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第二十七話 京都編 京料理と湯豆腐 ― 出汁の奥深さと美意識


 春のやわらかな陽射しが京都の街並みを包み込んでいた。

通りには格子戸の町家が並び、風に乗って白木の香りや炊きたてのご飯の匂いが漂ってくる。


「わぁ……京都って、やっぱり雰囲気が違うね。歩くだけで背筋が伸びる気がする」

美緒は町家の軒先を見上げながら感嘆の声をあげた。


「そうだな。ここでは、食べ物ひとつとっても“美意識”が隅々まで行き届いている。京都の料理は、見た目、香り、味、どれも繊細で計算され尽くしているんだ」

隆司がゆっくりと答える。


「京料理って有名だけど、具体的にどう違うの?」


「まずは“出汁”だな。昆布や鰹節からとる出汁の澄んだ旨味。これが京料理の土台になっている。素材の持ち味を引き出すために、塩や醤油は控えめで、見た目の美しさにもこだわるんだ」


「出汁かぁ。確かに、京都って昆布の消費量がすごく多いんだよね?」


「そうそう。北海道から昆布が運ばれてきて、京都で独自に進化した。料理人たちが“透明で、香り高く、澄んだ出汁”を目指したんだ」


 二人は京町家を改装した料理屋へと足を踏み入れた。

暖簾をくぐると、静かな空間に木の香りが漂い、足音さえ吸い込まれるようだ。


「いらっしゃいませ。京料理と湯豆腐をお召し上がりですか?」

仲居の女性が穏やかに出迎えてくれた。


「はい。娘と一緒に、京都の料理を勉強しながら味わいたくて」

隆司が答えると、美緒は少し恥ずかしそうに笑った。


「勉強だなんて、お父さん……でも確かに、私、料理人としてちゃんと味わいたい」


 席につくと、まず最初に運ばれてきたのは、白い磁器の小鉢に盛られた「先付け」。

山菜の和え物や、彩り豊かな煮浸しが、まるで絵のように並んでいた。


「うわぁ……一品一品が小さな芸術作品みたい」


「これが京料理の真骨頂だ。量よりも“美しさ”と“季節感”。見ているだけで心が整うだろう?」


 美緒は箸を取り、一口そっと口に運ぶ。

「……ん! 薄味なのに、ちゃんと旨味がある! 山菜の苦みも、出汁の香りで優しく包まれてる」


「素材を生かすために、ぎりぎりまで調味料を抑えているんだな。京料理は“引き算の美学”だと言われる」


「引き算の美学……。なるほど、派手さじゃなくて、素材の声を聴くってことなんだ」


 次に運ばれてきたのは、黄金色に澄んだ出汁の椀物。

白身魚の真丈が浮かび、三つ葉の緑が映えている。


「わぁ……香りだけで幸せになれそう」


 美緒がそっと口をつけると、目を大きく見開いた。

「……あっ、すごい! 昆布と鰹節の旨味が広がるんだけど、透明感がある。雑味が全然ない!」


「これが“京都の一番出汁”だ。削りたての鰹節を使って、煮立たせすぎず、澄んだ旨味だけを引き出す。何気ない椀ものに、料理人の技が全部込められているんだ」


「……やっぱり出汁ってすごい。お父さん、私もっと研究したいな。料理って、派手な調味料よりも、こういう基礎の部分が大事なんだね」


「その通りだ。基礎を極めれば、どんな料理にも応用できる」


 やがて運ばれてきたのは、大きな土鍋に入った「湯豆腐」。

ぐつぐつと煮立つ湯の中に、白く四角い豆腐がゆらゆらと揺れている。


「これが……京都名物の湯豆腐!」


「そうだ。豆腐は水と大豆が命。京都の水は柔らかくて、大豆の甘みを存分に引き出せる。だから、豆腐の味わいも格別なんだ」


 仲居が木杓子でそっと豆腐をすくい、取り皿に分けてくれた。

美緒は湯気に包まれた豆腐をそっと口に運ぶ。


「……あぁ、やさしい……。口の中でほろっと崩れて、大豆の甘さがじんわり広がる」


「出汁や薬味もいいが、豆腐そのものの味を楽しむのが湯豆腐の醍醐味だな」


「なるほど、豆腐を主役にしてるんだね」


 横で隆司も頷きながら箸を進める。

「豆腐は庶民の食べ物でもあり、精進料理にも取り入れられてきた。だが、京都ではそれを極めて、一つの文化にまで高めたんだ」


「単純に見えて奥深い……。私も料理を作るとき、“素材の声を聞く”ことを忘れないようにしたい」


 二人は豆腐を味わいながら、器や盛り付けにも目を向ける。


「器もきれいだね。白い豆腐が一番映えるように選んであるんだ」


「そうだ。京料理は“器の美”も重んじる。料理と器、空間すべてを含めて一つの世界を作っているんだ」


「器まで含めて料理……。本当に勉強になる」


 食事が進むにつれ、揚げ物や炊き合わせも運ばれてきた。

どれも派手さはなく、しかしひと口ごとに食材の香りや食感がしっかり伝わってくる。


「お父さん、京料理って“静かな料理”って感じがする。強く主張しないけど、じんわり心に残る」


「いい表現だな。だからこそ、長い歴史の中で人々に愛されてきたんだろう」


 やがて食事を終える頃、デザートとして桜色の和菓子と煎茶が出された。


「最後まで徹底してるんだね。春を感じさせる和菓子と、渋みの少ないお茶……余韻まで計算されてる」


「そうだ。京料理は“余韻”も大切にする。食べ終わった後に、心がすっと落ち着くようにな」


 美緒は茶を一口飲み、深く息をついた。

「お父さん、私……京都で料理を学んでよかった。派手さや豪華さじゃなくて、“静かさの中の深さ”を知れた気がする」


「それが京料理の本質だ。今日学んだことを、これからの料理に生かしていけ」


 二人は料理屋を後にし、夕暮れの京の街を歩いた。

西の空が茜色に染まり、格子窓から漏れる灯りが通りを優しく照らしていた。


「ねぇお父さん。出汁の取り方、帰ったら一緒に練習しようよ」


「あぁ。昆布と鰹節をどう扱うか、それだけで料理の世界が広がるからな」


 春の夜風がふわりと吹き抜け、京の町並みは静かに息づいていた。

美緒の胸の中には、京料理から学んだ“引き算の美学”と“出汁の奥深さ”が、しっかりと刻まれていた。

 

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