第1話:女の笑みほど恐ろしい毒はこの世にない
湯気の立つ水場には、ざぶざぶと洗い物をする音が響いていた。
玲玲は洗濯籠を足元に置き、裸足で踏むようにして布を洗う。
季節は秋。水はもう冷たいが、ぬるい水では汚れが落ちない。
「新入り、そっちの籠、終わったらこっち頼むよ!」
声をかけてきたのは、同じく下女の一人。年は二十ほどだが、すでに諦めの色が濃い目をしている。
「はい」
玲玲は素直に返事をして、手を動かし続けた。
後宮に来て三ヶ月。黙って働いていれば、余計な注目も浴びない。
ここでは、目立つことは死を意味する。と、入って三日目に思い知った。
口の軽い女が、些細なことで上級妃に目をつけられ、翌日には姿を消したのだ。どこへ消えたのかは、誰も知らないし、誰も尋ねない。
そんな世界。
洗濯を終えた籠を抱え、玲玲は日向の干場に向かう。並べられた干し物の上に、木札が吊るされている。
「梅・壱七」
女官の中には文字が読めない者もいるため、花の絵と数字で区別されている。玲玲のように本を読める者は珍しい方だ。
その籠を抱えて、小走りに奥の建物へ向かう。空は重く、雨の気配を孕んでいた。
「そこに置いて」
扉を叩くと、中から返ってきたのは無愛想な侍女の声。
玲玲は静かに扉を開け、籠を所定の場所に置いた。ふと部屋の奥を見ると、香煙の向こうに女がいた。
甘い香の匂いが鼻をつく。絹の寝着をまとい、薄く笑って酒を飲むその女――下級妃嬪に違いない。
(自室にこもっているだけでは、帝の目には届かないよ)
玲玲は心の中で呟き、扉を閉じる。
女の笑みほど、恐ろしい毒はない。薬屋の娘として、ずっとそう感じてきた。
城下の花街でも、金で笑う女たちの中には、毒を盛る者もいた。毒は人を殺すだけでなく、心も壊す。
後宮には、それが満ちている。
玲玲は洗濯場に戻り、次の籠を手に取る。昼までに三籠分終わらせないと、午後の仕事に間に合わない。
(早く終わらせよう)
黙々と働く。それが玲玲の、今の生き方だ。
だけど、その静かな日々は、今日で終わることになる。
この後宮の片隅で、今まさにひとつの命が、理不尽に奪われようとしていた。
それは、赤子の、まだ名もつかぬ命。
「呪い」とささやかれる死の背後に、玲玲は“香”の不自然さを見つけることになる。




