17.これが私の選んだ道(side:セセリア)
近隣の町が見えてきたあたりでシンシアとエルフとは別れた。二人ともその町で宿をとっているらしい。
ヴィンセントはハズウェル侯爵家に泊まればいいと提案したが、二人は固辞した。エルフは人間の屋敷は居心地が悪いとあけすけに言い、シンシアは父と合流してからあらためてうかがうわと言った。結婚式には父とともに参列してくれるらしい。
町で貸し馬車を用立て、馬から乗り換えた。
三人で乗るには客室が狭かったのでブラッドは馬に跨がったまま、馬車の後からついてくることになった。別にいいのにと言ったのだが、たぶん主のために気を遣ったのだろう。
私はヴィンセントと向かい合って座った。クッション性の低い座席に身をゆだね、ポクポクと馬車に揺られていると忘れていた疲労感が湧き上がってきた。
「今日は本当に疲れたわ」
「まったくだ」
ヴィンセントは特に疲れただろう。早朝から従者を人質に取られて王女護衛任務中の騎士たちに同行させられていたのだ。
しかも私と同じ顔をしたシンシアが事情を嗅ぎ回っていたせいで、同じ任務を受けた仲間からあらぬ誤解を受けたらしい。その点については申し訳なかったと思う。シンシアも反省してくれるといいのだけど、彼女は私に激甘なので当然と思っていそうで困る。
「ねえ。そういえば例の理由、いま聞いてもいい?」
「例の理由?」
ヴィンセントは察してくれなかった。疲れているせいかもしれない。
あらためて口に出して言うのは恥ずかしいが、このまま居眠りでもされては敵わない。私は小さく深呼吸して気持ちを落ち着けてから切り出した。
「わ、わたしを好きな理由よ。昨夜さらっと告白しておいて、その先を教えてくれないんだもの。気になるじゃない……」
するとヴィンセントがぎくりとした顔つきになった。珍しく視線を泳がせ、指先で頬を掻く。
「……後にしてくれないか。いまは疲れていて上手く応えられそうもない」
「ただの理由よ? ちゃっちゃと応えてから眠ればいいじゃない」
しゃべる体力もないのかと思いきや、気まずそうな態度からもしかしてという考えが浮かぶ。
もしかしてこの男、好きだと言うのは平気でも好きな理由を言うのは恥ずかしいとか、そういうことなのだろうか。
少しからかってやりたい気持ちがムクムクと芽生えてきて、私は座席を立った。
狭い室内で頭を天井にぶつけないように身を屈めつつ、ヴィンセントの座るシートの横にとすんと腰を落とす。
「おい、なんで来た。狭い……」
「別にいいじゃない。聞かせなさいよ。こっちはずっとあなたに嫌われていると思っていたんだから。あなたはアビゲイル様みたいな女性が好きなのかと思って、淑女教育をやり直しちゃったくらいなのよ」
「君の場合、淑女教育はやり直して正解だと思うが――痛っ、つねるな」
頬をつねってやったらヴィンセントは抗議の声をあげつつも、わかったわかったと嘆息した。
今日の彼はため息をついてばかりだ。幸せが逃げるので結婚後はやめさせなければと思う。
「……君は、別に好きで騎士課程へ進んだわけではなかっただろう。あくまで伯爵家のための選択だったはずだ」
「まあ、そうね。でも嫌いでもなかったわよ。もともとおてんばだったし」
「だがときどき、一般課程に進んだ令嬢たちをうらやましそうに眺めていただろう。土のついた稽古着姿で」
「……知ってたの」
私は驚いた。確かにそんなこともあったが、見られているとは気づかなかった。
あの頃、一般課程に進んだ令嬢たちはみな常に身ぎれいで髪型も可愛く整えていた。お茶会や私的なパーティーのために、平日でもドレスで着飾って華やかな集まりを楽しんでいることもあった。
一方私は毎日早朝から厳しい鍛錬があったので、夜の集まりには不参加だった。
昼間もおしゃれにこだわらなくなった。髪型に凝ったところでちょっと素振りをすればたやすく崩れてしまう。だからいつしか髪も下ろしているだけかポニーテールの二択になっていた。邪魔になるし、着替えなどの際になくしたくないので宝飾品も身につけなくなった。騎士であることを優先しなければ、男性だらけの騎士課程についていけないと考え切り捨てたのだ。
「不満がたくさんあったはずだ。日々の鍛錬も逃げ出す者が出るほど厳しかった。それなのに、君は一度としてサボらなかったし、前向きに取り組み、そこらの男子生徒よりも強くなっていった。そのひたむきさ、折れない心が……俺にはとても美しく見えた」
ヴィンセントは顔を前方に向けているが、その灰色の眼差しはどこかなつかしそうにすがめられていて、過去の私を見られている気がした。
胸の奥がじわりとあたたかくなってきた。
彼は知っていたのだ。当時の私が一人で抱えていた苦しみを、がむしゃらに送っていた日々を。何に傷つき、どう割り切っていたのかを。
全部見てくれていた。私の努力を認め、見守ってくれていたのだ。
「当時の俺は同年代の中では体格が劣っていて、剣の稽古で勝てないのは体が小さくて力がないからだ、手足が短いからだと内心言い訳ばかりしていた。だが女性という圧倒的に不利な君が折れずに頑張っている姿を見て、気持ちが変わった。君は弱虫だった俺を変えてくれたんだ」
そこまで一気に言うと、ヴィンセントがようやくこちらに顔を向けた。
まともに目が合ったせいで一瞬瞳を揺らしたものの、また視線を交えてくる。
「以上が、俺が君を好きな理由――」
最後まで聞くのもじれったく、私はヴィンセントの両頬に手を伸ばした。
両手で頬を挟み込み、引き寄せて唇を塞ぐ。
ヴィンセントの唇は思っていたよりもやわらかく、あたたかかった。
顔を話すと、なぜか抗議の眼差しを向けられた。
「……神前で誓う前だぞ」
「さすがに堅すぎない?」
自分でしておいて顔が熱くなるのを感じながら、私はむっとした顔を作る。いまどきキスくらい結婚式前にしてもうるさく言われないのに堅物すぎる。シンシアはよくこんな男の不義なんて疑ったものだ。
「どうして在学中に言ってくれなかったのよ」
「……当時はアビゲイルと婚約していたからな。政略的なものとはいえ婚約者がいる身で告白などできるか。それに俺は君への恋心は諦めるつもりだったんだ」
「それでいつも私に厳しかったの?」
「いや、そういうわけでは……待て、襟首を掴むな」
ヴィンセントが両手を軽く挙げて降参の意思表示をする。
この押しの弱さ、本当に疲れているのかもしれない。
「学院長から、女性の身で騎士課程に進んだ君に目をかけてやるようにと頼まれていたんだ。と同時に、特別視していることが周囲に気づかれるわけにもいかない。だから他の生徒たちよりもあえて厳しく接するように心がけていたんだ」
「そうだったの」
考えてみたら男性だらけの騎士課程に女が一人紛れ込んだのだ。学院側も伯爵令嬢にもしものことはあってはいけないわけだから、お目付役をつけておこうと考えたのだろう。
「あなた、昔から貧乏くじばかり引かされているのね」
「……言うな」
ヴィンセントが不機嫌そうに吐き捨てる。拗ねた子供みたいで可愛くて、私はつい笑ってしまう。
「でももう大丈夫よ。これからはいいことしか起こらないから」
「なぜそう言える」
「だって私があなたの奥様になるんだもの。どんなトラブルも私たち二人なら乗り越えられるし、いつか笑って話せるようになれるわ」
「……トラブルが起きる前提で話をするな」
ヴィンセントが顔をしかめ、唇を引き結ぶ。
私はまた笑いながら彼の頬に手を伸ばす。と、その上からヴィンセントが手を重ねてきた。えっと思った隙に腰をぐいと引き寄せられ、唇を重ねられる。
「二度も主導権を渡すつもりはない」
「それはこちらのセリフよ」
明日、私はこの人の妻になり、この人は私の夫となる。
果たして神の前ではどちらから口づけることになるのだろう。
主導権を握るためにも明日はゾーイたちにとびきりきれいにしてもらおう。彼が私の美しさに見惚れて隙を作るように。
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