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01.私を嫌いな人との婚約(1)(side:セセリア)

 その戯れ言を聞いたのは、湯浴みを終えて長椅子でくつろいでいたときのことだった。

 寝支度中のレディの部屋を訪ねてくるという王国紳士らしからぬ不作法をかましたお父様は、長椅子でメイドたちに髪のお手入れをしてもらっていた私に向かってこうのたまったのだ。


「セセリア、おまえの結婚相手が決まったぞ。なんとハズウェル侯爵家のヴィンセント卿だ! なんという良縁! この父を褒め称えてくれても――」

「は? 寝言は寝て言ってくださいませんか、お父様」


 私は最後まで聞かずに言い返す。

 ひさしぶりに香草花を浮かべた湯船にゆったりと浸かり、旅の疲れを癒やしたばかりだ。傷ついた金髪には丁寧に椿油を練り込んでもらい、手足の筋肉ももみほぐしてもらってとても良い気分になっていたのに、お父様のせいで台無しだ。

 そのお父様はというと、口をあんぐりと開けてしばし絶句した後、ハッと我に返って慌てて抗議してきた。


「ね、寝言ではないっ! というか、なんだその口の利き方は! 仮にもアーチボルト伯爵令嬢だというのに、以前にも増して口が悪くなっているではないか!」

「その伯爵令嬢をご自身の代行として、魔物の討伐遠征に行かせたのはどこのどなたですか?」

「うっ、それは……」

「お父様が腰痛がー、五十肩がー、と泣き言をおっしゃって出征拒否したせいで、娘の私が団長代行として騎士団を率いなければならなかったんですけれど。だいたい、二年も騎士たちと共同生活を送っていたら口の悪さもうつるってものでしょう」


 はあ、とため息交じりに告げつつ足元に転がっていた甲冑を拾い上げ、おもむろにお父様へ向かって放り投げる。

 血と泥で薄汚れたそれをお父様はなんとか受け止めてひっくり返った。衝撃に五十肩が耐えられなかったのかもしれない。だからこそ私が騎士団を率いなければならなくなったのだけれど。


 我らがアーチボルト伯爵領にはレムナド王国の貴族領の例に漏れず、領地のほとんどが森に覆われている。

 中でもとりわけ悪質なのが通称《魔の森》と呼ばれる広大な森だ。

 近年鉱山で起きた落盤事故の影響で、この世に未練を残した鉱山夫たちの魂が魔物たちの格好の餌になったのだ。

 それで森の魔物たちが増殖し巨大な巣を作り、近隣の町村にも被害が出るようになってしまった。すぐに伯爵領騎士団の出動を要請され、はじめのうちは父が自ら指揮を執って出兵していた。


 しかしお父様はもういい御歳。何度目かの出兵でぎっくり腰になった上に、五十肩まで発症。アーチボルト領の騎士団長は代々領主が担ってきたとはいえ、とても魔物と戦える状態ではなくなってしまった。

 加えて、くだんの森にはエルフの村があった。

 エルフは気難しい種族で人間に対して排他的な傾向がある。

 ただこのあたりで暮らすエルフは大昔にアーチボルト家と盟約を結んでおり、アーチボルト家直系の者に対しては敬意を払ってくれる。そのため、森に立ち入る際は絶対にアーチボルト家直系の者が必要だった。

 それで娘代表、婿を取って伯爵家を継ぐことになるであろう長女として私が騎士団を率い、魔物討伐のつとめを果たしてきたというわけだ。

 だというのに、ねぎらいの言葉一つもないどころか、開口一番にあのヴィンセントと結婚しろと?


 ヴィンセント・ハズウェルは私の貴族学院時代の同期生だ。短く刈り込んだ焦茶色の髪と氷のように凍てついた眼差しを思い出し、私はうーんとうなる。

 うちのお父様とヴィンセントの父、ハズウェル侯爵は何十年も前からの親友と聞いているけれど、それはあくまで親同士の話だ。子同士は違う。


「お父様は私とヴィンスが犬猿の仲だったことをご存じないようですね」


 より正確に言うと、私がヴィンセントから一方的に嫌われていたのだ。

 風紀委員だった彼はもともと他の学院生たちにも厳しくて煙たがられていたが、私に対してはとりわけ厳格だった。規律に反していなくても、貴族の作法には反すること、反しそうなことを一切許さなかった。

 たとえば池に落ちてずぶ濡れになった状態で廊下を歩いていたとき。

 ヴィンセントは私をめざとく呼び止め、壁に背を向けて立たせて叱責した。


『なんて格好で歩いている! 学院生としての自覚はないのか!』


 私がなぜ池に落ちるようなことになったのか訊きもせずに、一方的に私の非を咎めたのだ。まあ、令嬢でありながら騎士課程を選択したせいで他の学院生から嫌がらせを受けていたことは周知の事実だったから、訊くまでもなかったのだろう。

 それを差し引いても許せないのは、無様な姿が来客の目に触れてはいけないから使用人用通路を通れと命じてきたことだ。

 あの屈辱はいまだに忘れられない。

 わかっている。あちこち濡らしながら歩き回れば廊下は滑るし、景観的にもよろしくない。ずぶ濡れで歩き回る姿が来客の目に止まれば、あらぬ噂が広まるかもしれない。風紀委員だって好きでやっていることではないのだし、彼の立場も理解しているつもりだ。

 それにしたって、他に言い方があったのではないかしら。とにかく、私にとって彼は日ごろから遭遇しないようつとめなければならないくらいの天敵だったのだ。


「そうなのか? 侯爵はおまえを愛息にふさわしい令嬢だと語っていたが」


 はて? と言いたげに首をかしげながら、お父様は甲冑を床に置いて身を起こす。

 お父様の話によると侯爵はとても天然な御方らしいので、ヴィンセントや彼の従者の話を都合良く曲解したのかもしれない。お父様はそれを真に受けたのだろう。どう考えたって、私のようなじゃじゃ馬が侯爵家にふさわしいわけがない。


「だいたいヴィンセントは長男じゃないですか。彼がうちに婿入りするとでも?」

「まさか! 国で十指に入る《剣聖》のヴィンセント卿だぞ? おまえがハズウェル侯爵家に嫁ぐに決まっているだろう」

「《剣聖》……って、いつのまに!?」


 ヴィンセントが貴族学院卒業後に近衛騎士隊へ仮入隊し、二年の義務期間を終えた後も王宮に残って騎士職についたことは風の噂で聞いていた。ハズウェル侯爵家も魔物の出没する森や山、湖などをいくつも有しているから、実戦で兵法や戦術などを学んだ方がいいと考えたのだろう。

 しかし、私が魔物遠征で四苦八苦している間に、齢二十二歳で《剣聖》の称号を授与されるほど出世していたとは驚きだ。普通、高位貴族の若い令息が叙勲されるような戦地に送り込まれることはない。みずから志願してより厳しい騎士隊へ異動し、実戦経験を積んだ結果だろう。生真面目な彼らしいとも言える。


「なんだ、誰がうちの家督を継ぐのかを心配しているのか? 安心しろ、婿はシンシアに取らせる」

「シンシアに? 相手はもう決まっているんですか?」

「ああ。シンシアも了承済みだ。だからおまえは安心して侯爵家に嫁ぐがいい。それで、輿入れの日取りなのだが――」

「ま、待ってお父様! 日取りって……ヴィンスとの結婚は決定事項なんですか!?」

「だから、最初からそう言っているだろうが。既に陛下にも結婚報告の文を送ってある。いまさら撤回などできると思うでない」


 こんなときばかり用意周到だ。

 貴族令嬢の結婚は親が決めるもの、というのが常識とはいえ、万が一にも私が抵抗したときのために事後報告にしたのだろう。お父様ったら、私という人間をよく理解していらっしゃる。


「……彼との結婚については承知しました。ですが、輿入れまで少し多めに時間をいただけませんか? 私はこのとおり昨日まで帯剣して馬に跨がっていたもので、貴族令嬢の作法というモノを思い出す必要があります」

「それはまあ確かに、淑女教育の復習は必要だろう。いくら先方がじゃじゃ馬だと理解しているとはいえ、ものには限度というものがあるからな。わはは!」


 女心など毛先ほども理解しない笑い声に、私のこめかみがピクリと痙攣する。


「嫌ですわお父様。あんまりおかしなことをおっしゃると、お口を刺繍糸で縫い付けて差し上げますわよ――メアリ、裁縫箱を」

「こちらにございます、お嬢様」

「物騒な冗談はやめい!!」


 真顔で裁縫箱を取り出すメイドを認めて、お父様は珍しく俊敏な動きで飛びすさって身構えた。

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