03.俺を嫌いな人の輿入れ(1)(side:ヴィンセント)
――来たか。
ハズウェル侯爵邸の正門をくぐって近づいてくる馬車を見つけ、俺は目をすがめて眺めやった。
やってきたのは輿入れの形式にのっとった四頭立ての馬車だ。
護衛の騎馬に守られながらゆっくりと進む車体の壁面には、アーチボルト伯爵家を意味する剣と狼の紋章が描かれている。
どこかで手違いでも発生していなければ、乗っているのはアーチボルト伯爵令嬢セセリアのはずだ。
彼女は貴族学院時代の同期生だ。さらに言えば、俺をとことん嫌っていた人物の一人でもある。
当時のセセリアは俺のことを煙たがっていた。
日頃から俺の行動を予測し、できるかぎり遭遇しないですむように動いていたと思う。もっとも、俺は風紀委員を拝命していたから彼女だけではなく同期生の多くに避けられていたのだが。
そんな女性を花嫁に迎えようというのだ。はたから見たら血迷ったとしか思われないだろう。後継者としてハズウェル侯爵家のためを考えるのなら、もっと無難な相手と婚姻を結んだ方がいいのは確かだ。
だが、俺をセセリアと結婚すると決めた。
不安材料はいくらでもある。仲睦まじい夫婦になれる自信があるわけでもない。
それでも卒業から何年も経ち、互いに大人にもなった。実生活は貴族学院のように規律が厳しいわけでもないし、俺の方も当時のような「頼まれごと」をされて、行動に制限があるわけでもない。
ならば、上手くやれる可能性はゼロではないはずだ。
アーチボルト伯爵家の馬車は道なりに進んでくると、玄関アプローチの前で停止した。すかさず護衛の騎馬から一人が降り、外側から馬車の扉を開けて手を差し伸べる。
その手を借りて昇降台を降りてきたのは、金髪碧眼の美しい令嬢だった。
猫目と言うのだろうか、目尻がややつり上がった若草色の双眸は蠱惑的で、その目を縁取る長い睫毛が目元に小さな影を落としている。
鼻は小さいながらもすっきりと筋が通っており、ふっくらとした唇には自然に見えるくらいの紅が差しており、熟したさくらんぼのように艶やかだ。
ゆるく波打つ長い髪は旅装ゆえかハーフアップにしただけだが、初夏の日差しを受けて輝きを増しており、たいした宝飾品を身につけていなくてもじゅうぶんすぎるほど令嬢を飾り立てている。
四年ぶりに目の当たりにしたセセリアの姿に、俺は正直驚いていた。
貴族学院時代からじゅうぶんに美しい令嬢だった。それゆえに男子学院生たちから嫌がらせに擬態したちょっかいをかけられていたくらいだ。しかしいまの彼女には当時のトゲトゲしていた彼女にはなかった優美さ、たおやかさまで備わっている。
地面に足を降ろしたセセリアは、俺の視線に気づくと艶やかに微笑んだ。旅用ドレスの横を両手でつまんで片足を一歩引き、背筋を伸ばして一礼する。
「ごきげんよう、ハズウェル侯爵令息。卒業以来ですから、四年ぶりですわね」
「……ああ、ひさしぶりだな。健勝そうでなによりだ」
彼女に見とれていたせいで反応が一瞬遅れてしまった。
完成された淑女になっていたことには確かに驚いたが、それ以上に違和感が強い。セセリアは俺に対してこんな話し方をする女性ではなかった。
何せ、当時は声をかけるたびに『またあなたなのヴィンス。その顔、見飽きたのだけど?』等と言われていたのだ。俺を嫌っているわりには皆にならって愛称で呼んでくれるんだな、と妙に感心したのをおぼえている。
などと、昔をなつかしんでいる場合ではない。
向こうが淑女然と振る舞っているのだ。こちらも紳士らしく対応すべきだろう。
「ハズウェル家へようこそ、セセリア・アーチボルト伯爵令嬢。歓迎する」
俺はごまかすように彼女の手を取って腰を曲げた。手の甲に口づけるという、貴族お決まりの挨拶。
それを実行しようとしたところで、二度目の違和感をおぼえる。
薄っぺらい絹の手袋越しに伝わる手の感触はたおやかで、彼女の見た目通りのものではあった。しかし、それは本来おかしいのだ。
違和感のおかげで冷静さを取り戻した俺は、手袋を嵌めた手の甲へさっと口づけてから神妙に顔を上げる。
セセリアはこちらをかすかに見下ろして、頬をほんのりと朱に染めていた。恥じらい半分、嬉しさ半分といった表情だ。令嬢らしい純粋でおしとやかな反応といえる。
しかし。これがあのセセリア・アーチボルトの反応か?
かつての同期生の姿が目の前の女性と重ならない。
「あ、あの……」
控えめな抗議の声にはっと我に返る。彼女の手を握ったままだった。
「……すまない」
俺は速やかに手を引っ込める。
結論を出すには少々早いだろう。俺が考えすぎているだけや、気のせいである可能性もある。慎重に見極める必要があった。
「お会いするまでは、お変わりないですわねと申し上げるつもりでいたのですけれど……また背が伸びたようですわね?」
「少し。成長期が遅かったからかな、卒業後に八セーチほど伸びた」
俺の背が伸びたことに気づけるのは、四年前までに俺と会ったことがある者だけだろう。
あるいは、あえてそう思わせるために話題を振ったのだろうか。
さきほどの違和感、そしてある情報のせいで、ささいなことまで疑ってかかりそうになる。
落ち着け、平常心になれ。鉄仮面を装うのは慣れているはずだろう。
「君もきれいになった。以前から美しいとは思っていたが、より洗練されたようだ」
「まあ、お上手ですこと……ホホホ」
おや、と思わず眉をひそめそうになった。
令嬢の仮面に小さなほころびを見つけたというか、被りきれなかった仮面から素の彼女が垣間見えた気がしたのだ。
もしかして、気色悪いとでも思われただろうか。
確かに、嫌っている相手から容姿を褒められても嬉しいどころか微妙な気持ちになるだけだろう。
だが、そこは結婚するのだから慣れてもらうしかない。
貴族学院時代、俺は学院長から彼女に目を掛けてやってほしいと頼まれていた。
令嬢でありながら騎士課程を選択した彼女が、他の、特に男子生徒から不快な思いをさせられないようそれとなくフォローしてやってほしい、と。それができるのは同期生のうちで最も高位貴族家出身の俺だけだと判断されたらしい。
だから俺は彼女への特別措置を他の生徒たちに悟られないよう、彼女に対しては特に厳しい態度で接した。風紀委員の俺が率先して厳格な態度を取れば、他の生徒は難癖をつけにくくなる。
そんな事情があった手前、彼女に対して私的な親交を深めようとすることなどできるはずもなかったのだ。
「長旅で疲れているだろう。部屋まで案内しよう……エスコートをしても?」
俺が肘を曲げた左腕を差し出すと、セセリアは少し驚いたように若草色の双眸を見開いた後、「喜んで」とはにかんだ。
初夏の太陽のような笑顔のまぶしさとそれが生み出す違和感に、俺は一瞬めまいのようなものをおぼえる。どうにも調子が狂う。
俺はセセリアに腕を貸しながら屋敷を案内した。
彼女は令嬢らしくゆったりと歩きながら周囲の端々に視線を巡らせていた。さりげなく観察されているのがわかって俺は少し恥ずかしくなった。
ハズウェル邸は内装のセンスがあまりいいとは言えない。壁紙も調度品もよく言えば古風で伝統的、悪く言えば古くさくて流行遅れなのだ。このあたりは伝統重視の父の趣味が色濃くあらわれている。
なんとも言えない気まずさを感じながら階段をのぼり、二階の東奥の部屋の前までたどり着いたところで、先回りしていた使用人が扉を開けて中の様子を見せた。
「ここが君の部屋だ」
「……素敵」
セセリアがぽつりとつぶやく。
ここも例に違わず古風なセンスの部屋だったが、彼女の声音からはわざとらしい世辞の響きはない。無論、内心はどう思っているかは知れない。
「いずれ他の部屋も案内するつもりだが、いまは旅の疲れを癒やしたいだろう。すぐに湯を用意させる。他に何か必要なものがあったらメイドか執事に申しつけてくれ。侍女は部屋付きのメイドの中から自由に選んでくれて構わないが、急ぐ必要はない」
「お心遣い痛み入りますわ」
セセリアがふわりと品良く微笑む。あり得ないものを見たようでまためまいをおぼえ、ぐっと唇を引き結ぶ。
「……ではまた、夕食時に」
俺は必要最低限の挨拶をすませて踵を返した。
少し早足になって同階にある自室に戻り、上着を脱いで長椅子の背に引っかけると、タイを緩めて息をついた。騎士団長閣下との打ち合い稽古後と同じくらい疲れてしまった。
長椅子に腰を落として背もたれに寄りかかった頃、ノックの音が響いて従者のブラッドがやってきた。
五つ年上の彼は乳母によく似た灰色の髪に琥珀色の目をした優男で、俺にとっては乳兄弟にあたる。手にした銀盆にはティーセットが載っており、矢車菊で香り付けされた茶葉の香りがほんのりと漂ってきた。
「お茶をお淹れいたしました。緊張で喉が渇いていらっしゃる頃かと思いまして」
そう言ってブラッドは穏やかに微笑む。内心を見透かされたようで不愉快だったが、いつものことだ。それに喉が渇いていたのは事実だ。
「……もらおう」
ブラッドが紅茶を淹れるのを待ってから、白磁のティーカップに手を伸ばして縁に唇をつける。熱い液体を口に含むと、口腔いっぱいに矢車菊のさわやかな香りと茶葉独特の心地よい渋味が広がった。少し疲労がほぐれた気がした。
「すぐにお部屋へお戻りになられましたね。積もる話もあるでしょうに、もう少しおしゃべりをされてもよろしかったのでは? 四年ぶりの再会だったのでしょう」
彼が従者の職位を超えて話しかけてくるときは、乳兄弟として俺を案じているときだ。
実際、問題は大ありだった。俺はカップを受け皿に戻して言う。
「彼女は……本当にセセリア・アーチボルトなのだろうか」