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第十七話 長野・信州そばと馬刺しとおやき


 春の穏やかな陽射しが山々を照らす長野駅に、美緒と隆司は降り立った。

ホームからは北アルプスの雪を頂いた峰々が見え、澄んだ空気が肺いっぱいに広がる。


 「お父さん、空気が違いますね。まるで空も景色も澄んでいるみたい」

「そうだな。長野は山に囲まれているから、空気も澄んで、春でも肌寒さが少し残る。こういう土地は、食材の保存や調理方法にも工夫が必要だったんだ」


 二人を迎えたのは、地元料理に詳しい案内人・村上だった。

柔和な笑顔の中年男性で、地元の山の幸や郷土料理に精通している。


 「隆司さん、美緒さん、ようこそ長野へ」村上が手を振った。

「よろしくお願いします!」美緒も笑顔で応える。

「今日は信州を代表する郷土料理、信州そばと馬刺し、そしておやきを味わってもらいます。山の幸を活かした、シンプルながら奥深い味を楽しんでください」


 信州そばとの出会い


 まず村上が案内したのは、松本市内の老舗そば店。

店の入口には、手打ちそばの看板と、石臼挽きの文字が掲げられている。


 「信州そばは、そばの香りを大切にするのが特徴です」村上が説明する。

「お父さん、そばって、どうして長野で有名になったんですか?」美緒が尋ねる。

「長野は気候がそば作りに適していたんだ。標高が高く昼夜の温度差があるため、そばの実が甘く香り高くなる。昔から家庭でも作られてきたから、地域の食文化として根付いたんだ」


 店内に入ると、そば打ち場から小麦粉とそば粉の香ばしい香りが漂う。

職人が手早く麺を伸ばし、包丁で切る音が軽やかに響く。


 「わぁ……手打ちそばって、見ているだけで楽しいですね」美緒が目を輝かせる。

「打ちたては香りが全然違うんだ」村上が麺をすくって小皿に盛る。


 美緒は箸を伸ばしてそばをすする。

「……わっ! 香りが豊かで、のどごしが滑らか! 少し噛むとそばの甘みが口に広がります!」

「うまいだろう?」隆司もそばをすすり、頷いた。


 村上が続ける。

「信州そばはシンプルだからこそ、そば粉の質や水、打ち方で味が変わる。昔は各家庭で手打ちし、そばを食べることで季節や収穫の喜びを感じたんですよ」


 「家庭で作るそばって、味だけじゃなく、作る過程も文化なんですね」美緒がノートに書き込みながら呟いた。

「その通りだ。味だけじゃなく、背景まで理解すると、料理の学びは深まる」隆司が微笑む。


 馬刺しとの出会い


 次に村上が案内したのは、松本市郊外の小料理屋。

店内には地元の漁師や農家の人々も訪れる、落ち着いた雰囲気だ。


 「信州では古くから馬肉を食べる習慣があります。低脂肪で高タンパク、栄養価も高いんですよ」村上が説明する。

「お父さん、馬肉ってクセがありそうですね」美緒は少し不安そうに言った。

「昔は保存食としても重宝されたんだ。新鮮な馬肉は刺身にしても柔らかく、臭みもほとんどない。丁寧に処理されるから、食べやすいんだよ」


 皿に盛られた馬刺しは鮮やかな赤色で、脂の入り具合も美しく見える。

村上が小皿に醤油と生姜を添えた。


「いただきます!」美緒は箸で一切れを取り、口に運ぶ。

「……あっ! 思ったよりあっさりしていて、肉の旨みがじんわり広がる! 柔らかくて食感も心地いいです!」

「なるほど……これはご飯のお供にぴったりだな」隆司も一切れ口に運ぶ。


 村上が続ける。

「馬刺しは、山間の保存食としても考えられていた料理です。塩や醤油、生姜で味付けすることで、肉の旨みを引き出しつつ、日持ちもよくなった。山の幸を活かした知恵の結晶ですね」


「なるほど……食文化って、土地の環境や暮らしに合わせた工夫が多いんですね」美緒は感心して頷く。


 おやきとの出会い


 食後、村上は二人を長野市内の古民家風のおやき屋に案内した。

店先では、鉄板で焼かれた丸いおやきが香ばしい匂いを漂わせている。


 「おやきは、小麦粉やそば粉の皮で野菜やあんを包み、焼いたり蒸したりしたものです」村上が説明する。

「お父さん、色々な具材があるんですね」美緒は目を輝かせながら覗き込む。

「そう。ナス、かぼちゃ、切干大根、野沢菜……季節の野菜を使うのが特徴です。昔の山間部では保存が効き、軽食としても重宝されたんですよ」


 美緒は一つ、野沢菜のおやきを手に取り、かぶりついた。

「……わぁ! 皮はもちもちで、中の野沢菜がしっかり味付けされていて、ご飯にもお茶にも合う味ですね」

「ほう、これは力が出そうだな」隆司も笑顔で頬張る。


 村上はさらに説明する。

「おやきは、山の暮らしを支えた料理です。長時間保存できるもの、手軽に食べられるもの、栄養が取れるもの……そういう知恵が詰まっている。皮で包むという調理法も、食材を無駄にせず、栄養を丸ごと取り込む工夫なんです」


 「なるほど……ただの軽食じゃなくて、山の暮らしを映す料理なんですね」美緒はノートに大きく書き込む。


 山の幸と食文化の学び


 夕方、二人は参道を歩きながら、今日の料理について話し合った。


 「今日の料理は、シンプルだけど、山の暮らしの知恵が詰まっているんですね」美緒が言った。

「その通りだ。信州そばは香りと喉越しで季節を感じ、馬刺しは栄養と保存の知恵、そしておやきは山の食材を丸ごと活かす工夫……」隆司も頷く。


 「どれも手間はかかるけど、作る喜びや食べる楽しみが深い。これが、地域の食文化を支えてきたんですね」美緒は微笑んだ。

「料理って、豪華さだけじゃない。土地の恵みを最大限に活かす知恵、暮らしを支える力、そして人をつなぐ温かさも大切なんだな」


 更に隆司は言う。

「長野の山の幸は、素材そのものの力が強いから、調理法もシンプルで十分。余計な味付けは必要ないんだ。だから、食べる人も素材の味をしっかり感じられる。」


 美緒はノートを閉じ、微笑んだ。

「今日の学びは、“料理は山の暮らしの知恵そのもの”です。シンプルでも奥深く、人を支える力がある……忘れられません」

「うん、いい言葉だ。お前の修行も、確実に深みを増しているな」隆司も微笑む。


 春の山並みに沈む夕日が街を黄金色に染め、川沿いを歩く父娘の影を長く伸ばす。

信州の山の幸と、それを活かす料理文化との出会いは、二人の心に深く温かい余韻を残したのだった。

 

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