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16.それがあなたの選んだ道(side:セセリア)

 正妻でも愛人でも、立派にこなしてみせるから――


 アビゲイルの言葉を聞いた瞬間、私の頭の中で何かがブチッと切れる音がした。

 その直後、腹の底から煮えたぎるマグマのような怒りが沸き上がってきて、いままで感じたことのないほどの強い衝動に駆られる。


「はああ!?」

 気がついたときにはそんな声を発して、私は前へ踏み出していた。


「正妻でも愛人でもって何!? ヴィンスの正妻になるのは私なんですけれど!」

「落ち着いてセセリア! 気持ちはわかるけれど!」

「団長代行、早まるな。相手は腐っても隣国王妃だ。殴れば大問題になる」


 左右の腕をがっしりと拘束されて踏みとどまらせられる。左がセセリア、右がエルフのようだった。

 私は二人を引きずってでもアビゲイルに接近しようと試みる。


「だいたいなんなのよ、その謎の上から目線は! あなたが正妻だか愛人だかになったらヴィンスが喜ぶとでも思っているの!? 何様のつもりなのよ!」

「何様って、わたくしは隣国の王妃でレムナド王家の血筋よ? ありがたがって当然でしょう」


 何を言っているのかしらこの娘、とでも言いたげな眼差しで一瞥してくる。あくびでも噛み殺しそうな態度がいちいち癇にさわる。


「確かに、婚約したばかりの頃はわたくしに侯爵夫人は役不足だと思ったわ。でも歳を経て、ヴィンスは素晴らしい紳士になった。数々の武勲と功績を立てて《剣聖》にもなった。夫として、どこへ出しても恥ずかしくはないわ」

「なっ……」

「だいたい、あなたこそなんなの? あなたみたいな野蛮な令嬢にハズウェル侯爵夫人がつとまると思って? なのに『ヴィンスの正妻になるのは私』? 笑ってしまうわ。ここは身の程をわきまえて身を引くべきでは――」

「――いいかげんにしろ!」


 空気が震えるような怒声が、アビゲイルの言葉をかき消した。

 声を張りあげたのはヴィンセントだ。言葉を呑み込むアビゲイルを、ヴィンセントが怒りをたたえた眼差しで睨みつける。こめかみには青筋が浮かんでいた。


「侯爵夫人は役不足? どこに出しても恥ずかしくない? それは俺とハズウェル侯爵家への侮辱と受け取らせてもらう」

「やだわヴィンス、わたくしはそんなつもりで言ったわけでは」

「俺をヴィンスと呼ぶなと何度言えばわかる!」


 ヒッ、と初めてアビゲイルが元婚約者に対して怯えの色を見せる。しかしヴィンセントは構わなかった。


「さっき、俺のためになることならなんでもすると言っていたな? ならば即刻ハズウェル領から出ていけ。無論、隣の子爵領ではなく国境の向こう側へだ!」

「ま、待ってヴィン……セント。そんなに怒らないで。表現を間違えただけなんだから。それにお父様からはわたくしが出産を終えてから帰すように命じられているのでしょう?」

「ああそうだ。だが、その命令に従うのならばもう一つの密命の方も遂行することになるが、構わないか?」

「もう一つの密命?」


 アビゲイルも知らされていない命令があったようだ。

 ヴィンセントはそこまで言ったところで少し冷静さを取り戻したようだった。はー、と長い息をついてから、声の調子を落として語った。


「生まれた赤子は誰にも気づかれぬように処分しろ――陛下からはそう命じられている」


 アビゲイルだけでなく、その場にいたほぼ全員が絶句した。

 私もしばらく言葉が見つからなかった。


「じ、実行するつもりだったの?」

「……いや。殺したことにしてどこかへ逃がす方法を探っていた。これから結婚し家庭を持とうとしている人間がどの面下げて赤子を殺めるのかと、そう思っていたのだが……もうどうでもいい。アビゲイルは明日にも隣国へ帰す」


 心底疲れ切った声音から、彼が無慈悲な密命に対してどれだけ悩み苦しんでいたかがうかがえた。


「陛下からお叱りを受けるんじゃない?」

「構うものか。姫様が俺と密通していたという嘘を吹聴して手に負えないのでしかたなく追い出したと報告する。もう一つの密命の方も、そのせいで遂行できなかったとな」

「そんな! お願いよヴィン……セント。怒らせたなら悪かったわ。謝るから、そんな冷たいことを言わないでちょうだい。後悔しているのよ、あなたを選ばなかったこと……」


 アビゲイルはこの期に及んでまだ瞳をうるうるさせる。あざとい演技が通じると思っているのだとしたらおめでたい人だ。

 ヴィンセントが何度目かのため息をついた。


「母親になるというのに、君は子供のままだな」


 えっ、とアビゲイルが目を見開く。


「君は自分の意志で道を選んだ。王妃になるという道を。王妃の責務は引き返せるほど簡単な道ではないんだ。君にできることは一度選んだ道を這ってでも転がってでも進むことだけ。そのことに、自力で気づける女性になってほしかった」


 ヴィンセントが落ち着いた声音で語る。

 怒りをぶつけるでもなく教え諭すような物言いだ。眼差しは憐憫こそ交じっているものの、明確に元婚約者を突き放している。

 アビゲイルはようやくおのれの稚拙さに気づいたらしい。ゆっくりと膝からくずおれると、両手で顔を覆ってしくしくと泣き出した。

 侍女たちが四方から元王女を抱きしめるが、彼女たちは主の非を認めているらしく、ただなぐさめるだけでヴィンセントを責めはしなかった。




 アビゲイルはあれだけ教え諭されておきながら、泣き止んだとたんに抵抗した。

 廃屋敷の騎士たちに私たちを捕らえるよう命じたのだ。往生際の悪い女性だ。

 私たちはあっという間に駆けつけた騎士たちに退路を塞がれた。アビゲイルを人質に取って下がらせることもできたが、私たちはそうしなかった。

 こちらにはヴィンセントがいるし、私もシンシアも腕におぼえがある。エルフの男も魔法の使い手だった。

 二十名ほどいた騎士たちは前列にいた者から順に倒れていき、最後まで立っていた男は剣を捨てて降参の意思表示をした。

 ヴィンセントに呼ばれて駆けつけたハズウェル騎士団の騎士にアビゲイルたちの処置を任せ、私たちは廃屋敷を後にした。


 これは後日判明することになる話だが、アビゲイルは翌日ハズウェル騎士団の騎士らによって本当にエルフの集落まで戻される。

 そうしてまた隠し通路から隣国へ戻される寸前、精神的ショックのせいか産気づいたそうだ。騎士たちに抱えられてエルフの集落へ引き返したアビゲイルは、そこで無事に男児を出産するのだが、話はそれだけではすまなかった。

 エルフの集落で生まれた赤子はエルフとして育てるというならわしがあるのだ。

 出産を終えたとたんに母性に目覚めたアビゲイルは泣いて抵抗したそうだが、騎士たちは異文化のならわしを尊重し、赤子をエルフに預ける判断を下した。

 父親が誰だかしれない子供は、はじまったばかりの人生をエルフの仲間として生きていくことになる。

 それがいいことか悪いことか私にはわからないけれど、エルフたちは仲間意識がとても強い種族だ。隣国に帰されるより、そしておそらくハズウェル領で庶民として暮らすよりも安全だろう。アビゲイルもこれで反省し、王妃としての道を真面目に歩んでくれることを願うばかりだ。


 さて、私たちが廃屋敷の騎士たちの馬を奪って帰路についてからのことだ。

 辺りが朝焼けの色に染まる中をヴィンセント、私、シンシア、ブラッドさん、エルフの男の順に列を作ってポクポクと進んでいるとき、そういえばと思い出した。


「シンシア。あなた、私の幸せのためにヴィンスの不義を暴こうとしていたと言っていたわよね? どうしてそれを私に直接教えてくれなかったの?」


 なぜシンシアが私に隠れて調査をしていたのか、それがどうしても腑に落ちなかったのだ。

 身内が隠し子のいる男に嫁ごうとしていると思ったのなら、事情を説明して全力で制止するのが家族というものだろう。

 シンシアが困った顔で苦笑する。


「きちんと調べて確定するまでは不安にさせたくなかったのよ。あなた、ヴィンセント卿との結婚を楽しみにしているようだったし」

「は!? た、楽しみになんてしてなかったけれど!?」


 不意打ちを食らったかのように鼓動が跳ねたせいで声が裏返り、思わずどもってしまった。いったい何を言い出すのだろう。


「ど、どうしてそう思うのよ」

「だってセセリア、あなたって昔から手紙でも長期休暇で帰ってきたときでもヴィンセント卿の話ばかりしていたじゃない。うっとうしいとか面倒くさいとか小姑みたいとか、口では悪いことばかり言っていたけれど、妙に楽しそうと言うか嬉しそうだったし、ああ結構好きなのねって……」


 シンシアが小首を傾げて、くすくす笑いながら語る。

 確かに手紙でヴィンセントの悪口を書いたり、帰宅したときにヴィンセントの愚痴を語ったりしたことはある。けれど、全然楽しそうにも嬉しそうにも振る舞ったおぼえがない。

 私の拍動はさらに跳ね上がり、息苦しさをおぼえるほどになった。


「ち、ちがっ……馬鹿なこと言わないで! 全然そういうんじゃ……違うの!」


 動揺のあまり、違う以外の語彙が消失したみたいになってしまう。

 それからこの場にヴィンセントもいたことを思い出し、慌てて前方の彼へと視線を戻した。


「い、いまの話……」


 聞こえていたか訊ねようとしたところで、言葉が引っ込んだ。

 ヴィンセントがこちらを振り向きながら、予想外に穏やかな顔で微笑んでいたからだ。眼差しはなつかしい情景を見るようにすがめられ、わずかに緩んだ唇はどことなく切なさと苦いものをにじませている。

 思わず、胸の奥がきゅうっと締まるように痛んだ。


「そうか。俺は嫌われてなかったんだな」

「う……」


 私は猛烈な恥ずかしさをおぼえてうつむく。

 顔が熱い。鏡を見るまでもなく真っ赤になっていることだろう。どうか、朝焼けが顔色を上手く隠してくれますように。

次回がラストになります。

どうか最後までおつき合いくださいませ。


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