02.私を嫌いな人との婚約(2)(side:セセリア)
父娘の微笑ましいやりとりの後、私は夜着にガウンを引っかけて妹シンシアの部屋を訪れた。
不在だった父とは違い、妹とは既に帰宅の挨拶をすませていたので、彼女はにこやかな笑顔で迎え入れてくれた。
「セセリア、どうしたの? 疲れているでしょうに、そんなに私とお話したかった?」
うふふ、とどこか悪戯っぽく言ってくる。
緩やかに波打つ長い金髪に、若草のような緑色の双眸。顔立ちだけ見れば私とシンシアは鏡に映したようにそっくりなのに、彼女には私と違って穏やかで落ち着いた印象がある。
さらによく目をこらして見れば、しっかり手入れされた髪のつややかさ、傷一つないきめ細かな肌、品の良い表情の作り方など、細かくも大きな違いに気づくことができるだろう。自分で言っていて悲しくなってくる。
「シンシア、ちょっと聞いて! お父様がね……」
私は涙目になって双子の妹に抱きついた。
シンシアは私を受け止めた勢いで後ろに倒れそうになる。それを、私は腕を腰に回して支えてあげた。激しいダンスのような格好で仰け反ったシンシアは、私を見つめて軽やかに笑った。
「そんなに激しく抱きつかれたら、倒れてしまうじゃない!」
「ご、ごめんなさい。つい……」
体勢を整えてから顔を合わせて、二人同時に噴き出した。相変わらずね、変わっていないわね、そんな意味あいの笑いだ。
「ヴィンセント卿とのことなら聞いているわ。急で驚いたでしょう」
「驚くに決まっているわ。相手が相手だもの」
「そんなにヴィンセント卿との結婚が嫌?」
悪い相手ではないでしょう、とでも言いたげだ。
確かに、ヴィンセントは結婚相手として悪いどころか、国内でも上位に入るほどの優良株だ。次期侯爵だし、《剣聖》の称号を与えられるほどの武勲を立てたのならば、騎士としても出世頭だろう。
さらに言えば、顔も良かった。
彫りの深い整った顔立ちに、短く刈り込んだ鳶色の髪。灰色の双眸は切れ長で冷ややかな険があったが、目元にほのかな色気があって魅力的ですらあった。社交界には詳しくないが、美貌の次期侯爵との結婚を望む令嬢は少なくなかっただろう。
私だって、ヴィンセントと知り合いでなければ諸手を挙げて喜んだかもしれない。
貴族学院時代、私とヴィンセントは騎士課程を選択した同級生だった。
騎士課程、つまり剣術や兵法、魔法は男子の必修科目であり、女子は希望者しか受けられない。私は厄介な土地の領主令嬢なので希望したが、私の学年で騎士課程を選択した令嬢は私しかいなかった。
そんな変わり者の私を毛嫌いする男子学院生は結構いた。しかし、ヴィンセントはそうではなかったはずだった。少なくとも、最初の一年は。
いまでこそヴィンセントは国内有数の魔法騎士だが、入学した当初は私よりも少し背が低く、剣の腕前もそれほどではなかった。ただ正義感が強くて曲がったことが嫌いな、実直で好感の持てる人物だった。
私が他の男子学院生たちから嫌がらせを受けていることを知り、かばってくれたことだってあった。
『こんなくだらん方法でネチネチいじめてなんになる? 実力では敵わないと認めているようなものではないか。それでも王国貴族か。恥を知れ!』
もっとも、成長期が遅くまだ小柄だった彼は体格差、さらに多数に無勢だったせいで返り討ちにされてしまったのだけれど。それでも私をかばって傷つきつつも抵抗しつづけた彼に、私は深く感謝した。
ヴィンセントの抵抗に興を削がれた男子学院生たちが立ち去った後、私は心から礼を言ってヴィンセントにハンカチを差し出した。だが、彼はそれを固辞した。
『俺にはそれを受け取る資格がない。守ろうとした者を守れないで、何が騎士か』
顔を逸らし、吐き捨てるようにつぶやいた言葉が忘れられない。助太刀に入っておきながら勝てなかったことを本気で恥じていたようだ。
でも私はあなたのおかげで助かったわ。
そう言えば慰めだと思われそうだったので、私は口に出さなかった。
代わりに、気になっていたことを訊ねた。
『どうして魔法を使わなかったの?』
私の知る限り、彼は学年で一番の魔法の使い手だった。
魔法を使えばあんなやつらに負けることなどなかったはずだ。
もちろん、学院内では教師の許可なく魔法を使うことが禁じられていたというのもある。しかしやむを得ない事情があれば許されるはずだ。現に、どこぞの子息が跡目争いの関係で送り込まれた刺客に襲撃され、魔法で迎撃したときはおとがめはなかった。
しかし、ヴィンセントは傷だらけの顔でこうのたまった。
『魔法が使えない相手に魔法で挑むのはフェアではない』
馬鹿なの? と私は思わず言いそうになった。
多数に無勢という時点でそんなことを気にするなんて、律儀を通り越して愚直だ。だが彼のそういうところは嫌いではなかった。
もしも彼との関係があのときのままだったならば、いまごろ私は結婚に胸を弾ませていたかもしれない。それが少し寂しかった。
「嫌というか……気乗りしないのは確かね。でも、もう陛下に報告済みだというし、いまさらどうにもならないでしょう。先方にも迷惑をかけてしまうわ」
「セセリアったら、相変わらず他人優先なのね。そこがあなたのいいところだと思うけれど、たまには自分の幸せを優先してもいいと思うわよ?」
「自分の幸せ……」
私はぽつりと口に出してつぶやく。
幸せなんて、考えたことなんてなかった。長女として強くならなければならない、領主となる婿を取って支えなければならない、それ以前に目の前の魔物を討伐して領民を守らなければならない。そんな「ならない」ことを考えてばかりだった。
「……そ、そういうシンシアはどうなのよ。あなたが婿を取ることになるってお父様は言っていたけれど」
するとシンシアは、んふふー、と嬉しそうに笑った。
その表情を見ただけで、彼女が婿取りに前向きだということがわかる。
「えっ、いい人なの!? 相手は誰!?」
「オスカーよ」
「は!? 私、この二年ずっと騎士団で一緒にいたわよ!?」
オスカーは私の副官を務めていた騎士だ。
確かに、たまに誰かから手紙を受け取っては文面を眺めてニヤニヤしていたから、恋人からなんだろうなとは思っていた。それがまさか、相手がシンシアだったなんて驚きだ。
「隠していてごめんなさい。セセリアってすぐ顔に出るから、準備が整うまではお父様に知られるわけにはいかなくって」
「準備?」
「伯爵家の花婿がただの騎士では問題があるでしょう? やっと彼の後見人になってくれる貴族が見つかったの。近々、正式に貴族の養子になる予定よ」
私の留守中に妹は妹でいろいろ動き回っていたようだ。病弱なのも「ふり」で、準備が整うまでの時間稼ぎだったのではと思えてくる。
「シンシアがオスカーを選んだのも、幸せを考えたから?」
「幸せのために選んだわけじゃないわ。将来のことを考えるのなら、家柄に格差のある相手を選ぶべきではないってわかっていたもの。でも、惹かれてしまったものはしょうがないでしょう? なら、幸せになるために全力を尽くすべきよ」
そう言って、シンシアはパチリと目配せしてみせる。
なんて可愛いウインクなのだろう。物語の女騎士(やられ役)然とした私が同じことをしても、きっと因縁を付けてきたとしか思われないだろう。
「あなたも頑張っていたのね……」
身分違いの恋だ。お父様を説得するのも大変だっただろう。
いや、シンシアのことだからお父様の思考を先回りして封じ、場合によっては弱みを握って脅すなどして受け入れざるを得ない状況を作り出したのかもしれない。
この妹はどういうわけか、人の弱みや秘密を多く握っており、それらを有効に使って自分の意志を通すすべを持っている。
いったいどこでそんな技をおぼえたのかはわからない。少なくとも彼女は十八歳まで病弱だったため貴族学院にも通っていないので、私が入学して領地にいない間に身につけたのだろう。
「私も幸せになりたいわ。あなたみたいに」
それは何気ない言葉だったが、口に出したところでとても大事なことに思えてきた。
そうか。私、幸せになりたいと思っていたんだ。いまごろそんなことに気づかされるなんて、私はいままでどれだけ自分の人生を無自覚に生きてきたのだろう。
とたんに、猛烈な不安がこみ上げてくる。
ヴィンセントは私を毛嫌いしていた。いまもそうなのかはわからないが、数年会わなかっただけで印象が逆転しているなんてことはないだろう。
私を嫌いな人と結婚して、私は幸せになれるのだろうか。
そもそも――私にとっての幸せとは何なのだろうか。
私にとってどのような状態になれば幸福を実感できるのだろうか。
わからないなりに考えたすえに、私は双子の妹へ切り出していた。
「ねえシンシア。あなたにお願いしたいことがあるの。あなたにしか頼めないこと」
「とっても嫌な予感がするのだけど、私の気のせいかしら?」
シンシアはそう言いつつも、わくわくするように瞳を輝かせていた。