第二十二話 岐阜・朴葉味噌と鶏ちゃん ― 山里の恵みと人々の知恵
春の朝、飛騨高山の古い町並みに足を踏み入れた美緒と隆司は、まだ肌寒い空気に肩をすくめながらも、どこか懐かしい木の香りに心を和ませていた。
格子戸の家々が並び、軒先には杉玉や味噌樽が置かれ、川のせせらぎが静かに響いている。
「お父さん、まるで江戸時代にタイムスリップしたみたいですね」
美緒は目を輝かせ、カメラを取り出す。
「そうだな。飛騨は豪雪地帯だから、冬を越すための保存食文化が根付いた。今日のテーマの“朴葉味噌”も、まさにその一つだ」
「朴葉味噌……名前だけは聞いたことあるけど、どんな料理なんですか?」
隆司は笑みを浮かべ、歩きながら説明を始める。
「朴の木の葉っぱを鉄板代わりにして、その上で味噌を焼くんだ。味噌にネギやキノコを加えて、香ばしく仕上げる。もともとは農家や山里の人々が、囲炉裏で簡単に作れるおかずとして食べていたそうだ」
「葉っぱをお皿にしちゃうなんて、すごいアイデアですね!」
二人は古い町並みの奥にある小さな旅館に入り、囲炉裏の間に案内された。
炭火の上には鉄の五徳、その上に大きな朴の葉が広がり、甘辛い味噌の香りがふんわりと漂っていた。
「わぁ……本当に葉っぱの上に味噌が乗ってる!」
美緒は思わず身を乗り出す。
旅館の女将がにこやかに説明した。
「朴の葉は抗菌作用があって、冬を越すための保存食として重宝されてきました。春から夏にかけて葉を採り、乾燥させておいて、冬に囲炉裏で味噌を焼くんです」
「なるほど……。保存だけじゃなくて、香りづけにもなるんですね」
美緒はそっと箸で味噌をすくい、熱々のご飯にのせて口に運んだ。
「んっ……! 甘いけど香ばしくて、味噌の奥からほのかに葉っぱの香りが広がる。ご飯がどんどん進みそう!」
隆司も頷きながら味噌を口にする。
「冬の間、雪に閉ざされて新鮮な野菜が手に入りにくい地域では、この朴葉味噌が栄養源だったんだ。保存しておいた味噌にネギや山菜を刻んで混ぜて焼けば、立派なおかずになる」
「シンプルなのに、ちゃんと体を支えてくれる料理なんですね。料理人として、こういう発想は見習いたいなぁ」
女将がさらに話を続ける。
「この辺りでは、朝食にも出すんですよ。ご飯に朴葉味噌があれば、山仕事に出る人たちが一日頑張れるって言われてきました」
「うん、わかります! 味噌の力強さと香ばしさで、なんだか元気が出てきます」
美緒はノートを取り出し、書き込みながら呟いた。
「今日の学び……“葉っぱ一枚が食器にも調理器具にもなる”。自然を無駄なく使う知恵ですね」
鶏ちゃんとの出会い
午後、二人は下呂温泉へ向かった。街中には湯けむりが立ちのぼり、川沿いに足湯が並んでいる。
旅館街の一角に「鶏ちゃん」と書かれた暖簾が下がる食堂を見つけ、入ってみた。
「鶏ちゃんって、聞いたことあるけど……どんな料理ですか?」
美緒は首を傾げる。
店の主人が鉄板を前にして答えた。
「鶏の味付け焼きだよ。にんにくや味噌、醤油ベースのタレで鶏肉を漬け込んで、キャベツなんかの野菜と一緒に鉄板で焼くんだ。戦後の食糧難の時代、養鶏が盛んになったことから広まった家庭料理なんだよ」
「へぇ……家庭料理なんですね」
美緒は興味津々で鉄板を見つめる。
じゅわっと油がはじけ、香ばしい匂いが立ちのぼる。
味噌と醤油の焦げた香りに、思わず美緒のお腹が鳴った。
「わぁ……いい匂い。もうご飯欲しいです!」
「ふふふ、じゃあ一緒にいただこうか」隆司が笑った。
一口頬張ると、柔らかい鶏肉にしっかりとタレが染み込み、キャベツの甘みと合わさって濃厚ながらも飽きのこない味わいだった。
「うんっ……美味しい! 鶏肉がプリプリしてて、味噌ダレがしっかり絡んでる。キャベツのシャキシャキがいいアクセントですね」
「これは家庭の味だな。豪華ではないが、腹を満たし、体を温める。どの家でも少しずつ味付けが違うのも面白い」
「なるほど……各家庭で“うちの味”があるんですね。おふくろの味ってやつだ」
店主も頷き、昔話をしてくれた。
「昔は大家族が多かったから、大きな鉄板で一気に焼いてみんなで食べたんだ。祭りのときや仕事の合間のご馳走だったね」
美緒はその話を聞きながら、またノートにペンを走らせた。
「今日の学び、その二。“家庭の味が土地の文化になる”。豪華じゃなくても、人の暮らしに根付いた料理は心を打つんだな」
山里の知恵に学ぶ
食後、川沿いの足湯に腰をかけ、二人は湯けむりに包まれながら語り合った。
「お父さん、今日の朴葉味噌も鶏ちゃんも、どっちも“豪華じゃない”料理でしたね。でも、すごく心に残りました」
「そうだな。料理は必ずしも高級である必要はない。人の暮らしの中でどう食べられてきたかが大切なんだ」
「うん。朴葉味噌は冬を越す知恵、鶏ちゃんは家庭の温もり。どちらも“生きるための工夫”から生まれたんですね」
美緒は湯気に顔を赤らめながら、真剣な表情で言った。
「私も料理人として、ただ美味しいだけじゃなくて、誰かの暮らしや想いを支える料理を作れるようになりたいです」
隆司はゆっくりとうなずいた。
「美緒、お前の旅はきっとそれを学ぶためのものだ。土地の味を知り、背景を理解する。それが料理人としての血肉になる」
川のせせらぎと湯けむりの中で、父娘の言葉は静かに響いた。
夜、宿に戻り、再び囲炉裏の前に座った美緒は、一日を振り返ってノートに書き込んだ。
「岐阜の学び――“自然を活かす知恵と、家庭の温もり”。葉っぱ一枚で味噌を焼く工夫、鶏と野菜を鉄板で囲む団らん。どちらも人の暮らしの中から生まれた尊い味」
ノートを閉じた美緒の顔は、温泉の余韻と学びの喜びに満ちていた。
「お父さん、明日もまた、どんな料理に出会えるのか楽しみです」
「そうだな、美緒。日本の食は奥深い。次の土地でも、新しい発見が待っているはずだ」
二人はそう言い合いながら、飛騨の夜空にまたたく星を見上げた。




