第十二話:群馬、山風と温泉街の粉ものの温もり
上野国の山あい、草津温泉。
春先といえども標高の高い草津はまだ肌寒さが残り、町に漂う湯けむりが白くたなびいていた。
「わぁ……お父さん! あれが“湯畑”だ!」
駅から温泉街へ入った途端、美緒は思わず声をあげた。
夜の帳が落ち始め、青緑色の湯が流れる大きな湯畑は、ライトに照らされ幻想的に輝いている。
「草津といえば、この湯畑だからな。硫黄の匂いも、いかにも温泉街って感じだろう」
隆司が嬉しそうに笑う。
そこへ、にこやかに手を振る中年男性が現れた。
「隆司さん! こちらですよ」
「おう、中村さん!」
迎えてくれたのは、草津の地元案内人・中村。五十代半ばの柔和な笑顔が印象的な人だった。
「ようこそ草津へ。お嬢さんが美緒さんですね」
「はい! 料理の修行で各地を回っています」
「おお、それは楽しみだ。草津は温泉だけじゃなく、粉ものの食文化も根付いているんですよ。今日は温泉街を歩きながら、群馬の味を体験してもらいましょう」
おっきりこみとの出会い
案内されたのは、湯畑から少し離れた古民家風の食事処だった。
座敷には囲炉裏が切られ、大鍋がぐつぐつと音を立てている。
「さぁ、こちらが群馬の郷土料理“おっきりこみ”です」
「おっきり……?」美緒は耳慣れない響きを復唱した。
「小麦粉で作った幅広の麺を、そのまま鍋に“切り込む”から、この名前がついたんですよ」
鍋を覗くと、平打ちの太麺と、にんじん、大根、ごぼう、しいたけがたっぷり煮込まれている。味噌の香りと野菜の甘い匂いが立ちのぼる。
「ほうとうに似てる!」美緒が目を丸くする。
「そうそう、兄弟分みたいなもんです。ただ群馬は小麦の国ですから、米より小麦が主役だったんですよ。だからこういう“粉もの料理”が多いんです」
中村が椀によそい、熱々を差し出した。
「どうぞ召し上がれ」
「いただきます!」
美緒は箸を伸ばし、幅広麺を口に運んだ。
「……っ! もちもちしてる! 太い麺だから汁がよく絡んで、野菜の甘みもじんわり広がる!」
「身体が温まるだろう?」隆司がにこやかに笑う。
「うん! 優しい味だぁ」
中村は囲炉裏の傍らで頷いた。
「群馬の冬は厳しい。農作業で疲れた身体を癒すには、この料理が一番だったんです。おっきりこみはね、ただの食事じゃない。“おふくろの味”であり、家族をつなぐ絆そのものなんですよ」
「なるほど……料理って、栄養だけじゃなくて心まで温めるんですね」
美緒は両手で椀を包み込みながら呟いた。
温泉まんじゅうと焼きまんじゅう
お腹が温まったあとは、温泉街をそぞろ歩き。
湯けむりの中、土産物屋が並び、射的やスマートボールの音が響いている。
「お嬢さん、ほらあれを見てごらん」
中村が指差すと、店先に蒸籠から立ちのぼる湯気が見えた。
「わぁ! 温泉まんじゅう!」
「そうです。草津が発祥といわれる“温泉まんじゅう”。黒糖入りの皮にこしあんを包んで蒸した、素朴な菓子ですよ」
店のおばあさんが試食を差し出してくれた。
「ほかほかのうちに食べておくれ」
美緒がひと口かじると、ほかほかのあんが口いっぱいに広がる。
「んん~! あまじょっぱくて優しい! これ、温泉街の匂いと一緒に記憶に残る味だね」
「温泉まんじゅうはね、観光客と地元の人をつなぐ“おもてなしの菓子”でもあるんですよ」
さらに路地を進むと、香ばしい匂いが漂ってきた。
「うわっ、この匂い……!」
「これが“焼きまんじゅう”です」
串に刺さったふわふわのまんじゅうに、甘辛い味噌だれをたっぷり塗り、炭火でじゅうじゅう焼き上げている。
「お嬢ちゃん、初めてか? アツアツをどうぞ!」
屋台の親父が豪快に差し出す。
美緒はかぶりついた。
「……! ふわふわ! 味噌の香ばしさと甘みがじゅわっと広がる!」
「餡は入ってないんです。ただの小麦生地を焼いて、味噌だれを絡めるだけ。でもそれがクセになるんですよ」
「なるほど……! パンでも団子でもない、不思議な食感。でも美味しい!」
周りでは観光客も地元の高校生も一緒に頬張っている。
「美緒、これが“地域のソウルフード”ってやつだ」隆司が目を細める。
「うん……! みんな笑顔で食べてる。料理って人を幸せにする力があるんだね」
美緒の気づき
宿に戻り、温泉で温まったあと、美緒はノートを広げてペンを走らせた。
「今日は、“粉もの文化”がすごく印象的だったなぁ」
「おっきりこみも焼きまんじゅうも、小麦が主役だったな」隆司が答える。
「うん。でもね、面白いのは“家の味”と“街の味”に分かれてること。おっきりこみは家庭で受け継がれる味、焼きまんじゅうはお祭りや温泉街でみんなと楽しむ味。両方とも人を支える料理なんだ」
隆司が頷いた。
「そうそう。群馬の食は派手さはないけど、素朴で力強い。だからこそ人の心と身体を満たしてくれるんだ。」
「なるほど……。“誰かを支える力”が料理にはあるんだ」
美緒はノートに大きく書き込む。
隆司は娘を誇らしげに見つめた。
「美緒、お前は味だけじゃなく、背景にある“文化”を捉えられるようになってきたな」
「えへへ……。でもまだまだ学びたいことだらけです!」
三人は笑い合い、草津の湯けむりの夜に包まれながら、それぞれの心に“粉ものの温もり”を刻んだのだった。




