第9話 発明の始まりは、ひとつの揚げ芋
ひだまり食堂での手伝いは、村に来て間もない頃、ベルダに声をかけられたのがきっかけだった。
「住むところはなんとかなったんですけど、生活費のあてがなくて……」と話したとき、「それなら、昼の仕込みだけでも手伝ってみる?」とあっさり言ってくれたのだ。
リアナにとって、それはとてもありがたい申し出だった。
食事がとれることも嬉しかったし、村の人たちと少しずつ関わっていけるのも、悪くないと思えた。
そんなひだまり食堂の昼下がりは、ひと息つくにはちょうどいい静けさだった。
お昼の混雑が終わり、店内には湯気の残り香と、洗い立ての皿の乾いた音だけが漂っている。
「リアナ、ありがとね。あとは拭くだけだから、ちょっと休んでていいよ」
キッチンから顔を出したベルダが、腕まくりしたまま笑った。
リアナは手に持っていた布巾を止め、小さく首を傾げた。
「お言葉に甘えて……ちょっとだけ」
客席の端に腰かけ、ふぅ、とひとつ息をつく。
今日もよく働いた。洗い物は山のようだったし、配膳のときは、ほかのお客さんとぶつかりそうになって、汁物がこぼれる寸前だった。その瞬間は心臓が跳ねるほど焦ったし、何度も謝らなきゃいけないかもとヒヤリとした。でも、なんとか持ちこたえたことに、ほっとしている自分がいた。
けれど、こうして誰かの役に立てることは、くすぐったいような喜びがあって、悪くない。
さっき配膳を手伝っていたとき、厨房の籠にゴロゴロと白芋が積まれているのが目に入った。
それを見た瞬間、胸の奥で眠っていた何かがふっと動いた気がした。あの香ばしさ、カリッとした音、懐かしい記憶がよみがえってきて——思わず、言葉が口をついて出た。
「……あの、揚げ芋って、ありませんか?」
「揚げ芋?」
ベルダが首をかしげる。
リアナは少し照れたように笑って、手ぶりを交えながら説明を始めた。
「この白芋を細く切って、油でカリッと揚げた料理があるんです。外はカリッとしてて、中はほくほくで……塩をふるだけでも、すごくおいしくて……。前に、一度だけ、食べたことがあるんです」
話しているうちに、自然と口調が熱っぽくなっていたことに気づいて、リアナは少しだけ顔を伏せた。
——それでも、食べたいという気持ちだけは、本物だった。
ベルダは目をしばたたかせ、それから小さく笑った。
「あんたって、時々おもしろそうなこと思いつくねぇ……その揚げ芋、ちょっと食べてみたいかも」
そう言ってから、ひとつため息をついた。
「でもうちは、揚げ物はやらないのよ。あのかまど、薪の火じゃ火力が安定しなくてねぇ。ちょっと油断すると強すぎたり、弱すぎたり……温度が下がればべちゃっとするし、上がれば焦げるし。油もピチピチ跳ねて手間はかかるしで、もうね、めんどくさくてやってらんないのよ」
「……温度が一定なら、きれいに揚がるんですよね」
ぽつりと漏れたリアナの呟きに、ベルダは「え?」と聞き返しかけたが——
それよりも早く、リアナの目の奥に浮かんだ微かな光を見つけて、思わず眉を上げた。何かをひらめいたような、その目の奥がほんのりと熱を帯びて見えたのだ。ベルダは一瞬、何を考えているのか尋ねたくなったが、リアナの表情が真剣そのもので、声をかけそびれてしまった。
——たぶん、なにか思いついた顔だった。
その夜。
ひだまり食堂から工房に戻ったリアナは、小さくつぶやいた。
「……やっぱり、あの感じ、懐かしいな」
カリッとした衣に、ほくほくの芋。
じゅわっと広がる香ばしい風味と、ほんの少しの塩気。
子どもの頃から何度も食べてきた、あの“揚げ芋”が、無性に恋しくなった。
「作ってみようかな……食べたいし、ベルダさんも、火加減で困ってたし」
工房の棚を開けて、ひとつひとつ素材を引っ張り出していく。見よう見まねで始めたばかりの“道具作り”。まだ道具の名前や使い方も手探りだが、いくつかの部品は触っているうちに自然と手が動くようになっていた。
火属性の魔石、導線、魔力制御用の調整輪。
それから、熱で反応する金属片も。
——けれど、それをどう扱えばいいのか、本当はよくわかっていなかった。
リアナが“魔力”という言葉を意識したのは、つい最近のことだ。
工房の奥に、ひときわ埃をかぶった記録帳があった。
「魔石への初期魔力注入実験」——そんな言葉が、丁寧な字で書かれていた。
そこには、魔石に力を流すと、石が微かに光ることがある、と記されていた。
リアナは試しに、同じようにしてみた。
指先を魔石に触れ、息を整えて、静かに“何か”を送り込むような気持ちで。
すると、石の奥が——ほんの少し、淡く光った。
最初は偶然かと思った。
けれど何度か試すうちに、光るタイミングが自分の意識や呼吸と連動していることに気づいた。力を送ろうと意識したときだけ反応があり、気を抜くと何の変化も起こらない。その小さな法則性が、リアナの中にじわじわと確信を育てていった。
(……わたしにも、“魔力”があるんだ)
ほんのわずか。
だけど確かに、存在していた。
それは誰かに誇れるようなものではないかもしれない。
けれど、ものを作るための“糸口”としては、十分だった。
思いついた瞬間から、頭の中にスケッチが広がっていく。
でも——すぐに作れるとは思っていない。
「まずは……仕組みを思い出すところから、かな」
リアナは椅子に腰かけ、手元のノートを開いた。
魔石の性質、熱の伝わり方、調整輪の可動域……
一つひとつ、順を追って書き出していく。
指先にこもった熱、ほんのわずかに震える魔力の流れ。
それらが“どう作用しているか”を、言葉と線で可視化していくような作業だった。
工房の棚には、以前の持ち主が遺していった図面やメモがぎっしりと並んでいた。
ページの隅に書き足された走り書き、斜めに引かれた赤い線、使い込まれて擦り切れた部品の断面。
(このメモ……『加熱反応 遅延 → 調整輪の位置 再検討』って書いてある)
(調整輪の角度で、魔力の流れを変えてるってこと?)
リアナは部品をそっと持ち上げて、光にかざした。
軸の一部が不自然にすり減っている。
多分ここを何度も調整したんだろう。何度も、失敗しながら——
図面の片隅、丸で囲んだように描かれた模様。
それは見たこともない魔法陣だったけれど、リアナにはどこか見覚えがあった。
(……電気回路の図面に、似てる)
前の世界で見た、白地に黒インクで描かれた回路図。
通電ポイント、抵抗、電流の方向、電熱の発生源。
魔法陣の細い線も、調整輪の配置も、それに近い法則で並んでいた。
リアナは、図面の上をなぞるようにして、そっとつぶやいた。
「ここが熱源で、こっちが制御点。……この分岐、魔力の流れを逃がしてるんだ」
誰かの試行錯誤が残した“かたち”が、目の前で理屈に変わっていく。
それを“魔法”とは思わなかった。
リアナにとっては、まるで“回路の修理”に近かった。
(魔導具って、“呪文”じゃなくて、“仕組み”なんだ)
どこに魔力を通して、どこで止めるか。
どこを調整すれば、反応がどう変わるか。
小さな変化の積み重ねが、やがて大きな動きを生む。
リアナは、ひと呼吸置いてから、そっと目を細めた。
魔法のように見えても、その中にはちゃんと「理屈」がある。
それを理解できたときの感覚は、まるで数字のパズルがぴたりと解けたような——
「……おもしろい」
ぽつりと漏らした言葉に、自分で少し驚いた。
だけどそれは、まっすぐな実感だった。