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第二十四話 愛知県 八丁味噌の奥深さ、ひつまぶしの四度楽しむ幸せ


 名古屋駅に降り立った瞬間、都会の活気と独特の熱気に、美緒は少し圧倒されていた。高層ビルが立ち並び、駅構内には人の波が絶え間なく流れていく。

そして、ビル群の間をすり抜けるようにして漂う香ばしい匂いは、既に街全体が「食」のテーマパークのようだ。


「やっと着いたね、愛知!」


 美緒が胸を弾ませながら言うと、隆司は辺りをぐるりと見渡した。

「さすが都会だな。人の波も香りも、すべてが濃い。」

 

 「お父さん、名古屋ってやっぱり大都会だね。富山とか石川の街並みとは、全然雰囲気が違う」

「そうだな。ここは東西を結ぶ交通の要衝だ。古くから人も文化も集まるから、料理も独特に発展したんだ」


 二人は駅前の地下街を歩いた。

 名古屋は“地下街の街”とも呼ばれるほど、地下に広大な商業エリアが広がっている。


「わぁ……地下なのに、まるで街そのものだね。お店がいっぱい」

「そうだろう? 雨が多くても暑くても、地下だけで暮らせるんじゃないかってくらいだ」


 歩いていると、ある店の前に長い行列ができていた。

「ここ、味噌煮込みうどんの有名店だな。よし、美緒、並んでみようか」

「味噌煮込みうどん……名古屋といえば味噌だもんね!」


 30分ほど待って入店すると、店内は湯気に包まれ、食欲を刺激する香りが立ち込めていた。

 客のほとんどが茶色い土鍋を前にして、ふうふうと息を吹きかけながら食べている。


「いらっしゃいませ。味噌煮込み二つでよろしいですか?」

 店員の声に隆司は頷いた。

「はい、お願いします」


 やがて運ばれてきた土鍋からは、グツグツと泡を立てる味噌スープが見え隠れしていた。

 蓋を取ると、強い香りがふわりと漂う。


「うわぁ……お味噌の匂いがすごい! 普通の味噌汁とは全然違う」

 美緒が身を乗り出す。


「これは八丁味噌だ。豆味噌をじっくり熟成させたもので、色も味も濃いんだ。名古屋の料理には欠かせない」

「へぇ……。見た目は真っ黒で、ちょっと苦そう」


 美緒は恐る恐るレンゲで汁をすくい、一口すすった。

「……あれ、思ったより飲みやすい。濃いけど、苦いんじゃなくてコクがある!」

「そうだろう。最初は強烈に感じるが、慣れると病みつきになる。米味噌や麦味噌に慣れてる人には新鮮だな」


 麺を箸で持ち上げると、白くなく、やや黄みがかった極太のうどんが顔を出した。

「お父さん、麺がすごい硬そう……」

「そう、名古屋の味噌煮込みは“芯が残ってる”くらいの硬さで茹でるんだ」

「えぇ!? 半生ってこと?」

「いやいや、アルデンテに似ているが、ちゃんと火は通ってる。ただ、あえて硬さを残してる。噛み応えを楽しむんだ」


 美緒が恐る恐る一口。

「……ほんとだ。硬い。でも、この硬さが逆にいい。味噌のスープが絡んで、しっかり噛むほどに美味しい」


「だろう? この土鍋の中で、麺と具材が一緒に煮込まれるから、旨味が全部吸い込まれるんだ」


 具には鶏肉、油揚げ、しいたけ、青ネギ、そして半熟卵が落とされている。

 美緒は箸で卵を崩した。

「わぁ、黄身がとろけた……これを麺に絡めたら絶対美味しい!」

 一口すすって、思わず声を上げる。

「んんっ……! 味噌の濃さが卵でまろやかになる! 幸せ~!」


 隆司も頷きながら、ゆっくりと味わっていた。

「この料理は寒い冬に体を温めるのに最適だ。名古屋の人にとってはソウルフードだな」


 汗をかきながら食べ終えた美緒は、満足げに土鍋を見つめた。

「こんなに濃い味付けなのに、最後まで飽きなかったなぁ。やっぱり八丁味噌ってすごい」

「だろう? 名古屋の料理は全般的に味が濃い。暑い夏に汗をかいたり、外で働く人たちにとっては、このくらいの濃さがちょうどいいんだ」


 店を出て街を歩きながら、美緒はふと考え込む。

「お父さん、日本ってさ、同じ“うどん”でも全然違うんだね。讃岐はコシのあるつるつる麺、富山は白えびの上品な出汁、名古屋は濃厚な味噌……。どれも同じ料理名なのに、全然別物だよ」

「その土地の水、気候、好み……全部が料理を変えるんだ。だからこそ旅は面白い」


 次に向かったのは、名古屋名物のもう一つの王者――ひつまぶしの店だった。


 木造の落ち着いた建物に入ると、香ばしい鰻の匂いが漂ってくる。

 炭火で焼かれた皮の焦げる音が、耳をくすぐった。


「いらっしゃいませ。ひつまぶし二人前でよろしいですか?」

「はい、お願いします」


 運ばれてきたお櫃の蓋を開けると、きつね色に焼かれた鰻がご飯の上にぎっしり並んでいた。

 表面はカリッと、タレの照りで輝いている。


「わぁ……! 見てるだけでお腹が鳴りそう」

「名古屋の鰻は、蒸さずに直焼きする。だから外はパリッ、中はふっくらだ」


 店員が説明を添える。

「ひつまぶしは三段階でお召し上がりください。まずはそのまま。次に薬味を加えて。最後はお出汁をかけてお茶漬け風に」


「なるほど、三度楽しめるんだ!」

 美緒はお櫃からご飯を茶碗によそい、一口頬張った。

「うわぁ……鰻が香ばしい! 皮がカリッとしてて、タレがご飯に染み込んでる」


 二口目はネギとわさびを添えて。

「ん~! さっぱりした! 薬味で全然違う味になるね」


 そして三口目は出汁をかけてお茶漬けに。

「……あぁ、優しい……。さっきまで濃厚だったのに、一気に上品でさらっと食べられる」


 隆司もゆっくりと頷きながら食べていた。

「ひつまぶしは、料理の多様性を象徴してるな。同じ鰻丼でも、一度で三種類の楽しみ方ができる」

「ほんとだね。味の変化がまるでストーリーみたい」


 二人は無言で箸を進め、最後まできれいに平らげた。


 食後、店を出て夜の名古屋の街を歩く。ライトアップされた名古屋城が遠くに浮かび上がっている。


「お父さん、今日食べた二つの料理って、どっちも“濃い味”がベースだけど、全然違う方向に広がってたね」

「そうだな。味噌煮込みは深いコクで体を温め、ひつまぶしは鰻の旨味をいろんな形で引き出す。どちらも“工夫と遊び心”がある」


「うん……名古屋の人って、食べるのを楽しむ天才かも」


 夜風に吹かれながら、美緒はふと空を仰いだ。

「私もいつか、自分の料理で“ひつまぶし”みたいに、食べる人にいろんな楽しみ方をしてもらえるようになりたいな」

「その気持ちを大切にしろ。料理は味だけじゃなく、物語を提供できるんだから」


 父の言葉に美緒は静かに頷いた。濃厚な八丁味噌の余韻と、鰻の香ばしさを胸に刻みながら。

 

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