第十六話 山梨・ほうとうと甲府鳥もつ煮
春の陽光が八ヶ岳の山並みに降り注ぐ山梨の甲府駅に、美緒と隆司は降り立った。
駅前には緑の山々が連なる景色が広がり、空気は関東平野とは一味違う、澄んだ爽やかさに満ちている。
「わぁ……お父さん、空気が澄んでいて、なんだか深呼吸したくなる景色ですね」
「そうだな。山に囲まれている分、空気も冷たくて澄んでいる。春先の山梨は、花も咲き始めて、まさに食べ歩きにぴったりだ」
二人を迎えたのは、地元料理に詳しい案内人・小林だった。
穏やかで柔らかな笑顔の中年男性で、地元民ならではの情報をたくさん知っている。
「隆司さん、美緒さん、ようこそ山梨へ」小林は手を振った。
「よろしくお願いします!」美緒も笑顔で答える。
「今日はね、山梨を代表する家庭料理“ほうとう”と、地元のソウルフード“甲府鳥もつ煮”を味わってもらいます」
ほうとうとの出会い
小林に案内され、山間の民家風食堂に入ると、囲炉裏のある広間に大きな鍋が据えられていた。
湯気が立ち上り、野菜と味噌の香りが柔らかく広がる。
「これが、ほうとうです」小林が鍋の中を指差した。
「わぁ……野菜がたっぷり!」美緒は目を輝かせた。
大根、かぼちゃ、にんじん、里芋が豪快に鍋に入っている。幅広の小麦麺もふわりと浮かぶ。
「ほうとうって、武将の時代から食べられていたんですよね?」美緒が訊く。
「そう。戦国時代、甲斐の武将たちは山での戦いの合間に、野菜と味噌をたっぷり入れたこの鍋料理で力をつけたと言われています。幅広の麺で腹持ちも良く、栄養満点なんです」
隆司も鍋を覗き込みながら頷く。
「なるほど……力強さと温かさを兼ね備えた料理なんだな。戦国武将の食事って、見た目よりも実用性重視だろうから、この鍋一つで栄養も満足感も得られる」
小林が麺と野菜を大きなしゃもじですくい、器に盛る。
「さあ、まずは味噌の香りを楽しんでください」
美緒は箸を伸ばし、一口すする。
「……あっ! 野菜の甘みと味噌の香ばしさが口いっぱいに広がる! 麺はもちもちで、スープがしっかり絡む! これは体が温まりますね」
「うまいだろう?」隆司も笑顔で箸を運ぶ。
小林はにっこりして言った。
「ほうとうは、家庭ごとに具材や味噌の濃さが違うんです。昔の農家では、その年の作物や家族の好みに合わせて作られていた。だから、ほうとうを食べると、その家庭の暮らしの味が伝わってくるんですよ」
「家庭ごとの味……。なるほど、料理は単なる食べ物じゃなくて、生活や文化まで映し出してるんですね」美緒はノートにメモを取る。
「その通り。料理を学ぶときは、味だけじゃなく、背景も理解することが大事だ」隆司も微笑む。
甲府鳥もつ煮との出会い
次に小林が案内したのは、甲府の商店街にある小さな居酒屋風の店。
入口には「鳥もつ煮」の看板が掲げられている。
「鳥もつ煮は、地元で昔から親しまれてきた料理です。鶏のもつを甘辛く煮たシンプルな一品ですが、ご飯との相性が抜群です」
「鶏のもつ……? 内臓ですか?」美緒は少し驚いた表情で尋ねる。
「そう。レバーや砂肝、ハツなどを使うんですが、臭みを取って、特製のタレでじっくり煮込むので、とても食べやすいんですよ」
店内に入ると、鶏もつがふっくら煮えた小鍋が並ぶ。
小林が勧めるまま、二人はそれぞれ器に盛る。
「いただきます!」美緒は一口かじった。
「……あっ! 噛むとタレがじゅわっと広がる! 甘辛さと旨みが絶妙で、ご飯が止まらなくなる味です」
「これはご飯の友だな」隆司も笑みを浮かべる。
小林が説明を続ける。
「甲府鳥もつ煮は、戦後まもなく、家庭でも簡単に作れるように考えられた料理です。肉だけじゃなく、もつを活用することで、栄養もバランスよく取れる。庶民の知恵が詰まった料理なんです」
「なるほど……家庭の工夫と地域の食文化が一緒になった料理なんですね」美緒は感心した表情で頷く。
山梨の食文化と学び
食後、三人は甲府の街を散策した。春風がやさしく吹き、山々の緑が鮮やかに映える。
「今日の料理はどちらも、力強くて温かい料理ですね」美緒がぽつりと言った。
「そうだな。ほうとうは戦国武将の力を支え、鳥もつ煮は家庭の知恵で栄養と味を両立させている」隆司も頷く。
「そしてどちらも、家庭や地域の文化を映し出しているのが面白いですね」美緒が続ける。
「料理は単なる食べ物じゃない。生活や文化を支える力もある。それが本当に理解できると、作る楽しみも広がるんだ」
隆司が付け加えた。
「山梨の料理は、山の幸や農作物を最大限に活かす知恵の結晶だ。ほうとうは家庭の温かさを、鳥もつ煮は家庭や地域の暮らしの知恵を伝えてくれる。味わうだけでなく、その背景まで感じることが大切なんだ。」
美緒はノートを開き、大きく書き込む。
「“料理は力と暮らしの記憶を映すもの”……今日の学びです」
「うん、いい言葉だ。お前の修行も、確実に実を結んでいるな」隆司が微笑む。
山並みに沈む夕日が甲府の街を黄金色に染め、二人の影を長く伸ばす。
春の山梨で出会ったほうとうと鳥もつ煮の味は、父娘の心に深く温かな余韻を残したのだった。




