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第十四話 千葉・房総の海の幸、さんが焼きとなめろう


 春の陽射しが柔らかく房総の漁師町を照らしていた。

潮の香りが混じる海風に、美緒は思わず深呼吸する。

漁港には小さな漁船が整然と並び、港町特有の活気がある。


 「わぁ……お父さん、海の匂いがする! 潮の香りと魚の匂いが混ざって、なんだかワクワクします」

「そうだな。房総は昔から海の幸が豊富で、漁師町ごとの伝統料理もたくさんあるんだ。今日はそれを味わいに来たんだよ」


 二人を迎えたのは、地元の食文化に詳しい案内人・佐藤だった。

漁師町の親しみやすい雰囲気そのままの、六十代手前の温厚な男性だ。


 「隆司さん、美緒さん、遠いところようこそ」

「こちらが美緒です。料理修行で日本各地を巡っているそうで」

「ほう、若いのにしっかりしてるな。じゃあ今日は房総の海の恵みを堪能してもらおう」


 漁港を歩きながら


 港の市場を歩くと、活きのいい魚が並ぶ店先から威勢のいい声が響く。

目に入るのは、アジやサバ、イワシ、太刀魚など、色とりどりの鮮魚たち。


 「お父さん、どれもピカピカですね! 魚ってこんなに輝くんですね」

「そうだ。漁港のすぐ近くで揚がる魚は鮮度が違う。房総では、これを新鮮なまま料理して食べる文化が根付いているんだ」


 佐藤が立ち止まり、ひとつの店先を指差す。

「今日はね、さんが焼きとなめろうを食べてもらおうと思ってな。どちらも漁師町の味、家庭の味でもある」


 「さんが焼きって……名前は聞いたことがありますけど、どんな料理なんですか?」美緒が訊ねると、佐藤は笑いながら説明した。


 「さんが焼きはね、アジやサバのすり身に味噌や薬味を混ぜて、焼いたものだ。名前の由来は古い言葉で『さんが』は『叩く』という意味だそうで、魚を叩いて味噌と混ぜるからそう呼ばれるんだよ」


 「なるほど……魚を叩くから『さんが』なんですね」美緒は興味深そうに頷いた。


 さんが焼きの実演


 市場の一角、小さな食堂に通されると、すぐにさんが焼き用の材料が目に入った。

アジのすり身、刻んだネギや生姜、味噌が並び、店の親父が手際よく混ぜ合わせている。


 「ほら、美緒さんもやってみるか?」

「えっ、私がですか?」

「もちろんだ。漁師町の味は手で作って覚えるのが一番だ」


 美緒は恐る恐る手を伸ばし、すり身を手に取る。

ネギと味噌を加え、親父に教わりながらよく混ぜると、独特の香りが指先に広がった。


 「……すごい、香りがもう美味しいです! 味噌と生姜が効いて、魚の臭みが全然ない!」

「そうだろう。漁師たちは昔から、魚を食べやすく、保存しやすくする工夫を重ねてきたんだ」


 手で整えたすり身を鉄板の上に置き、じっくりと焼き上げる。

香ばしい匂いが漂い、二人は思わず顔を寄せる。


 「わぁ……! 焼き色がついて、見ただけでご飯が欲しくなります」美緒が目を輝かせた。

「さっそく食べてみるか」隆司も箸を手にする。


 一口頬張ると、香ばしさと味噌の風味、魚の旨みが口いっぱいに広がった。

「……美味しい! 味噌の塩気がちょうどいい。魚がふんわりしていて、しっとりとした食感も最高です」

「漁師町の知恵が詰まってる味だな」隆司も感心する。


 なめろうの魅力


 続いて佐藤が、漁港で昔から親しまれてきたなめろうを紹介した。


 「なめろうはなぁ、アジやサバを包丁で叩き、味噌や薬味を混ぜるだけのシンプルな料理なんだ。漁師が船上で手早く作れる保存食でもあった」


 「包丁で叩く……さんが焼きと似ていますね」美緒が気づく。

「そうだ。でもなめろうは焼かないで生で食べることも多い。魚の新鮮さをそのまま味わえるんだ」


 親父が小鉢に盛ったなめろうを前に、美緒は箸を進める。


 「……っ! 魚が柔らかくて味噌と薬味が絶妙に絡んで、口の中でとろけます。新鮮だから魚の臭みも全然ない!」

「うむ、これはご飯に乗せても酒のつまみにも合う。漁師町の万能料理だな」隆司も頷く。


 佐藤が続けて話す。

「房総の漁師は昔から、海の恵みを余すところなく食べる知恵を持っていた。刺身にして食べられる魚でも、焼いたり叩いたりして、保存や調理の幅を広げていたんだ」


 「魚の鮮度だけじゃなく、調理の工夫も昔の人の知恵なんですね」美緒は感嘆する。


 漁師町の暮らしと食文化


 港を見下ろす小高い丘で休憩していると、潮風が心地よく吹き抜ける。

美緒は港を行き交う漁船を眺めながらつぶやいた。


 「ここで食べると、料理の背景がよくわかりますね。さんが焼きもなめろうも、ただ魚を食べるだけじゃなくて、漁師の暮らしや工夫が詰まっている」

「そうだ。昔は保存も大変だったし、海で働く人間は栄養が必要だった。だから、この料理は腹持ちがよく、効率よく栄養を摂れる工夫の塊なんだ」


 隆司が港町の風景を見渡す。

「この土地で受け継がれてきた味を知ることは、料理人にとって大切だ。素材の特性を活かす工夫や季節感、暮らしに根ざした調理法……全部、学ぶべきことだ」


 美緒は小さなノートを取り出して、今日の学びを書き留める。

「“漁師町の知恵と海の恵みが料理の味を作る”……これ、絶対に忘れられません」


 食堂の余韻と町歩き


 夕暮れが港町をオレンジ色に染め、漁船の影が水面に揺れる。

小さな食堂から漂う味噌と海の香りが、港全体に広がる。


 「お父さん、こういう町で食べると、料理が生き生きして見えますね」

「そうだな。漁師たちの息遣い、暮らしの匂い、そして海の恵みが一緒に口に入ってくる。旅の醍醐味だ」


 港沿いを歩きながら、美緒はさらに感想を漏らす。

「房総の味は、豪華さはないけど力強いですね。魚の新鮮さ、味噌の風味、薬味の香り……全部が一体になって、心まで満たされます」

「漁師町の味には、人を支える力があるんだ。海の恵みを無駄なく活かして、家族や仲間を養う力だな」


 隆司は美緒の手を軽く叩き、笑った。

「お前、今日も料理の背景をよく観察しているな。味だけじゃなく、文化や暮らしを理解することが、本当の料理人への近道だ」

「えへへ、まだまだ勉強中です。でも、今日の経験は絶対に役立ちます!」


 港の向こうに夕日が沈み、水面が黄金色に輝く。

二人の影が長く伸び、房総の海の恵みと漁師町の暮らしが、心に優しく刻まれていくのを美緒は感じた。


 さんが焼きとなめろう――房総の漁師町の味は、父娘の旅に新たな彩りを添え、心に力強い余韻を残したのだった。

 

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