悪魔の子3
説明は後でだ、早く出発するぞ、という一言に背中を押されて駐車場に停まっていた車に乗り込んだ。所謂軍用車と呼ばれるゴツい車で向かい合わせになって座ることになるが、ものすごく気まずい空気を3人は感じることになる。言わずもがな、目の前の上官と、同じく真っ白けの宮古だ。
どれだけ腕のいい美容師がやったとしてもこれほどまで綺麗な白色の髪の毛は見たことがなかった。地毛かと疑いたくなるほど見事な白色だ。それに、夕暮れが終わったばかりの空の青色と紫を刻んで、一つ一つ縫い付けたような美しい瞳はまるで宇宙のように複雑な色味だった。長いまつげに今は覆われているが覗き込んだが最期、心にある全てを吐き出したくなるような魔性さを持っていた。
息を吸い込んだ井上は、意を決して口を開いた。
「…あの、いい加減、宮古について説明してもらっていいですか?」
「え?あ、そうだったな」
ほら、話せと目線で促されて、渋々口を開く。
「分かっていたかもしれないけど、私がスカウティングスタッフだったの」
淡々とした口調だった。美しい瞳は伏せられて、長いまつ毛は作り物のようにはためく。
えー、とでも反応するかと思いきや、あっけらかんと目の前の町田は頷いた。
「…まぁ、そうだとは思ってた」
「え?」
「いや、だって流石に軍から目をつけられるような学校じゃねえし。敵視されるんじゃないなら、スカウトだとは思ってた」
「…たしかに」
「それで、その、見た目は?」
「あぁ、それが聞きたかったんだ」
皆が綴をを訝しげに見ている。この目は懐かしい。幼い頃からこの目で見つめられてきた。初めて他所の人を見たのは流だった。唖然とした様子だったっけ。それまでの人とはまるで反応が違って初めて心から愉快な気持ちになった。
自分の髪の毛をつまんで見せる。真っ白だ。それに伴い手のひらも真っ白。そしてそれを見つめる綴の瞳は宇宙のような青色。どこもかしこも白くて白くて、人間じゃないみたいだと綴は苦笑した。
「病気、ただの」
「だからその見た目か」
「原因は正直わからないけど、どこかの時期にロシア人の妾が入ったって聞いたから、それでこの国の人間ぽくない見た目だと思う」
「そうか」
小さな頭、深い眼窩、幅の広い二重、尖った鼻筋、まっすぐな体躯。それらはアジア人のそれとは違い、明らかに外国人の体つきであった。
「妾!?」
「あ、うん。私の本当の名前、京紡綴」
「京紡?」
「それ、元老院議長の名前じゃない?」
「うん、私の亡き祖父」
「ええええ?」
「は?設定盛りすぎだろ」
「いや、笑えない」
「そう?」
フッと笑うとそれだけで怯えたようにこちらを見る。
「スパイってことはみやこ、…京紡も軍人ってこと?もしかして、俺らより先輩?」
「あー、まぁそうなるね」
「階級は?」
「中央軍参謀本部戦務局所属参謀将校の中佐です」
「は?」
「…まだ階級とか、どんな組織かもわかんないでしょうね。まぁ、軍の真ん中で作戦考えてる人っていうこと」
「…え、めちゃくちゃエリートじゃない?」
「こっちの人もそうだし、多分これから将校課程終わったらみんなおんなじルートだよ」
「そうなんですか…?」
「うん、ね、朔夜」
「まぁ、大体そんな感じだな」
ほんの少しだけ胡乱げな目で元クラスメイトたちに見つめられて綴はちょっと驚いた。まさかこのひと時で信頼をなくすとは。スパイとはわかっていたとしても一気に距離感が遠くなったのを感じた。
「さて、それじゃあこのあとについて説明しようか」
ひと段落ついたのを察した朔がまた話を戻す。淡々と話すその横顔は幼い頃からずっと見続けてきたもので安心した。しかし、その美しい横顔に時折浮かび上がる凶暴な影は少しだけ疑問だった。何がどうこの2年間で変わってしまったのか、それを聞くことすらできなかった。
まぁ、後でのんびり旧交を深めよう、そう思っていたが、それが叶うほど軍は暇ではないのを綴はすっかり忘れていた。
帝国某所、ここには軍の総本山である中央軍がある。将校課程と一年の下積みを経れば、地方軍に入らないかぎりはここに配属される。最も荘厳な建物は軍基地というよりもどこか裁判所のような重さを感じていた。うーん、やめよう、軍事裁判を考えさせられるや…もし敗戦したらと考えてその恐ろしい考えを吹き飛ばしたくなった。A級戦犯ではなくとも、きっとあっけなく死ぬ刑に処されるのは間違いないだろう。
「さて、ここから少し歩くことになるがついてこい。そして、綴は…先に本部に戻って報告した方がいいな」
「まぁ、さっさと済ませるつもりだったし、やってくるよ、後でね」
「あぁ」
各々手を振ったりしながら、左右に分かれる。ここが、私の居場所。帝国軍、そして私の牢獄だ。
「何で戻ってきちゃったんだろ…」
懐かしい風景を見ながら綴は本部の直属の上司、雨宮少将の元へと走るのだった。途中、よく見ていた中庭の隅を見つけた。相変わらず鬱蒼としていて誰の手も及んでいないのか、より一層陰気な雰囲気が漂っている。後で掃除でもしようかそう迷う。
「…というわけで以上の3名を選抜し、戻って参りました。こちらに彼らの詳細がございますので、お読みください」
「…なるほど、うまく錬成できれば使えるね」
「えぇ、そうでしょう?」
「うん、もう戻ってよし。他の人らにも挨拶してきなさい」
「はい、失礼致します」
軍用車の中で急いで作成した報告書はお目に適ったようだ。よかった、この2年間の頑張りが無駄になるところだった。まぁ、日々レポートを送付していたから予定通りではあったのだろうけど。
後でこれを人事局と情報局にも渡して、それから将校課程の教官たちとか寮にも一応話をつけておいて…あぁ、こんなんだったっけ。
慌ただしくパタパタと動き回りつつ、戻ってきた報告をすればみんな嬉しそうにしていた。
「…京紡様だ」
「おかえりなさい、!」
「…ありがとう」
「年相応の教育はどうでしたか?」
「…よかったです。なかなか新鮮でした」
「ふふ、」
「あぁ、戻ってきてくれてよかった!」
「これで流少佐の不機嫌から解放される!」
「え、朔夜?なぜ?」
どうして不機嫌なの?そう聞くと、ひくりと頬を歪めて後輩たちはうんうん唸り出した。話したいけれど、話すと朔夜に叱責されると感じているらしい。
「あ、…いや、何でもないです、後でまた!」
「あ、うん」
駆け足で逃げるように去っていく後輩。ここでは上官が全てだ。気に入られれば安泰だし、嫌われれば途方もない戦地に飛ばされる。と言うわけで告げ口みたいで気が乗らないのであろう。先ほどまで綴の後ろを見つめて泣きそうな顔をしていた後輩たちは逃げていってしまった。
それを見送ってから後ろを振り返ると、予想通り朔夜がいた。
「あら、お疲れ様」
「おう、そっちも」
「…みんな大丈夫そう?」
「まぁ1週間もすれば慣れるだろ、慣れなくても何ら問題はない」
追い出せばいいだけだしと言いたげに口を尖らせた。うん、それはもちろん考えてたよと頷いた。少し顔を緩めて呆れたような口ぶりで朔夜はまた話し出した。
「はぁ、上がお前の帰還パーティやるってノリノリだぜ」
「え、パーティするほどの功績?」
「…だよな」
「ふふ、飲みたいだけなんでしょうね、あの人らの財布から出させるから」
「さすが〜財務が泣くのを回避したな」
「当たり前」
ピースサインしてくすくす笑う綴は昔のままで、朔夜は何か胸が突かれたような気がした。
それを隠すようにぶっきらぼうに戻るぞと呟いて、手を引っ張って同じ戦務局に戻る。二人は同僚でもあった。綴の方が一年先に将校入りしたため正しくは先輩後輩の立場だが、ツーマンセルを組む上で徐々に同期と言った風に本人たちの意識も変わって行った。
綴は昔の記憶のまま朔夜の隣の席に着くと、なんだかタイムスリップしたようなおかしな気分になった。しかし、そんなふんわりとした郷愁も机の上に山ほど置かれていた書類を見てすぐに霧散した。顔が引き攣る。え、いなかった時期の後始末も私がしなきゃいけないの…と嫌な予感がする。
「自由の対価だな」
「最悪…別に自由じゃないし、潜入スカウト、つまり仕事だし」
「はは、どんまい」
嬉しそうに朔夜が隣の席に座った。あぁ、そうだ。こんな席順だったな。カタカタとパソコンのキーを叩くのも、窓からの夕焼けを感じながら時間を測るのも久しぶりすぎてなんだか胸が熱くなるのを感じてきた。潜入している間中気が休まらなかったのを考えるとようやく一息ついた気がした。
「明日から、東部戦線の事後処理始まるからな」
「…終わったの?あそこ」
「内々だが、停戦条約が発効される、明日から調停に入る」
「めんどくさいなー、もう」
「終わってよかったじゃねえか、あとは北方だけだ」
「まぁ、そうね」
北方の方に目を向けるといくつかの要塞をめぐって争っているらしい。前線はぴたりと止まったまんまだ。ふう、と一つため息をこぼす。
「…なんだ、もう終わるじゃん」
「何がだよ」
「戦争」
「…は?」
パッと朔夜は綴を振り返った。不吉なまでの美貌は少女から若い娘になるにつれて、より神々しさを増した。薄く微笑みつつ、手元の資料と地図を見つめる様子は神が祝福してるように背後の窓から赤々とした夕暮れが入ってきて見ている者に圧迫感を感じさせる。血のように赤い夕陽と少女の威圧感に喉を締め上げられたような息苦しさを覚えた朔夜はしばらく息を詰めていたが、綴が地図の一つの拠点を指差したことでようやく圧迫感が消えた。
「…ここ、覚えてる?」
「綴がスカウトに行く直前に奪った離島、だろ」
「そうだよ、ここにたとえば戦闘機を配備します、それで激し目に陸軍が進撃しますね、するとどうなるでしょうか」
「同じ力で押し返す一択」
「だね?で、その時相手はもちろん離島に戦力を集中させるとして、ここが手薄になるはずで、ここを一点突破」
「…は、後ろに空軍を配備するわけな」
「そうそう、ついでに島の入り江からここに母艦置いとけば人員の補充も楽でしょ」
「なるほどな、空軍で後ろから叩くのもありだしな」
「そうね、母艦の護衛だけさせるのはもったいない」
今までより多少損害は出そうだけど長引かせるくらいなら終わらせましょうか、そう結論づけるとまた微笑んだ。目の前で顔を青ざめさせている朔夜の様子が不思議だった。
「ちなみに、これ終わらせようとしてる上層部は?」
「…みんな東部に目が向いてる」
「あらま、雨宮少将は?」
「さあね、忙しくしてるけど考えてるだろうな」
「わかった、今はどこに?」
「執務室か、いなきゃ政治家共と会食かね」
りょーかい、と嬉しそうに立ち上がると軍帽を被り直して部屋を出るとするりと綴の表情は冷めた。
「…終わるのか」
戦争が。およそ三年半。最初の失速がよくなかったのか、少しばかり長引きしたが十分早い範疇だった。遠くの国では十年近く戦争したり停戦したりを繰り返しているのだから。
「…樹」
久しく口に出さなかった名前をそっと唇に乗せる。胸が締め付けられるような気持ちがした。おかしい、とうに心は失った、…いや心などなかったからこの気持ちは何だろうか。
「………早く会いに行かなきゃね」
瞳を伏せる。
たまに夢に見る嫌な記憶。
鮮やかな赤、美しい黒い瞳がこちらを見つめていた。
知っていた。
人の命など脆くて大事なものであっても綴の懐に入ることはまるでなかった。それでも、これは何なのだろう。
緩慢に動く自分の体が忌まわしい。ようやく銃口を向けた、引き金を引いた。周りが恐れるほど連続して銃声が響く。
元凶は死んだはずだった。
それなのに、元に戻らなかった。
「…樹」
もう一度声に出すと、どこからか綴様と懐かしい声が聞こえた気がした。




