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第十三話 埼玉・いがまんじゅうと冷や汁うどん


 春の陽気に包まれた川越の街並みを、美緒と隆司は並んで歩いていた。

石畳の通りには土蔵造りの古い商家が立ち並び、瓦屋根の下からは人々の笑い声が響いている。

桜の花びらが風に舞い、通りを行き交う観光客の肩にひらりと落ちる。


 「わぁ……! お父さん、まるで小さな江戸時代に迷い込んだみたいですね」

「そうだな。川越は“小江戸”と呼ばれてるくらいだからな。江戸から舟で物資が運ばれて、昔から栄えた町なんだ。町並みと一緒に、独特の食文化も残っているんだぞ」


 美緒は目を輝かせ、通りに並ぶ菓子屋や漬物屋を覗き込む。

ちょうど昼時、どこからともなく蒸したてのような甘い香りが漂ってきた。


 「お父さん、この匂い……饅頭かな?」

「そうだな。ほら、あそこの店を見てみろ」


 指さした先の店先には、せいろから白い湯気がもくもくと立ちのぼっている。

引き寄せられるように暖簾をくぐると、蒸籠の蓋を開ける女将の向こうに、赤飯をまとった饅頭が並んでいた。


 「えっ……これ、なんですか?」美緒は思わず目を丸くする。

「いがまんじゅうだよ」女将が笑顔で応えた。「このあたりの祝い事や祭りには欠かせない、昔ながらのおやつさ」


 いがまんじゅうの温もり


 「饅頭に赤飯を乗せてあるんですか?」美緒は興味津々で身を乗り出す。

「そう。白い饅頭の上に赤飯をまとわせるんだ。

 『いが』っていうのは稲の“籾殻もみがら”を意味していてね、赤飯を殻のようにまぶした姿から、この名前がついたって言われてるんだよ」


 「へぇ~! じゃあ、名前にも農村の暮らしが表れてるんですね」

「そうだな」隆司が頷いた。「赤飯は祝いの象徴だ。

けど昔は米が貴重だったから、全部を赤飯にするのは難しい。

だから饅頭の上に少しだけ赤飯をのせて、華やかにしたんだ。庶民の工夫だよ」


 横にいた常連らしい年配の男性が、話に加わった。

「赤飯だけだと贅沢だけど、こうやって饅頭と合わせると腹に溜まるし、甘さもあるから子ども受けが良かったんだ」


 女将は一つ、蒸したてを差し出してくれた。

「せっかくだから食べてみておくれな」


 美緒は両手で受け取り、そっと口に運ぶ。

「……わぁっ! ふわふわの饅頭に、もちもちの赤飯! あんこの甘さと赤飯の塩気が重なって、すごく優しい味です!」


 隆司もかぶりつき、満足げにうなった。

「うん、腹持ちもよさそうだな。農作業の合間に食べれば力が湧くだろう」


 女将は目を細めて言った。

「昔はね、田植えの時期になると、農家の人が弁当にいがまんじゅうを持っていったものさ。

 重労働でも、これを食べればみんな笑顔になったんだよ」


 美緒は饅頭をもう一口かじり、しみじみと呟いた。

「……ただの甘味じゃなくて、人を元気にする力があるんですね」

「そうだ、美緒」隆司が言う。「料理は腹を満たすだけじゃない。人の心をも満たすんだ」


 春の冷や汁うどん


 いがまんじゅうで心も体も温まった二人は、さらに街を歩いた。

小川のせせらぎの横に、小さな食堂があった。

軒先には「冷や汁うどん」と書かれた木札がぶら下がっている。


「お父さん、冷や汁って夏の料理じゃないんですか?」

「そうだな。でも春先にも食べる人は多いんだ。体をさっぱりさせたいときにちょうどいいんだよ」


 暖簾をくぐると、年配の店主が迎えてくれた。

「おや、観光かい? うちの冷や汁うどんは春先でも人気なんだよ」


 二人が席につくと、すぐに冷たい鉢が運ばれてきた。

白いうどんの上に、胡麻と味噌の香り高い汁がかけられ、きゅうりや大葉の薬味が彩っている。


 「いただきます!」美緒は箸をとり、一口すすった。

「……ひんやりしてるのに、胡麻の香ばしさと味噌の旨みが広がって……すごく爽やか! うどんもコシがあって美味しいです!」


 隆司も頷きながら口に運んだ。

「これはいいな。まだ少し肌寒い春先でも、冬に溜め込んだ重さを流してくれるようだ」


 店主が笑って説明を添える。

「麦や胡麻をすって味噌と合わせるのが基本です。夏は火を使わずに食べられるから、昔の人にはありがたかったんですよ。暑い台所で汗を流すのは大変だからね」


「なるほど……夏の知恵だけど、春に先取りして食べるのもまたいいですね」美緒は頬を緩めた。

 「そうだ。こういう“季節を移ろう料理”は旅の醍醐味だな」隆司も笑った。


 美緒はきゅうりを噛みながら考え込む。

「お父さん、これ、うどんじゃなくてもご飯にかけても美味しいんじゃないですか?」

「そうだ。冷や汁は元々、ご飯にかけて食べる料理でもあるんだ。うどんにしたのは埼玉らしいアレンジだろうな」


 店主も頷きながら言った。

「そうそう。武蔵野の人間はうどん好きだからね。冷や汁も自然とうどんに合うように工夫されていったのさ」


 宿への帰り道


 夕暮れ、川沿いを歩きながら美緒はぽつりと呟いた。

「今日の料理はどちらも、豪華じゃないけれど、人の暮らしを支えてきた味でしたね」


 「その通りだ。いがまんじゅうは祝いと労働を、冷や汁うどんは夏を乗り切る工夫を。それぞれに人の知恵と願いが込められている」


 川越の町並みを見渡すと、白壁の蔵が夕日に染まり、人力車が観光客を乗せてゆっくりと進んでいく。

屋台の甘い醤油だんごの香りが漂い、通りの喧騒が旅情を彩る。


 美緒は小さなノートを取り出し、大きく書き込んだ。

「“料理は暮らしの記憶そのもの”。これ、今日の学びです!」


 隆司は横で笑いながら言った。

「いい言葉だな。お前の料理修行も、着実に実を結んでいるようだ」


 川面に映る夕日がきらめき、二人の影を長く伸ばした。

春の埼玉で出会った素朴な味は、父娘の心にやさしい余韻を残したのだった。

 

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