第四話:青森、おばあちゃんの温かいおもてなし
札幌での修行を終え、美緒と隆司は北へ向かう列車に揺られていた。
窓の外を流れる景色が、雪景色から少しずつ緑を帯びた山々へと変わっていく。
青森県の八戸駅に降り立つと、潮の香りが美緒の鼻をくすぐった。
「わあ……海だ! 札幌とは全然違う」
美緒が興奮した声で言うと、隆司は満足そうに微笑んだ。
「当たり前だ。青森は海と山に囲まれた、豊かな土地だ。その土地の料理には、そこで暮らす人々の知恵と工夫が詰まっている。さあ、行くぞ」
二人が向かったのは、駅から少し離れた場所にある、昔ながらの横丁だった。
細い路地裏に、提灯が灯る小さな店が軒を連ねている。
その中の一軒、「きみ食堂」と書かれた暖簾をくぐると、温かな空気が美緒たちを包み込んだ。
「いらっしゃい、いらっしゃい! こんな遠いところまで、よく来てくれたね」
迎えてくれたのは、腰の曲がった、ふくよかなおばあちゃんだった。
白い割烹着がよく似合っている。隆司がにこやかに挨拶をした。
「キミおばあちゃん、お久しぶりです! 覚えてますか? 東京の隆司です」
「あら、隆司ちゃん! ずいぶん立派になって! その可愛らしいお嬢さんは、もしや」
「娘の美緒です。料理の修行の旅をしてまして、おばあちゃんの料理を学ばせてもらおうと思って」
キミおばあちゃんは美緒の顔を両手で挟むと、まるで自分の孫のように優しく微笑んだ。
「はい、はい! 美緒ちゃんね! いい顔してる! さあ、さあ、ここに座って。ちょうど、せんべい汁を煮ていたんだから」
美緒と隆司がカウンターに座ると、目の前には湯気を立てる土鍋が置かれた。
鶏ガラと豚骨からとった出汁に、ゴボウ、キノコ、ネギ、そして、美緒が知っている米の煎餅、南部せんべいが浮かんでいる。
「これって、あの固いお煎餅ですよね? こんな風に、汁の中に入れても大丈夫なんですか?」
美緒が不思議そうに尋ねると、キミおばあちゃんは楽しそうに笑った。
「大丈夫だよ。これは鍋物専用の南部せんべいだからね。煮込んでも溶けずに、モチモチとした食感になるんだよ。昔は、農家が自分たちで煎餅を焼いて、汁に入れて食べていたんだ。厳しい冬を乗り越えるための、昔の人の知恵だよ」
美緒はレンゲで汁をすくい、一口飲んでみた。
鶏と豚の優しい出汁の味が身体の芯まで染み渡る。
続いて、南部せんべいを口に運ぶと、美緒の予想に反して、せんべいは全く崩れていなかった。外はトロリと柔らかく、中は独特の弾力と歯ごたえが残っている。
「……っ! すごい! お餅みたいにもちもちしてる! しかも、出汁を吸って、すごく美味しい!」
「だべ?(そうだろ?) 何にもないときでも、これさえあれば、お腹いっぱいになれたんだ。温かい汁を飲むと、心がホッとするべ」
美緒は頷きながら、もう一口せんべい汁を食べた。
その味は、札幌で食べたジンギスカンのような力強さとはまた違う、包み込むような温かさがあった。
「美緒ちゃん、このイカメンチも食べてみて!」
そう言って、キミおばあちゃんは、揚げたてのイカメンチを皿に乗せてくれた。
一口サイズに丸く成形されたそれは、こんがりと黄金色に揚がっている。
美緒が箸で割ると、中からイカの切り身と野菜が顔を出した。
「いかめんち…? これも郷土料理なんですか?」
「そうだ。昔は、イカのゲソ(足)や余った部分を細かく刻んで、キャベツやタマネギと一緒に混ぜて、揚げていたんだ。これも捨てる部分をなくす、昔の人たちの工夫だね」
美緒はアツアツのイカメンチを口に運んだ。
サクッとした衣の歯ごたえの後に、イカの旨味が口いっぱいに広がる。
そして、タマネギとキャベツの甘みが、イカの風味と絶妙に絡み合っていた。
「おいしい……! イカの食感がしっかり残ってるし、野菜の甘みがすごくいい。これを、何も捨てるものがないように作ったなんて、すごい工夫ですね」
美緒は感動を隠せない。
「料理っていうのはね、美緒ちゃん。何も珍しい食材を使わなくたって、人を幸せにできるんだよ。昔から、この辺りの料理は、みんなでワイワイ食べられるものが多かった。そうすることで、心も温まるからね」
キミおばあちゃんの言葉に、美緒はハッとした。
銀座の寿司屋で学んだ「食べ手への思いやり」が、ここ青森では「人と人が繋がる温かさ」という形で、もっと深く理解できた気がした。
その日の夜、美緒は宿に戻ると、隆司に話しかけた。
「お父さん。今日の料理、すごく心に残った。特に、せんべい汁とイカメンチ。シンプルで、どこにでもある食材を使ってるのに、すごく美味しい。そこには、昔の人たちの知恵と工夫、そして温かさがあるんだね」
隆司は静かに美緒の言葉を聞いていた。
「私は、これまで父が作ってきた料理や、銀座の高級寿司を見てきて、最高の料理人になるには、最高の食材や最高の技術が必要だと思っていた。でも、今日キミおばあちゃんの料理を食べて、分かった気がする。最高の料理っていうのは、相手を心から想う気持ちや、料理に込められた工夫のことなんじゃないかな」
「そうか。お前、また一歩、俺から遠ざかったな」
隆司が寂しそうに言うと、美緒は慌てて首を振った。
「違うよ! 父さんが教えてくれた“料理人の心”が、青森でまた違った形で繋がったんだ。私は、父の力強い料理と、キミおばあちゃんの温かい料理を、両方とも作れるようになりたい。それが、私だけの料理だと思ってる」
隆司は、美緒の言葉に満面の笑みを浮かべた。
「そうか……。よし、明日は、俺がお前の作った青森の味を食べてやる。お前だけの、心温まる最高の料理を作ってみろ」
「うん!」
翌朝、美緒はキミおばあちゃんに教わったように、せんべい汁とイカメンチを作ってみた。
美緒が作った料理は、キミおばあちゃんの料理よりも、少し洗練されていたが、どこか懐かしいような、優しい味がした。
美緒の料理旅は、北海道の力強い大地から、青森の温かい家庭の味へと、着実に歩を進めている。
旅はまだ始まったばかり。
美緒は、次なる土地で、どんな料理と、どんな人々と出会うのだろうか。




