表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/35

第三十話 奈良編 ― 柿の葉寿司と三輪素麺


 近鉄電車を降りると、ふわりと広がる奈良の春の空気。

青々とした若葉がそよぎ、遠くに大和三山の姿が霞んで見える。

街並みは歴史の趣を残しつつ、どこか穏やかで落ち着いた雰囲気を漂わせていた。


「奈良って、歩いてるだけで心が静かになるね」

美緒がリュックを背負い直しながら、ゆっくりと景色を眺める。


「そうだな。京都とも違うし、大阪や神戸ともまた違う……時間の流れがゆったりしてる」

隆司も深呼吸をしながら頷いた。


 二人が向かうのは、奈良の郷土料理を味わえる店。

そこでは、柿の葉寿司と三輪素麺を堪能できるという。


柿の葉寿司との出会い


 古民家風の落ち着いた店に入ると、木の香りが漂い、窓際には小さな庭が見えた。

そこには、ちょうど柿の木が芽吹いている。


「いらっしゃいませ。奈良の味を楽しみに来てくださったんですね」

店を切り盛りする女将が、にこやかに迎えてくれる。


「はい! 本場の柿の葉寿司を食べたくて」

美緒が声を弾ませる。


「おぉ、柿の葉寿司か。あれってお祭りや行事のときに食べるもんなんだろ?」

隆司が興味深そうに尋ねる。


「ええ、昔から保存食として作られてきたんですよ。魚を酢でしめて、柿の葉で包むことで日持ちもする。山の中で海の幸を楽しむための知恵なんです」


 やがて運ばれてきたのは、木箱に整然と並んだ柿の葉寿司。

柿の葉の緑が鮮やかで、まるで宝石箱のようだ。


「うわぁ、きれい……包みを開ける前からワクワクする!」

美緒が手を伸ばす。


「いただきます!」

葉をそっとめくると、中から酢でしめた鯖と酢飯が姿を現した。


「ん……! 鯖の旨味と酢の爽やかさ、それを柿の葉の香りが包んでる!」

美緒が目を輝かせる。


「ほんとだ。葉っぱの香りがほんのり移って、全体が調和してるな。これ、電車旅のお供に最高だ」

隆司も感心してうなずく。


「そうそう。昔は行楽などのときに持っていったんです。時間が経つほど味がなじんで、おいしくなるんですよ」

女将がにこやかに説明する。


「なるほど。保存のためだけじゃなくて、時間が育てる味なんだ」

隆司が納得するようにつぶやく。


「それにしても、葉っぱで包むだけでこんなに香りが違うなんて。お寿司って海沿いだけのものじゃなかったんだね」

美緒がしみじみと語る。


「奈良の人にとっては、海は遠い存在。でも工夫すれば、山国でもこうして魚を楽しめる。知恵と工夫の結晶だな」

隆司の言葉に、美緒も深く頷いた。


 三輪素麺の奥深さ


 柿の葉寿司を堪能したあと、女将は次の料理を運んできた。

木の桶に氷水を張り、その中で白い素麺が清らかに揺れている。


「これが三輪素麺です。奈良県桜井市の三輪は素麺発祥の地とされていて、千年以上の歴史があるんですよ」


「千年以上!」

美緒が驚きの声をあげる。


「そう、細くて繊細だけど、コシが強くて喉越しが良い。ぜひ味わってください」


 二人は箸を氷水に入れ、素麺をすくい上げてつゆにつける。


「……! 冷たくて気持ちいい! それに、すごくしっかりしてる。細いのにコシがある!」

美緒が嬉しそうに声をあげる。


「確かに。喉をすっと通っていく感じが爽やかだ。夏にぴったりだな」

隆司も感心する。


「でも、今日は春。素麺って夏のイメージだけど……春に食べるのもいいね」

美緒が目を細める。


「そうですね。春は春で、新緑を眺めながらいただくのも格別ですよ」

女将が柔らかく微笑む。


「ところで、この三輪素麺ってどうやって作るんですか?」

隆司が興味津々で尋ねる。


「小麦粉と塩と水を練って、油を塗りながら細く細く延ばしていくんです。手延べといって、人の手で何度も延ばすから、このコシと滑らかさが出るんです」


「へぇ……麺一本にどれだけ手間がかかってるんだろう」

美緒が目を丸くする。


「それに、熟成させることで味が深まるんですよ。職人さんたちが冬の寒さを利用して作るからこそ、この風味が生まれるんです」


「なるほど……自然の恵みと人の技術が合わさってるんだな」

隆司がしみじみと語る。


郷土料理が教えてくれること


 二人は柿の葉寿司と三輪素麺を食べ比べながら、感想を言い合った。


「どっちもシンプルなのに、すごく奥が深い。柿の葉寿司は山の中でも海を感じられる工夫で、三輪素麺は人の手が繊細に重ねた努力の味」

美緒が言葉を選ぶように語る。


「ほんとだな。豪華な食材じゃなくても、工夫と心でこんなに豊かになる。奈良の食って、静かなのに強い」

隆司も頷いた。


「静かなのに強い……いい表現ですね。奈良の食文化を一言で表すなら、それかもしれません」

女将も嬉しそうに微笑む。


「いやぁ……奈良の食って、まるでこの街そのものみたいだな」

隆司がふとつぶやく。


「うん。派手じゃないけど、ずっと心に残る味。忘れられない」

美緒も笑顔を浮かべた。


 二人は満ち足りた気持ちで店を後にし、奈良の春の街並みを歩き出した。

柿の葉の香りと素麺の涼やかさは、これからも二人の旅の記憶に刻まれていくだろう。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ