06.婚約者への疑惑(2)(side:セセリア)
何かがおかしい。
ハズウェル邸に来て二日も経てば、ちょっと鈍感なところがある私でもさすがに違和感を強く感じるようになっていた。
違和感の発生源はもちろんヴィンセントだ。
初日から妙に観察されているのは察していた。最初は私が貴族学院時代と態度をがらりと変えてきたから驚いているのだろうと思った。あとは自分の妻になる女性に対して値踏みしているか。
しかし、こちらを見つめる眼差しにときおり焦燥のようなものが交じるのはなんなのだろう。マリッジブルーなんてガラではないだろうし、わけがわからない。
誰か、原因を知っている者はいないだろうか。そう思った私は、夜、メイドたちにそれとなく訊いてみることにした。
憂鬱な表情を浮かべる自分を鏡越しに眺めながら、
「ヴィンセント様は、私との結婚があまり気が進まないようですわね」
我ながら結婚直前の花嫁らしい憂鬱さを醸し出せたと思う。
とたんに、夜のお手入れをしてくれていたメイドたちが顔を上げた。
「そんなことはありません!」
「ヴィンセント様はセセリア様との結婚をとても楽しみにされていました!」
さすがにそれはないでしょう、と突っ込みたい気持ちを飲み下し、私は憂鬱な表情を取りつくろう。
「でも……なんだかいつも、私を睨んで難しい顔をされていますわ。学院時代のことを思えばしかたのないことなのでしょうけれど」
メイドたちが一斉に困惑顔になり、口をつぐむ。
どう言ったら未来の侯爵夫人をなぐさめられるのか、あるいは喜ばれるのか。そんな迷いが見て取れる。
ちなみに、私はまだ彼女たちの中から誰を侍女にするかを決めかねている。
一番有能なメイドを昇格させるだけならば簡単だ。しかし、私は侍女の能力だけを求めているわけではない。
主人の心にどれだけ寄り添えるか。そして主人のためとなれば、嫌われる覚悟で諫めることができるか。私はその二点を基準に選ぶつもりだ。
「……難しい顔をされているのは、セセリア様のせいではないと思います」
ぽつりと声を漏らしたのは、眼鏡をかけたメイドだった。名前は確か、ゾーイといっただろうか。
黒髪をひっつめにしているのは他のメイドたちと同じだが、どことなく暗い印象がある。おまけに少々不器用なようで、私の脇のリボン紐を何度も結び直していた。ちなみにリボン紐は少し前に私が袖を引っかけてほどけてしまったところだ。
「どういう意味ですの?」
するとゾーイは一瞬ハッとして、眼鏡の奥で視線を逸らした。余計なことを言った、と自覚したときの反応だ。
「いえ、なんとなくです……すみません」
それきり口をつぐみ、リボン紐との格闘を再開する。
彼女は何か知っているのだろうか。
追及したかったが、すぐに隣にいたメイドが「そうですわ!」と明るい声をあげて手を打ったため、言いかけた言葉を呑み込んだ。
「明日は午前中の衣装直しさえ終われば少しお時間ができますでしょう? たまには気分転換に、街へお出かけになってはいかがです?」
「そうですよ! 今夜は月もきれいですし、きっと明日は晴れますわ。絶好のお出かけ日和になること間違いなしです!」
メイドたちがはしゃいだような声と表情で沈んだ空気を盛り上げてくれる。いい人たちだ。浮かないふりをしてしまった手前、少し罪悪感をおぼえる。
「……そうですわね。そうさせていただこうかしら」
正直なところ、結婚式まで屋敷に閉じこもっているだけというのも退屈に感じていたのだ。
ということで翌日、私は花嫁衣装の最終調整をすませると、メイドを二人ともなって街へ繰り出した。
ヘラートというハズウェル侯爵領でも有数の大きな町だ。
海に繋がる運河に面しており、多くの商船が大きな帆を広げている。行き交う人も多く、大通りには店舗の他に露店なども見受けられる。港町のような活気と風情がある街だった。
屋台から焼いた海鮮の匂いが漂ってきて、私はつられそうになるのをぐっとこらえる。完璧な淑女は露店で買い食いなどしないし、海鮮串にかぶりつくなんてもってのほかだ。
いい街ね、なんて他愛のない会話をしながら、私たちは散策した。
同行してくれたメイドは黒髪眼鏡のゾーイと、金髪でそばかすの多いジェシカの二人だ。公平を期すため、同行者は手製のくじで決めた。
ゾーイは口数の少ないタイプなので、話し相手はもっぱらジェシカになった。年は私より五つくらい上だろう。明るくさっぱりとした性格なので、未来の侯爵夫人相手でも物怖じしない。おかげでとても話しやすかった。
ジェシカはファッションやグルメにも詳しく、おすすめの店を片っ端から紹介してくれた。ここの服飾店のレースは出来が良いだの、ここのティーハウスのブレンドディーが若い女性に人気だの、本当によくしゃべる。
そうして、とある宝飾店を訪れたときに、事件は起きた。
出迎えてくれた店員の女性がいらっしゃいませと一礼した後、私の顔を見てあからさまにわずらわしげな顔をしたのだ。
「またあなたですか。何度お越しいただいても、お客様の情報は明かせません。どうかお引き取りください」
私はメイドたちと顔を見合わせた。ジェシカもゾーイも目を丸くしている。きっと私も似たような表情を浮かべているに違いない。
当たり前だが、私は今日はじめてこの街を訪れた。この店も同様だ。
「奥様は今日はじめて――」
ジェシカがそう言いかけたのを、私は彼女の眼前に手を伸ばして制止する。
現時点でわかっていることが二つある。
一つは私とよく似た人物が最近この店を訪れていること。
そしてもう一つは、その人物が店から顧客情報を聞き出そうとしていたことだ。
前者はただのそっくりさんの可能性もあるが、後者からはきな臭さを感じる。ここは慎重に対応すべきだと判断し、私はにっこりと令嬢らしい微笑みを作った。
「あら、あのときも対応してくれたのはあなたでしたのね。人の顔をおぼえるのがどうにも苦手で……それで、あれから考えが変わったりなんてことは」
「しつこいですね。何度おっしゃられても無理なものは無理です」
私は「そう」と素っ気なく言って、左腕につけていたブレスレットを外す。
いかにも賄賂を渡そうとするかのようなそぶりに、女性店員はさらにまなじりをつり上げた。
「その手は通じないと学んでいらっしゃらないようですね。お引き取りを」
「勘違いなさらないで。私がほしいのは顧客情報ではありませんわ。以前、私がいつここへ来たのかを教えていただきたいの」
「……は?」
「私、日付をおぼえるのがとっても苦手で。このお店を訪れた後に別のお店で買い物をしたのだけれど、日付を忘れてしまいましたの。いまから注文を取り消すにもあまり日数が経っていると迷惑をかけてしまいますし、そのお店も遠くってわざわざ行って無駄足になるのも……」
我ながら苦しい嘘だ。
しかし思いがけない提案をされた直後にベラベラとまくし立てられたせいか、店員は「は、はあ……」と毒気を抜かれたようになる。
「……前回お越しになったのは、三日前ですが」
「そうだったかしら?」
「その前日にもいらっしゃっているので、記憶がまじっておられるのでは」
私のそっくりさんは二度この店を訪れているようだ。
三日前は私がハズウェル侯爵邸に到着した日だ。さらにその前日となると、私を乗せた馬車はまだ侯爵領内にすらたどりついていない。
「どうもありがとう。これはあなたに差し上げますわ」
「う、受け取れません! こんな高価なもの……」
「お気になさらないで。その代わり、私が今日ここへ来たことは忘れていただきたいの。お願いね?」
なかば押しつけるようにブレスレットを店員に握らせると、私はメイドたちを引き連れて店を後にした。
通りに出てしばらく歩いてから、ジェシカが声をひそめて訊ねてきた。
「あの、いまのはどういう……?」
「私にもわかりませんわ。世の中には自分のそっくりさんが三人はいるという話ですし、二人目が見つかったのかもしれませんわね」
私はしらばっくれて言う。一人目はもちろん双子の妹シンシアだ。
だが、愛する妹をなんの根拠もなく疑うような真似はしたくない。魔法や化粧、変装道具などで私のふりをしている第三者の可能性だってある。
特に魔法で変化している場合が厄介だった。
変身魔法は非常に高度な魔法だ。変身後の姿を細部に至るまで想像し、魔力で再現しなければならない。
つまり、相手は相当な魔法の使い手ということになる。
「あなたたちも、さきほど見聞きしたことは忘れてくださいませね」
「ですが……」
「では命じますわ。忘れなさい、それができなければ口をつぐみなさい。いいですわね?」
「……承知いたしました」
と真っ先に従ったのはゾーイだった。
むっつりとした顔からは不安はあれど不満は感じ取れない。厄介事に首を突っ込みかけていることを察したのかもしれなかった。
ジェシカはなおも不満を顔に出していたが、同僚を一瞥して困ったように眉を寄せた後、しぶしぶといった様子でうなずいた。
――行く手を怪しい風体の男たちに塞がれたのは、その直後だった。
「コソコソ嗅ぎ回るのはやめてもらおうか、お嬢ちゃん」
どうやら私のそっくりさんはコソコソ嗅ぎ回っていたらしい。まあ、宝飾店に押しかけて顧客情報を聞き出そうとしていたようだから、そう言われるのも当然か。
メイドたちがすかさず私を守るように前へ出た。二人とも肩が恐怖に震えている。彼女たちに無理をさせてはいけないので、私はジェシカとゾーイの腕を掴んで軽く引いた。下がりなさい、の意味だ。
「もう一つ、命じなければならないことができてしまいましたわね。お逃げなさい。どこかの店に駆け込んで、ほとぼりが冷めるまで匿ってもらうとよろしいですわ」
「お、奥様を見捨てて逃げるなんてできるわけが……!」
結婚式もまだなのに、もう奥様と呼んでくれるようだ。セセリアの名前を出さないための呼称だろうが、侯爵家に受け入れてもらえた気がして嬉しくなる。
「あなたたち、私が三カ月前まで何をしていたかお忘れになって?」
メイドたちが思い当たってハッとする。
ハズウェル家のメイドならば当然、私が騎士団を率いて魔物の討伐遠征に出ていたことは知っているだろう。
「……ご武運を」
ゾーイは睨むような顔で短く告げると、まだ判断に迷っている様子だったジェシカの腕を強引に掴み、来た方向へ駆け出した。なかなか思い切りが良い。
ははっ、と男たちが嘲笑する。
「メイドに見捨てられちまったのか。人望がないなあ、奥様」
「しかたがありませんわ。ところで――あなたたちはいったいどこのどなた様? 以前お会いしたことがありましたかしら?」
「はっ、しらじらしい。俺の顔を忘れたとは言わせねえぞ!」
言うつもりはない。忘れる以前にそもそも知らないのだ。
それにしても、どうしたものか。
私のそっくりさんの情報はほしいが、いまは結婚式の前だ。花嫁衣装が似合うように肌を整え、剣だこを削り、筋肉量も落としてきたのだ。怪我どころか、肌に傷一つつけたくはなかった。
となると、私のすべきことは一つだけ。
反撃の隙も与えないくらい圧倒的に、男たちを叩きのめして情報を聞き出す。それしかなかった。
だから私は令嬢らしくしおらしい態度を作って、小首を傾げてみせた。
「ごめんあそばせ。ワタクシ、殿方の顔はイケメンしかおぼえられませんの」
一瞬で、男たちがブチ切れたのがわかった。
6話までお読みいただきありがとうございました。
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