彼女の過ち3
言い訳をさせてもらえるのならば忙しかったのだ。
朔夜と交流してからおよそ三ヶ月が経った。急いで解析してもらった結果、分家筋に当主の情報を流したのは軍務の情報部上層部だった。どうやら大金に目が眩んだらしい。軍上層部とは言え、一般人だ。しかも退役後の軍人。
一瞬たりとも迷うことなく手にかけた。そして金で情報を買おうとした分家も悉く粛清をした。何か火種が生まれたら困るなと思い、当主と後継者の男児、妻を殺した。総勢50人は超えていた。平和な世になっても尚、血に塗れた手を見る。白く美しく、当主の印でもある銀色の指輪がよく似合っているのに、血の幻覚が見えた。もしかしたらこの一ヶ月で殺した人数は、戦争で撃破した数よりも多いかもしれない、少しゲンナリしながら報告書を取りまとめていたときだった。
「…招待状?」
「はい、当主が代わったとのことでぜひにと」
片膝をついたまま頭を決して上げようとはしない使者のシルバーグレーの髪を見つめながらしばらく考える。事前にアポイントを取って今日やってきたのは大昔に袂を分けたはずの大名家、先槻家の使者だった。ここしばらくの綴の動向を見て、正式に繋がりを持ちたいと思ったのだろう。面倒なことになったかもしれない、各家に畏怖を抱かせるほど派手に動きすぎたかと少し反省する。
「…ふむ、規模はどうだ?わたしはまだ社交界にも出たことはないのだがな」
「派閥問わず公家の者たちを呼び、盛大に執り行うつもりだそうです」
「そうか」
「はい、ぜひお越しいただけたら、格がつきます。そして、ぜひ京紡様のご威光を下々にもお示し頂けたら恐悦です」
「…は、お前がわたしに意見するのか?」
揶揄うように意地悪なことを言ってみると、使者は片膝立ちから勢いよく土下座をして見せた。
その潔さには後ろにいた使用人も少し驚いたように息を呑んだ音が聞こえた。
「いいえ、まさかそんなわけがございません。京紡様のお考えは私どもには想像も出来ぬほど深遠なものでございますから」
「そうか、予定を見てから決める。お前はそこでしばし待て、返事を書く」
「ありがとうございます」
土下座をしたままの体勢でさらに深く頭を下げている。床にはもう額がついているだろう、一つの粗相で命が家門が吹き飛ぶとわかっているのだ。さすがに先槻は礼儀を重んじているなと使者から痛いほど伝わってきたため慈悲を施すことにした。
使用人に茶でも出してくつろがせてやれと指示を出してから応接室を出て執務室で筆を取る。短く参加の旨を書くと、朔夜に電話をかける。
ランチの時間だったためかワンコールもしないうちに朔夜は出た。
「もしもし?綴か?」
「あぁ、朔夜久しぶり」
「おう…どうかした?お前がかけてくるなんて珍しくて怖いわ」
「少し頼み事があってね」
平日だから今の時間は学校なのか、朔夜の声の後ろからはおおぜいの声が聞こえた。おい、流もランチ、カフェテリアだろ?早く行こうぜ、と誰かが笑いながら朔夜に話しかけた声すら聞こえる。
「…うるせえよ、今電話してるから後で合流する。先行っとけ」
おう、早く来いよ!とはしゃぐ声が耳に突き刺さったようだった。
「…忙しかったかしら?」
「…別に、日常だぞ」
「あらそう」
少しの間声が出なかった。彼は公家でもなく、ただの新興財閥の息子だ、どうして自分と違うことに驚くのだろう。すうと息を吸って少しだけ心を落ち着かせる。
「共に出席してほしいパーティがある」
そう口に乗せると確かに朔夜が笑う気配がしたのだ。そして間違いではなければ、それは嘲笑だった。
一つ息を呑んだ。
概要を話し終えると朔夜はいつも通りの声で返事した。
「そうか。別にいいぜ、お前が行きたいと思ったからには俺が連れ出すだけだ」
「…そう、ありがとう」
どことなく嬉々として返事をする朔夜の後ろの喧騒はそのままだった。ランチは何にするか、この後の授業はなんなのかと話し合う彼のクラスメイトは底知れぬほど明るいようだ。それが妙に耳について一喝したいような気分になったが、そっけなくお礼を言うことにした。
「俺からもお願いがあるんだけど」
「…え、何?」
綴から何かお願いすることはあっても朔夜からはというのはなかなかなかった。なぜかは綴にはわからなかった。男の矜持とでも言うのか、それとも単に綴が聞くほどの願いでもなかったのかどうか今となってはわからないが。
「うちのパーティに来てほしい」
その声に力が抜けると同時に少しばかり落胆する。なんだ、格をつけたいパーティか、と。失望を隠そうと微笑んで見せる。
「…ふふ、わかった」
「おう、もしかしたらそっちのパーティよりも先かもな、お前は来ないと思っていたし」
「じゃ、先にそちらの社交界デビューかな」
「そうか…じゃあ、せっかくだし衣装も考えとけよ。俺は大抵黒いスーツだから変わり映えしないけど、その…女性は色々オシャレしなきゃで大変だろ」
「あぁ、確かに…」
衣装のことを考えると少しゲンナリする。あまり人と被らず、自分の魅力を活かして、そして何より京紡として相応しいものをと考えると一気に候補が減るのだ。助言をもらえるほど関係の深い親族がもういないのも考えものだなと舌打ちしたい気持ちを堪える。
「それじゃあ打ち合わせのために授業終わったらそっちに寄る」
「わかった、何時頃だ?迎えを寄越すよ」
「四時くらいだな」
そこまで話したときだった。朔夜の後ろから華やかな声が沸き起こった。
「流くん、まだ食べないの〜?」
「おいおい、朔夜おせえよ。もう食っちまった。これお前用のパンな、カフェテリアで食う時間ももうないだろ?」
「ありがとうな」
はっきりと聞こえた女子の声。そして先ほど聞こえた男の声も加わった。
「まだ電話してんのかよ、長くない?」
「…もう終わるし」
「てか、誰と電話だよ」
「関係ねえだろ」
「気になるよね〜、ね、誰々?彼女?」
「こえー女」
ぼそっと呟いた声に笑みが漏れる。怖い女か、的を射ている。そろそろ切ろうかと口を開いた瞬間だった。いきなり通話がビデオ通話に変わり、カメラが起動したのだ。
「おい、やめろよ」
荒々しく誰かを振り払おうとする朔夜が見えた。軍服姿ばかりを見ていたからか紺のブレザー姿が妙に面映い気持ちになる。綴自体も写っているのか画面の右下に小さく自分の姿が見えた。
白髪は無造作に肩から垂らされ、薄くメイクは施されているが茶色のスーツにストール姿はまるでマフィアのようだった。画面越しに見えるアメジストの瞳に朔夜は感動した。テクノロジーを通してもあの美しい神秘的な瞳は変わらず見れるのだ。今度からはビデオ通話にしよう、そっと心の中で決意する。
画面の中の美しい綴にぽうっと朔夜が見惚れていると、後ろから覗き込んだのは彼のクラスメイトたちだった。
「誰これ?」
「うわ、すっげー可愛い子じゃん!ねぇ、名前は?」
その声で我に帰ったのか朔夜は画面を見えない角度に隠した。男の嬉々とした声と、女のどこか不機嫌そうな声で大体のことを察してしまった綴は呆れた声を出す。
「朔夜、また後で。もう切るな」
「…あ、うん。それじゃな」
通話が切れた今、静寂に包まれた。部屋に控えている使用人は一言も発しない。窓から見える中庭もシンと静まり返っている。その滲みいるような静寂が心地よくも、どこか、ほんの少しだけ綴の心に影を落とした。
一日の執務を終えて、甘い紅茶を楽しみながらマカロンを摘んでいると朔夜が着いたと報告が来た。昼間のことを考えて少しだけいつもよりもノロノロと応接室に向かう。彼の周りの明るい声がまだ耳骨にこだましたままだった。
「お、来たな」
「待たせてごめん」
しかし、こちらの緊張とは裏腹に一人掛けのソファに腰掛けた朔夜はいつも通りだった。違和感は制服姿くらいだろうか。
「朔夜はデビューは済ませているのか?」
「あぁ、7歳くらいの時にやったかな。あんま覚えてねえけど」
「ふふ、緊張するわね」
「嘘つくなよ、お前は大規模越境作戦の時すら顔色ひとつ変えなかったろ」
「そうだったかしらね…」
新たに焼き菓子を持ってきた使用人に一つ声をかける。
「夜会用のパーティドレスは先代夫人はどこで作っていたかしら?」
少しばかり逡巡したのちに使用人は一言、その出席するお家のサロンが作ったものでしょうかと答えた。なるほど、角が立たないように参加するパーティの主催者のお店で作っていたようだ。
「流は…オートクチュールブランド持っていないわよね?」
「あぁ、アパレルはまだ作ってねえな」
「じゃあ、仕方ないわね。朔夜はどこのテーラーで仕立ててもらうつもり?」
「ええと、シャネル」
「じゃ、わたしもそこにするわ」
「一緒に行くか?」
「そうね、揃いにするならそうしましょ。布地も同じ感じにして」
「いいな、お前似合う色は?」
「……そうね、黒かしら?」
「はは、じゃあ合わせやすいな」
くすくすと笑う姿にどこか力が抜ける。何か、勘違いしていたかもしれない。彼は朔夜であり、他のどんなところで楽しく笑っていたって彼そのものなのだ。
「時期的にも冬だし暖かそうな生地がいいよな」
「ベロア?」
「あぁ、実際に見てみねえとわかんないけど」
「そうね、カフスは翠とか青にしたら?映えるじゃない」
「あぁ、そりゃいい」
「わたしもアクセサリーの類は全てシルバーに統一しようかしら」
「それなら俺もそうしようかな、綴はどのブランドだ?」
「カルティエだけど…久しぶりに新しいジュエリー買ってもいいわね」
「それならブルガリがいい、セルペンティか、ゼロワンが欲しかったんだよ。お前と合わせるって言ったら父も出してくれる」
「わたしはスポンサー集め係かい?はは」
くすりと笑ってソファに体を投げ出すと向かいから思わしげな視線が送られてきた。
「おい、なんか……大丈夫かよ」
「ん?大丈夫だけど」
「綴、こっち向けよ」
向かいのソファから立ち上がり、目の前に跪いた朔夜に少しばかり驚く。しかし、なんとなく動けずにソファにだらしなく座り込むばかりだった。
「なーに、朔夜くん」
「その隈は…」
「んー…退役してからはまとまった睡眠が取れてなくてね」
「はあ?お前、軍時代でも3徹くらいだろ。それでも隈なんて…、ていうか、退役してから四ヶ月は経ってるだろ」
「まぁ、ね。ちょっと忙しくて」
「…何にだ?何に忙しいんだよ、天下の京紡は」
「ふふ、天下じゃないよ。お家騒動ってやつ。どいつもこいつも本家を乗っ取りたいみたいだね、そんなに欲しけりゃくれてやりたいよ、京紡の名前くらい」
口に出して気づいた、いつもであれば言わないことを言ってしまったと。特に使用人の前で家名を疎かにするようなことは自分に厳しく戒めていたのに、そのことに朔夜も気づいたのか一気に顔を険しくした。目の前で跪き、私の手を取るとそっと握りしめる。どこか冷たい手は、綴の嫌に熱くなった手の熱を奪った。目の前に浮かぶ青い瞳が眩しかった。そっと手を伸ばして触れたくなるほど美しかった。
「…寝ろ。俺が見といてやる」
「だいじょーぶ、もう少しで終わるから」
「…もう少しって?」
「二ヶ月くらいかなあ」
「おい、バカ言うな。今度こそ死ぬぞ」
「あはは、大袈裟って」
そう話している間にまた電話が鳴った。ふう、と一つ息を吐いてソファに寝転んだまま耳元にスマホをやるが、苛立った顔をした朔夜に取り上げられた。
「寝ろって言ってんだろーがよ、くそ」
「あは、それだけ電話したら寝るから、ね?」
「俺が答える。…何の用だよ?綴は休んでる」
通話を変わったのには呆れて、目を閉じる。久しぶりの休息過ぎてなかなか眠気は訪れなかった。感覚はずっと前から鈍麻しているのに休めない、休んだ瞬間に自分の定義を忘れてしまう気がしたのだ。粛清に粛清を重ねてもはや身内である政府も庇い立てできないほど犠牲者は増えた。
「…綴、殺したって」
「へぇ、どこ?」
「新野目ってとこ。一人連れ帰るか?って聞いてる」
「何のために?」
「……ええと、お前の後継者にするかって」
「新野目の未子か、なかなか機転が聞くと聞いている。そうか、この間後継をどうしようかと呟いたからか…」
「……は?今目の前で親殺して京紡に忠誠を植え付けるにはぴったりだろう、だとよ」
「…いや、まだ早い。あまり早くに引き取ると稚児趣味を疑われるに決まってる。いらないから殺せ」
何の感情もなく言われたその言葉を朔夜は電話の相手に言うのは少し憚られた。多分今伝えたら遠慮なく殺されるだろう、綴の後継になる予定の子供は。グッと息を堪えたのを感じたのか綴は薄く目を開いて朔夜を見た。
どうした?早く言え、と言外に伝えてくるその瞳が心底怖かった。
「…いらない、そうだ」
わかったと呟いた電話相手から一つ銃声が聞こえると通話は切れた。意味を知りたくなかったが、崩れ落ちるようにソファに転がる綴の上に倒れ込んだ。
「…朔夜、大丈夫かしら。あなたが罪を感じる必要はないわ」
「…ん、お前は………っとに、かわいそうなやつ」
「…は、何で?幸せだよ、こんなにも」
「違う、お前は心底かわいそうだ」
存在を確かめるようにゆっくりと抱きしめられる。重苦しいのに、その朔夜の必死さがどこか滑稽で、そしてどこか救いのように思えてようやく訪れた眠気に綴は安堵した。
電話越しに聞いた銃声を一時だけでも忘れられるような気がした。




