第十一話:栃木、受け継がれた味と街の活気
常磐線から乗り継いで、宇都宮に降り立った美緒と隆司。
「わぁ……!」
駅前の広場に立った瞬間、美緒は声をあげた。そこには大きな餃子のモニュメントがあり、観光客たちが代わる代わる写真を撮っている。
「お父さん! 見て見て! 本当に餃子の街なんだ!」
「ははは、観光資源として立派に根付いたな。俺が若い頃に来たときは、ここまで餃子一色じゃなかった」
二人が笑い合っていると、隆司の知り合いで料理研究家の石井が手を振って近づいてきた。
「隆司さん! よく来てくれましたね。さぁ、今日は“古い食文化”と“新しい食文化”、両方を体験していただきます」
「古いのと新しいの?」美緒が首をかしげる。
「まずは“しもつかれ”。そして“宇都宮餃子”です」
しもつかれとの出会い
案内されたのは郊外の古い集落。
冬の冷たい風に晒されながら歩くと、やがて茅葺屋根の民家が見えてきた。
土間には大きな鍋がかけられ、ぐつぐつと煮える音が響いている。
「これが、しもつかれです」
石井が鍋を指差した。
鍋を覗き込んだ美緒は、思わず眉をひそめる。
「えっ……? 鮭の頭? しかも大根や人参、油揚げに酒粕まで……ぐつぐつ煮えてる……」
隆司は笑った。
「俺も初めて見たときは同じ顔をしたな」
石井が説明を加える。
「見た目と匂いで驚くのは当たり前です。でも、栃木では“七軒のしもつかれを食べると病気にならない”とまで言われてるんですよ」
「へぇぇ、そんな言い伝えがあるんだ……!」
地元のおばあさんが笑顔で器を差し出す。
「さぁ、食べてごらん」
美緒は恐る恐る箸を伸ばし、一口すくって口に入れた。
「……! あれ? 思ったより美味しい! 酒粕のまろやかさがあって、野菜の甘みも出てる!」
隆司がにやりと笑う。
「だろう? 俺も昔は嫌いだったが、これを食べないと春が来ない気がしてな」
石井が頷いた。
「しもつかれは冬に余った鮭の頭や野菜を使い切る料理。保存食であり、無駄を出さない知恵でもあるんです」
「なるほど……見た目に惑わされちゃいけないんだなぁ」
美緒は二杯目をおかわりして、笑顔で土間を見渡した。
「でも、こうやって大きな鍋で作ってみんなで食べるの、すごく温かいね」
「そうだろう? しもつかれは料理以上に“つながり”を生むんだよ」
石井が優しく言った。
しもつかれとおばあさんの昔話
しもつかれを食べ終えた頃、器を片付けてくれたおばあさんが縁側に腰掛けた。
「お嬢ちゃん、最初はびっくりした顔してたねぇ」
「はい……でも食べたら美味しくて驚きました!」美緒は素直に答えた。
「うれしいねぇ。昔はね、子供の頃、しもつかれが嫌いで嫌いで……」
おばあさんは懐かしそうに笑った。
「えっ、おばあさんも嫌いだったんですか?」
「そうさ。鮭の頭なんて怖いし、酒粕の匂いも強くて。子供の頃は“なんでこんなの食べなきゃいけないの”って泣いたもんだよ」
「うわぁ……私も最初はちょっとそう思いました!」
「だけどね、春が来て雪が解けて……“あぁ、またしもつかれの時期が来たなぁ”って思うようになると、不思議と恋しくなるんだよ」
隆司がうなずいた。
「俺も同じだな。最初は拒否感があるが、食べるうちに“これがあるから冬を越せる”って気持ちになる」
「料理って、時間と経験で“好き”に変わるんですね」美緒は真剣にノートを取り出し、走り書きする。
すると、庭先で遊んでいた子供たちが騒ぎながらやって来た。
「ばあちゃん! しもつかれって?」
「おやまぁ、あんたたちも食べるかい?」
「うん! でも……ちょっと匂いは苦手……」
美緒はその様子を見て、にっこり笑った。
「わかるよ、最初はそうだよね。でも食べてみると美味しいんだよ?」
「ほんと? お姉ちゃんが言うなら……」
子供が一口すすると、驚いた顔をした。
「……あれ? 思ったよりいける!」
美緒は嬉しそうに拍手した。
宇都宮餃子の活気
夕方の宇都宮はさらに賑わいを増していた。
ネオンに照らされた餃子店街は、もはやお祭りのよう。
「こんなに人が並んでる……! 餃子って、イベントみたいなんだね!」
美緒の目はきらきらと輝いていた。
「戦後、中国から帰ってきた兵士たちが広めたのが始まりだ。それが今では街全体の文化になった」
隆司が解説する。
店に入ると、鉄板の上で餃子がジュウジュウと焼かれていた。
香ばしい匂いに、美緒は思わずごくりと唾を飲み込む。
「皮がパリパリで、底はきつね色……ああ、いい香り!」
美緒は待ちきれずにかぶりついた。
「……! 皮は香ばしいのに、中はジューシーで野菜の甘みが広がる!」
「宇都宮餃子は肉より野菜が多めで、あっさりしてるんだ。だから毎日でも食べられる」
隆司の言葉に、美緒は大きく頷いた。
そのとき、隣の席の大学生グループが声をかけてきた。
「お姉さん、初めて宇都宮餃子? おすすめは“食べ比べ”だよ!」
「そうそう、焼き・水・揚げ、全部試さなきゃ!」
「ほんと!? よし、追加で全部頼もう!」
美緒は即座に店員を呼び、笑いながら注文した。
「ははは、すっかり地元の若者と打ち解けてるな」隆司が呟く。
やがてテーブルに並ぶ、焼き餃子、水餃子、揚げ餃子。美緒は一つずつ味わった。
「焼きは香ばしさ! 水はもちもちでスープが染みてて……揚げはサクサクでお菓子みたい!」
「食べ比べると個性がよく分かるだろう?」石井が嬉しそうに言った。
店を出ようとした頃、大学生グループが言った。
「観光? だったら“餃子食べ歩きマップ”もらった方がいいよ!」
「えっ、そんなのあるんですか?」
「駅前の観光案内所で配ってるんだ。何軒か回ってスタンプ集めると、限定グッズもらえるんだぜ」
美緒は大興奮で身を乗り出した。
「えー! 楽しそう! ねぇお父さん、行こうよ!」
「ははは……まるでスタンプラリーだな。だがこうして文化を楽しませる工夫は素晴らしい」
「お姉さん、よかったら俺らと一軒だけ一緒に行かない? 有名な老舗があるんだ」
大学生の一人が声をかける。
「いいんですか!? 行きたいです!」
「こら、美緒。初対面の人に気安く……」隆司が苦笑すると、石井が助け舟を出した。
「せっかくだ、地元の若者の案内で歩くのも学びになるだろう」
大学生たちに連れられて次の店へ。そこでは皮が厚めのもちもち水餃子が名物だった。
「すごい……! 皮がぷるんってしてる!」
美緒はスープごと頬張り、目を細めた。
「うわぁぁ、これは焼き餃子とは全然違う!」
「餃子一つでも店ごとに個性があるんだ。だからみんな食べ歩きする」
大学生の言葉に、美緒は大きくうなずいた。
美緒の料理ノート
宿に戻った美緒は、ノートにびっしり書き込んでいた。
「“しもつかれ”――嫌われながらも愛される料理。匂いも見た目も強烈だけど、慣れると体が欲しがる。地域の知恵と季節の区切り」
「“宇都宮餃子”――戦後の新しい文化。街全体で広めて観光資源に。個性が豊かで、食べ歩きが楽しみになる」
美緒はペンを止め、ぽつりと呟いた。
「正反対なのに、どっちも“人と人をつなぐ料理”なんだなぁ」
隆司が頷いた。
「伝統を守るもの、新しく根付いたもの。形は違えど、食が持つ力は同じだ」
「料理って、味以上に“人の心の記憶”を残すんだね。今日それがすごく分かった気がする」
美緒の顔には、これまで以上に真剣な輝きが宿っていた。
いい視点だ、美緒。お前、だんだん料理の奥にある“文化”まで見えるようになってきたな」
「えへへ……。でも、まだまだ学びたいことだらけだよ!」
二人は笑い合い、餃子の香りがまだ残る宇都宮の夜をゆっくりと味わった。
こうして美緒は、栃木で「伝統に根付く料理」と「新しく根付いた料理」、その両方を体験した。
料理は単なる食事ではなく、人々の暮らしと歴史の証であることを改めて心に刻んだのだった。




