第二十一話 福井 ― 越前そばとソースカツ丼、雪国の工夫と豪快さ
春の陽射しが日本海を照らしていた。
旅を続ける美緒と隆司は、北陸の最後の地、福井県にやってきた。
かつて「越前国」と呼ばれたこの土地は、冬の厳しさを知る人々が知恵を絞って育んだ食文化にあふれている。
越前そばとの出会い
「やっと福井に着いたね」
美緒は駅前に降り立ち、まだ少し冷たい風を受けて肩をすくめた。
「空気が澄んでるな。海の香りもする」
隆司は荷物を肩にかけ、駅前の案内板に目をやる。
「まずは……やっぱり“越前そば”よ!」
美緒が声を弾ませる。
「おう、福井の名物といえばそれだな。冬の寒さに耐えるために編み出されたって聞いたぞ」
「そう。大根おろしをたっぷりかけて食べる“おろしそば”が有名なの。さっぱりしてるけど力強い味なのよ」
二人は地元で評判のそば屋を探し、城下町にある古民家風の店に入った。
木の香り漂う店内には、手打ちの音が響いていた。
「いらっしゃいませ。二名様ですね。“越前おろしそば”をおすすめしております」
女将が笑顔で迎える。
ほどなくして、盆にのせられたそばが運ばれてきた。
ざるに盛られた黒っぽい太めのそば。その上から大根おろしと青ねぎ、かつお節がどっさり。
横にはつゆが添えられている。
「わぁ……そばの香りが強い!」
美緒は顔を近づけて香りを吸い込んだ。
「黒っぽいな。挽きぐるみってやつか?」
隆司は箸でそばを持ち上げ、光に透かす。
「そう。殻ごと挽いてるから香りが濃厚で、食感もしっかりしてるの」
美緒は一口すすり、目を輝かせた。
「……うん! 噛むほどにそばの香りが広がる。それに大根おろしの辛味がアクセントになってる」
「ほんとだ。普通のざるそばよりもパンチがあるな。冷たいつゆがまたさっぱりしていい」
二人はしばし夢中でそばをすする。
「江戸時代から“そばどころ越前”って言われていたんだって。寒さで米作りが難しい土地だから、そばが貴重な主食になったのよ」
「なるほどな。だから雪深い冬を越す知恵が、こういう食べ方に詰まってるわけだ」
「そう。大根おろしで消化を助けたり、さっぱりして飽きがこない工夫もあったのね」
美緒はうっとりとそばを味わいながら、続けた。
「料理人として思うのは、シンプルであるほど難しいってこと。素材の力を引き出さないといけないから。越前そばは、土地の水や風土があってこその味なのよ」
ソースカツ丼の豪快さ
そばを食べ終えた二人は、次の名物を求めて歩き始めた。
町には桜が咲き始め、春の風景が広がっている。
「さて次は……“ソースカツ丼”だな!」
隆司が嬉しそうに声を上げた。
「そうそう。福井のソースカツ丼は、他の県のカツ丼と全然違うのよ」
「卵でとじないんだよな?」
「うん。薄めに叩いたトンカツを、甘辛いウスターソースにくぐらせて、ご飯にどーんとのせるの」
二人は老舗の洋食屋に入り、さっそく名物のカツ丼を注文した。
運ばれてきた丼を見て、隆司は思わず息をのんだ。
「おお……カツが重なってる! ご飯が見えないくらいだ」
「すごい迫力よね。ほら、衣がソースで染まってる」
美緒は箸で一切れを持ち上げ、かぶりついた。
「んっ……! 衣がしっとりして、ソースがじゅわっと広がる!」
「うまいな……これはがっつり飯だ。卵でとじない分、肉の力強さがダイレクトにくる」
隆司は口いっぱいに頬張りながら笑う。
「大正時代にドイツ帰りの料理人が考案したんだって。洋食文化が広まる中で、ご飯に合うよう工夫したのが始まりらしいわ」
「なるほどな。卵とじじゃなくてソース。シンプルだけどクセになる」
二人は黙々と食べ進め、気づけば丼が空になっていた。
「はぁ……満腹。福井の人たちは、こんなパワフルな料理を日常的に食べてたのか」
「雪国だからこそ、カロリーをしっかり取らなきゃいけなかったのよ。寒さに負けないための知恵ね」
食文化と土地の思い
店を出ると、夕暮れの光が町を染めていた。
「越前そばとソースカツ丼。同じ県なのに、全然違う性格の料理だな」
隆司が感心したように言う。
「そうね。そばは繊細で香り高く、ソースカツ丼は豪快でエネルギッシュ。両方に共通してるのは“雪国を生き抜く工夫”じゃないかしら」
美緒はゆっくり歩きながら頷いた。
「確かに。そばは飽きずに食べられる工夫、カツ丼は体を温めて力をつける工夫だ」
「どちらも、土地の暮らしと結びついてるのよ。だからこそ、ただの料理以上に深みを感じる」
二人は川沿いの桜並木を歩きながら、心地よい満腹感に包まれていた。
「北陸の最後に、いい学びを得られたな」
隆司が笑みを浮かべる。
「ええ。食べ物って、歴史や人々の思いそのものだって改めて感じたわ」
「次は中部だな。どんな料理が待ってるか楽しみだ」
「うん。旅はまだまだ続くもの」
夜のとばりが下りる中、二人は次なる目的地へと心をはずませた。




