唸るような声で言い放った。
「間違えなどあるわけないでしょう。おじさま、京紡の後継が決めたことです。京紡の血が間違えたと?」
微笑んで見せると、叔父はもうやめてくれ、と呟いた。何か気に食わない発言だったかしら、不思議な態度に驚きながらも作戦局を訪ねると少しばかり歓迎を受けた。
「中佐、戻られてたんですね」
「えぇ、本日付で。またしばらくお世話になりますね」
「どうせならついでに作戦局に異動してきて欲しかったですよ、東部に皆かかりっきりで人足りてないんです」
「それはそれで楽しそうですが、これを今日はお願いしたくて。雨宮少将の許可は得ました」
「これは?」
「北方のを終わらせようと思って」
「は、え?」
「終戦です、私もいい加減飽きました」
「えええええ」
「ちょ、ちょっと拝見しますね!!!」
報告書を引ったくるようにして話を聞いていた3人が流し見た。しばらく手持ち無沙汰で作戦局の壁を眺める。先日の局対抗演舞に勝ったらしく誇らしげに表彰状が飾られている。チーム名が妙にダサく、それが逆に身内ネタのようで生々しかった。
「…これはまさしく終戦ですね」
「それで作戦の精査と軍備の算出をお願いしたくて」
「手が震えます」
「これはちなみにどなたが立案ですか?」
「私です、東部が終わったと聞いてふと思いついたんです」
「さすがでありますな」
「俊英ぶりはそのままですな」
「ふふ、ありがとうございます。間に合えば朝一の会議にかけたいと閣下が、どうでしょう?」
「間に合うでしょうな」
「こちらで報告致しますので、京紡中佐はもうお休みになられたら?久しぶりで疲れたでしょうし」
「…では、お言葉に甘えます」
お土産をついでに渡すと張り切った3人は他の局員も呼び出して立案にかかった。微笑んで部屋を出ると辺りは闇に包まれていた。ポツポツと並んだオレンジのライトは節電のため日付が超えると消されてしまうのだ。血税だからなと厳しく上層部は言っていたが、どうせ深くは考えていないだろう。
「…朔夜、いるんでしょ」
「は、お見通しなのかよ」
「まぁ、相棒のことだしね」
「飲もうぜ、なんかやってらんねー。お前が帰ってきた途端に終戦とか」
「何かいいもの持ってるの?」
「閣下がくれた10年もののワイン。ワイナリー厳選らしい」
「ふうん、いこうか」
スッと差し出された腕に捕まる。この数ヶ月で背がまた伸びたようで、腕はまた少し逞しくなっていた。
「少年の頃の朔夜が恋しいわ。あんなに可愛かったのに」
「はあ?」
「お嫁になって、てちてちって感じだったのにさ」
「はあ?!んなことしてねえ」
「ちょっと殴ったらよく泣いたし」
「殴るのは綴が悪いんだろ」
「ま、立派な人になったみたいで育てたかいがあったわね」
「おー、そうかよ。こっちも綴には恨みがあるんだよ」
「まあ、恐ろしい、ふふふ」
けらけらと笑う綴は昔のような表情とはまるで違う。そう、昔の柔らかく微笑んでいるのに目の中は笑っていなかったあの頃とは。心底楽しそうだ。
しかしそれなのにどうして薄寒いのだろうか、たとえば無表情な殺戮アンドロイドが笑顔という概念を学んでそれらしい顔をしているようにも見える。ゾッとするような考えだったが、なぜか否定できない。綴を見るとまた微笑んだ。
「何その、悍ましい化け物でもみましたって顔は」
「は、自覚ねえのかよ」
「あはは、よく言われるからね。笑っているのに怖いって。…流石にわかってるよ、わたしも笑顔くらい見せなきゃね」
「はー、怖いやつ」
「私からすれば朔夜の方が怖いけどね」
「なんで?」
「私のこと好きすぎて殺したいみたいな目をしてる時ある」
「正解だな」
「怖いわよ。軍に鮨詰めじゃなかったら距離取りたいくらい」
「はははは。軍じゃなかったら会えなかっただろうな、京紡なんて公家」
嬉しそうに軽口を叩く流につい綴も表情が優しくなる。
「戦争、終わるのかな」
「…お前の計画、あれなら終わってもおかしくないだろ」
「そうだね」
「……その、終わったら何するんだ?」
「ん?実家に戻るよ。長らく留守にしたからね」
「そうだよな」
「朔夜は?」
「俺も戻る、かな。学園に戻って課程終わらせなきゃ。今のところ最終学歴が中学校だ」
「流のお家も大変ねえ。でも朔夜ならすぐ終わらせられるよ」
微笑んでそう伝えると苦い顔をされた。どうやらまたかける言葉を間違えたらしい。
しばらく沈黙が落ちる。外は暗闇、無機質な廊下をまっすぐ歩いていると自分が吸い込まれるような気がした。隣を眺めると男らしいシャープな顎と首、相反するような長いまつ毛と意志の強さを感じさせる紺碧の瞳が目に入る。少し前に酔い潰れた朔夜をふと思い出す。
潜入入学する前に景気付けにとワインを開けた。あの時も閣下のワインだった。やたらとタンニンが強く、これは飲めたもんじゃないと急いで空にしたのだ。勢いで飲んだためか悪酔いした朔夜はグッと距離を近づけてこう言った。
『お前ってさ、何でそんなに冷淡な美貌なんだよ。おかしいだろ』
『顔面は変えられないじゃん…』
『美しすぎてこえーって戦務の新人に言われてたぜ』
『…ふーん?京紡ってさお金持ちで権力もあるからあとは女だけだったんじゃない?手に入れたいのが』
『はー、金持ちってやっぱクソだな』
『それおんなじことあなたに言えるわよ、ふふ』
『特にこの目がおかしいんだよな、こう不吉めいてるっつーか…吸い込まれそうっつーか、見えてる世界が違うんじゃねーかみたいな』
酔いすぎて目が据わった朔夜がわたしの瞳をぐいっと広げて、覗き込んできたのだ。
そんな回想をしつつ、隣を見つめるとようやく目が合った。
「朔夜、あなたも冷淡な美貌だよね」
「ぁ?何だよ、急に」
「ほら、まつ毛長いし、鼻筋、細くて長いじゃない」
ぐいっと首を掴み、目を見開かせる。朔夜の瞳も縁がかなり青っぽいから、そういうとこも冷淡な見た目に寄与しているだろう。
「…お前、行くとこないんだろ」
「話聞いてた?家に帰るの、京紡の」
「義務だろ、それは」
「そんなこと、ない。やり残したことたくさんあるしね」
「それが義務感だっつってんだろ」
「まぁ、そうかもね」
「…綴、お前さえ良ければうちに来いよ。部屋一部屋くらい余裕で貸すし、おんなじ学校に…」
「は、却下する」
「話聞けよ」
「同情なんかいらない」
「同情でもねーってば、おい」
朔夜の言いたいことは大体わかる。心から一緒にいて欲しくて言ってることもわかっている。
でも、今はそういう関係になりたくなかった。多分これから先も。
「…話聞けよ、くそ」
後ろから悲しげな声が響いたのに気づいたが、今更戻るわけにいかなかった。ただ前だけを見つめて、歩みを早めた。
翌日、軍の質の悪いベッドで目を覚まし、手早く支度を済ませる。変装用に化粧などをすることがないためいつもよりも早かった。
「…おはようございます」
「京紡中佐、雨宮少将がお呼びです」
「わかりました」
予想していた通りだったが、朝の会議に北方の戦線の終結がかけられたみたいだった。雨宮少将は朝からご機嫌な様子だ。
「君、ほんといい働きだったよ」
「と言いますと?」
「これは優先事項になった。つまり、北方戦線の終結に全軍かけて挑むことになる」
「素晴らしいです」
「近々そちらにも収集がかかるだろう、最後の軍務生活を全うすることだ」
「はい」
業務連絡を受けながらも考えていたのは終戦後のことだった。間違えなく混乱するだろう。
「閣下、叔父として私に答えてください」
「そんなこと言うのは初めてだな、なんだ」
「閣下は京紡に戻られるんですか?」
「……いや、戻らない。あそこは地獄だ」
私によく似た目がこちらを貫く。鼻筋、瞳、顎のライン、どれもよく似ていた。京紡の血は濃い、どこの家よりも濃い。それは庶子である雨宮にも継がれていた。
「そうですか、余計なことを聞きました」
「私と君の父親と祖父とは仲が良かったんだ」
「存じております」
「だから君の…その計画を後押ししたんだよ。京紡の栄華には必要だったんだと」
昔、京紡に直系の長男と嫁、それから大勢の妾がいた。妾らは全て京紡の子を成すために選ばれており、生まれた子供は1人残らず本家が引き取り、直系の長男のスペアとして育てられた。
しかし、民主化が進み、皇室の側室制度が廃止されたことで公家の妾制度も糾弾されるようになってしまった。もちろん京紡も。
そんな時代背景があってかそれとも、もともと京紡本家は子供ができにくい血筋もあってか、本家直系の家系は残っていたものの京紡は随分と数を減らしてしまった。そんな折に私の祖父による妾疑惑が降ってわいたのだ。妾さんは亡くなったものの後に残された庶子がこの雨宮叔父さん。祖父の養子という形で引き取られたものの見事に京紡の血を引き継いでいる。
優秀であったが私の父親という本家直系長男がいたため大きくなった後厄介払いでもされるように軍へ入隊させられた。そこに何か思うことがあったのかは本人にしかわからないがみるみるうちに出世し、中央軍のトップへと上り詰めた。陰ながら罪滅ぼしのためなのか京紡本家の祖父や父親からの大規模な支援金もあったのも大きかったのだろうが。
「祖父と父の計画に苦言を呈したことはありません。だからお気になさらず。私自身もこの計画を評価する立場にございませんし」
「…そうか。俺は軍に残るよ。軍がなくなっても誰かが残っていろいろやらなきゃだろうし、警ら隊や自警団なんてものもできるかもしれないし、そんな時一人くらいまとめられるやつが必要だろ」
「そうでしたか」
特に何か詳しく聞くこともなくて微笑んで退室する。何か言いたげな叔父の視線は昨日とまるで変わらなかった。回廊をあるきながら大昔のことを考える。
計画、それは叔父と父親、それから祖父の間で練られたものだった。父の正妻である母は数度の流産を経て子宮と引き換えにようやく私を産んだ。度重なる流産のせいか酷く義母と祖父に責められたようで心を壊し、できるだけ優秀になるように、強さを求められる京紡の血にふさわしい跡取りに私をすることに血道を捧げた。そんな気狂いの母を止めるどころか後押ししたのが父と叔父、祖父だった。早く一人前にさせるために基本的には赤ん坊の頃から閉じ込めて英才教育を受けさせるようにしたのだ。
物心ついた最初の記憶はドアだった。
目の前には白樺の一枚板で作られた大きなドアが鎮座していた。木目と色が美しく、触れるとホッとするような木の温もりを感じたのに、扉の反対側の人間の気配は終ぞ伝えてくれることはなかった。ここを通って来るのは、先生とそれから食べ物だけだった。
『ねぇ、開けてよ、開けてよ!!』
苦しくとも人恋しいときも病に苦しむ時でも冷淡で出来が悪いと鞭を振るう先生と料理しかその扉からは出てこなかった。泣き喚いていても何も変わらないことを察すると、だんだん感情が揺らがなくなるのがわかった。
そこから数年は先生とひたすら勉強し、マナーを学び、教養と帝王学と名のつくあらゆる事柄を学び、そして倒れたように眠りにつく。それだけの生活だった。そして先生に外に出しても良いという評価を受けてようやく白樺の扉を抜けたのだ。
『…京紡様』
『…は?』
『何ですか、その言葉遣いは!あなたは京紡の跡取りなのですよ!?』
『…失礼いたしました』
辛いことは過ぎたと思っていた。あの白樺の牢獄から抜け出せたと思っていたのに待っていたのは次の地獄だった。
本邸で生活することを許可されたのだが、そこには同じく京紡の血を継ぐ子供が数人いた。どいつもこいつも愚鈍そうな見た目をしている。新たな地獄は他人を蹴落とすところだった。
『綴さん、こんなこともわからないの?跡取りのくせに、出来が悪いのね。私が代わってあげましょうか?』
まだまだ幼く、いちいちそんな意地悪な年上の子供の言葉に傷ついた。治してほしいその傷は誰にも癒やされることなく、一層責め立てられた。傷つくことすら許されなかった。あそこでは強さと賢さだけが持つことを許されていた。
『あなたは本家直系なのですよ?なぜわからない?』
『当代の娘だからと期待していたが、これではお飾りにすらならんな』
『気持ち悪い、へらへら笑う暇があるなら苦しんでお稽古に励んだら?』
『見た目はよろしくても跡取りにはなれないんですわよ?お母様は教えてくださらなかったの?』
もっともっともっと、と責め立てられた。そのうち全ての感情を失ってしまった。
『さすがですなぁ、綴様は』
『さすが当代の娘だ。君しか跡取りはいないよ』
『あなたに教えることはもうございませんわ、立派になられて誇らしい気分です』
全ての批判を叩きのめし、本邸に数人いた子供達を全てお役御免にした時ようやくひと心地ついた。ただその時にはもうひとらしい感情はなかった。ただただ京紡の繁栄だけを考えていた。
まずは、私の立場を盤石にせねば。そう願い父親を殺した。刺し殺した時、父親は唖然とした顔を見せた。
『当代、代わってください』
次にその死を不審に思って隠居した場所からわざわざやってきた祖父も刺し殺した。血溜まりに崩れ落ちて死ぬ前に怯えた顔をしていた。
『なぜだ、計画は完璧だった。君は私たちに何の恨みもないよな』
『えぇ、京紡の指示系統がいくつもあったら困りますでしょう?私が握ることにしました』
『息子は、それでは』
『失礼、私が当代を名乗らせてもらいます』
手応えはあった。医師はどちらに利益があるかを考え、その結果祖父と父の死に口を噤んだ。
『病死であります』
その言葉を聞いた時の親族ときたらいまだに愉快な気分になる。その刺し傷が見えんのか!!と怒鳴り上げる祖父の又従兄弟に近寄ると、ヒッと情けない悲鳴をあげていた。
『父と祖父は病床で私を当代に認定してくださいました』
『う、嘘だ!!!そんなの信じられるわけ、』
『その遺言はこちらの専属医師と顧問弁護士が聞いておりますし証言してくださいますよ』
明らかに怪しかった。そもそも刺し傷がある時点でお察しだったが、誰も否と言えなかった。
喚く母親を当時きな臭かった地域へ療養として送り、ようやく身の回りは静かになった。そこからはただ京紡の会社を運営して、規模を大いに膨らませた。
『京紡様、軍への出資ですが…』
ある日財産管理を任せている専門家から突然電話が来た。どうやら軍の財務状況が芳しくなく、叔父へ出資するにしても回収できるのかという業界の噂を聞いたらしい。長らく軍には出資し続けましたし義務は果たしたと思いますよ、手を引くなら今ですよ、とアドバイスしてきた。
『叔父さんに直接問いただしてきます。お金は取り返します』
『さ、左様ですか』
『だから、しばらく京紡の財産、見といてください。会社業務は役員たちが、京紡の家は使用人たちに任せておいてくれれば十分ですから』
『畏まりました』
この頃の私はきちんと笑ったことがなく、ただただ人を萎縮させることに長けていた。この頃の私を知る者はもうほとんどいないが。
叔父を訪ねてきたという体で強引に押しいる。京紡家ということで誰も言い返すことはできなかったようだ。戦務局のコンクリートの扉を開けると呆然とした様子の叔父と目があった。
『叔父様、何をしてらっしゃるの?』
『き、君…なぜここに…』
『そりゃ、決まってますでしょう』
『そうか、殺しに来たのか…』
『は?いえ、お金取り戻しに来ました』
どうやら、父と祖父を続けて殺したことで恨みを買っていると思っていたようだ。まるで殺し屋のような扱いに今でも苦笑する。
『そ、そうかい』
『えぇ。ここ数年、軍の財政悪化は甚だしいものですわ、流石にもう投資はできません』
『すまないな、言葉もないよ』
『…志願致します』
『は?』
『私が内部から介入致します、早く書類と軍服をくださいませんか?』
よく似た顔、それでも渋みの強い瞳にありありと浮かぶのはやめて欲しいという懇願だった。




