05.婚約者への疑惑(1)(side:セセリア)
部屋付きのメイドを四人紹介され、彼女たちに湯浴みと入浴後のお手入れをしてもらうと、旅の疲れがだいぶ癒やされた。
まだ夕食前なので晩餐用のドレスに着替え、やっと一人にさせてもらうと、私は長椅子に寝転がってうんと手足を伸ばした。
「さすがハズウェル侯爵家、至れり尽くせりね。お父様のこと、褒め称えてあげてもよかったかもしれないわ」
仰向けになったまま首を巡らせ、室内の様子を眺めやる。
品の良いクラシカルな家具調度品類は、さすが伝統と格式のある侯爵家だ。古風と言えば古風だが、高品質の素材と熟練の匠による仕事の相乗効果で落ち着きのある素晴らしい部屋に仕上がっている。
こんな素敵な部屋が今日から私の部屋だなんて嬉しすぎる。
伯爵邸の自室が遠征で不在中に魔改装されていたので余計に感動した。流行り物に手を出してはバランスも考えずに飾り立てて究極のダサ領域を展開するのが趣味のお父様には深く反省して欲しい。屋敷を出る前、部屋の壁にハルバードをめり込ませるというお茶目なメッセージを残してきたから、ちゃんと伝わっているといいな。
うふふ、と思い出し笑いをしてから、お父様とは違う男性のことを思い浮かべる。
「ヴィンスったら、私が見違えるような淑女になっていたからびっくりしていたわね。ふふん、私は生まれ変わったのよ!」
だって私はずっと、シンシアのようになりたかったのだ。
アーチボルト伯爵家には跡取りになる男児が生まれず、母を深く愛していた父は母と離婚して後妻や愛人に男児を産ませるのではなく、双子の娘のうち片方を後継者代行として育てることにした。そしてその役割は、必然的に体が丈夫な私が引き受けることになった。
別に、剣術や魔法の稽古が苦だったわけではない。
幼少期からおてんばの才覚を発揮していた私は、そのまま立派なじゃじゃ馬と成長した。ただそれだけだ。
問題があるとすれば、じゃじゃ馬を辞めたいと思ってもすぐには辞められない状況だったことにある。
魔物による被害は広がる一方で、私の学院在学中くらいまでは騎士団を率いる元気があった父も、私の卒業直後あたりには体にガタが来て戦えなくなっていた。私が団長代行となるしかなかったのだ。
だからある意味、この輿入れは淑女教育をしなおすいい機会だったと言える。
それに私にはシンシアという素晴らしい見本があった。
私と同じ外見、肉体という素材をもっとも効果的に使えているのが彼女だ。
どうすれば所作が優美になるか、表情や受け答えが可愛らしく感じられるか。すべての正解を妹が体現している。だったら貴族夫人を教育係として雇うより、妹の真似をする方が手っ取り早い。
実際、シンシアは昔屋敷にいた教育係よりもずっと厳しかった。何度、扇子で手を叩かれてダメ出しされたかわからない。でもそのおかげで私は三カ月という短期間で理想の自分に近づけたと思っている。
手袋をはずし、きれいになった手のひらを眺めてにんまりする。
少し前まで私の手のひらで自己主張していた剣だこは見る影もない。
シンシア御用達の薬師のおかげだ。
東方の変わった薬にも詳しく、しかも美容にも精通している薬師だった。
角質用の美容ヤスリで剣だこを削りはじめたときには本当に大丈夫なのか心配になったものだが、皮膚の回復力を促進する美容液と肌を柔らかくするマッサージのおかげでほとんど痕も残らなかった。
「理想の自分に近づけて、しかもそれがヴィンスの好みと一致しているのなら、やらないという選択肢はないわよね。見てなさいよヴィンセント・ハズウェル。絶対に幸せにしたくなるくらい、ベタ惚れさせてやるんだから」
口に出したとたん、ある女性の姿を思い出してしまって胸の奥がズキンと痛んだ。
ヴィンセントも気の毒な男だった。
貴族学院入学当時は第二王女のアビゲイル様と婚約していたのに、そのアビゲイル様が隣国の王太子に見初められたため婚約解消するはめになったのだから。
パーティーで同伴する二人を何度か見かけたが、ヴィンセントはアビゲイル様を大切にしている様子だった。生真面目な彼に、完璧な淑女であるアビゲイル様は理想の相手だったに違いない。
しかし完璧な淑女であるがゆえに、アビゲイル様に横恋慕しようとする者は後を絶たなかった。結果的に、国王陛下は隣国との関係を優先してヴィンセントに婚約解消を要請し、ヴィンセントはそれを受け入れた。
破談になった後、ヴィンセントはしばらく同情と好奇の視線を向けられて大変そうではあった。しかしその件がかえって彼のやる気に火を付けたのか、背丈が伸びるのと比例するように剣の腕前もメキメキと上達していった。
「アビゲイル様も浮気性の王太子を選んじゃって後悔しているかもしれないわね。ヴィンセントは浮気するような男じゃないし、《剣聖》だし、見目も…………元から整ってはいたけれど、結構……かなり……いいし」
四年ぶりに会ったヴィンセントの姿を思い出したら、少し顔が熱くなってきた。
身長自体は学院時代に追い抜かれてはいたが、そこからさらに伸び、加えて実戦と鍛錬によってつちかわれた筋肉で体の厚みも増していた。
騎士としての経験からか端整な顔立ちに精悍さまで加わり、男ぶりに磨きがかかったように思う。
アビゲイル様がいまの彼を見たら、地団駄を踏んで惜しんだに違いない。
そんな彼に「きれいになった」と言われたり、エスコートを申し出られたり……現実のことだとは思えなかった。
あなた、そんな貴公子らしい振る舞いができたの?
顔がそっくりの別人なんじゃないかと疑いたくなるくらい驚いた。
もちろんいまの彼は貴族学院の風紀委員ではないし、私も騎士課程の紅一点ではないから状況も立場も違う。別人のように感じるのはお互い様だろう。
「お互いにもう大人なんだもの。昔のことは水に流して、幸せな夫婦になることだって……できるわよね?」
姿見をのぞき込んでにっこりと微笑んでみると、シンシアに「あなたなら大丈夫よ」と励まされたような気分になれた。
そんなことをしていたら、メイドの女性が晩餐の時間になったと知らせに来た。
彼女に先導されて食堂の間へ向かうと、扉の前でヴィンセントが待ち構えていた。
部屋でずっと彼のことを考えていた手前、ドキリとしてしまった。別に悪いことはしていないのに、少し気まずい。
「席へ案内する」
と言って手を差し伸べてくる。
私はまじまじとヴィンセントの顔を見る。相変わらず顔はいい――じゃなくて、こちらを見つめる表情は少々堅苦しいものの誠実さが感じられる。
「どうした?」
「……いえ、ありがとう」
私は内心どぎまぎしながらも、にっこりとシンシアのように微笑んで彼の手を取った。落ち着きなさい、セセリア・アーチボルト。淑女はこのくらいのエスコート、悠然と受けるものなのだから。
ヴィンセントはゆっくりと私を大テーブルの手前の席まで誘導し腰掛けさせてから、自身は向かいの席に腰を下ろした。
すかさず料理の皿が運ばれてくる。
前菜に鯛とクレソン、ナッツのマリネが運ばれてきたときから期待値は高かったが、タマネギとベーコンのスープに遅れてタコとイカのアヒージョ、ホタテとバターの香草焼き、鱸のムニエルが運ばれてきたときには確信に変わった。
全部、私の好物だ。むしろ好物しかない。
アーチボルト伯爵領は四方を山に囲まれた土地だ。対して、ハズウェル侯爵領は海に面しており、レムナド王国でも数少ない新鮮な魚介類が食べられる土地で知られている。
だからここでの食事にもこっそり期待していたのだが、ここまで海鮮のオンパレードでもてなされるとは思わなかった。
どうしよう。嬉しくて泣きそうだ。でもどうして?
おそるおそる向かいのヴィンセントの表情を盗み見ようとすると、切れ長の双眸と目が合った。灰色の瞳が一瞬驚いたように揺れた後、気遣うように深みを帯びる。
「魚介類が好きだったようだから、用意させた」
「知っ……ご存じでしたの?」
「ああ。王都の祭りでよく海鮮の露店でばかり買い食いをしていただろう。学院の食事に魚介類が出たときも美味そうに食べているなと思っていた」
なんで知っているのよ。
というか、この男は私の食生活を監視でもしていたのだろうか。やはり彼の中で私は常に注視していなければならない問題児だったようだ。
それにしても生真面目な彼がフルコースの鉄則を破ってまでして私好みの食事を初日の晩餐に用意してくれた。ちゃんと歓迎しているのだと意思表示してくれた。その心遣いが本当に嬉しかった。
「こんなにもてなしていただけるなんて、感激いたしましたわ」
私は本心からそう言って、アーチボルト伯爵領では絶対に食べられない新鮮な魚介類の数々を征服しにかかった。
両手のカトラリーでいつもよりも小さく切り分けていると、ふと強い視線を感じた。
ヴィンセントが食事の手を止めてじっとこちらを見つめている。
いや、睨んでいるといってもいい。厳しい眼差しはまるで私を値踏みするかのようだ。
私が好物を前にがっつくような不作法者だとでも思っているのだろうか。
だとしたらおあいにく様だ。貴族学院時代ならばともかく、私は食欲に負けるほどやわな精神をしてはいない。この国では食事の好き嫌いで表情を変えるのは行儀が悪いと見なされる。どんな食事であってもすました顔を取り繕えなければ、完璧な淑女にはなれない。
私は小さめに切り分けた鯛を野菜と一緒に口元へ運び、頬がだらしなく緩みそうになるのを必死にこらえて咀嚼した。
ああ、とっても美味しい。でも顔には出さないわ。それが作法だから。