第8話 静かな書庫の片隅で
教室を借りた一角で、リアナは机に広げた資料と睨めっこしていた。
数日前に出会った“あの石”——光る魔石のようで魔石ではない、不思議な反応を見せるそれについて、何か分かることがないかと、フィロード学園にある記録を片っ端から読み込んでいる。
「……これ、似てるけど違う。やっぱり分類が特殊なのかな」
その小さな呟きに、隣の席で書をめくっていた人物が静かに顔を上げた。
「何か、お困りですか?」
穏やかな声。けれども、その瞳は資料の山ではなく、まっすぐリアナの手元を見つめていた。
フィロード学園の教師・エリアス。童顔で、年齢不詳の外見とは裏腹に、彼の纏う空気は静謐でどこか張り詰めていた。小さな体を包む黒衣はきちんと整えられており、資料をめくる指先も静かで滑らか。その顔には常に穏やかな表情が浮かんでいるが、どこか“見透かすような”目の奥に冷静な観察眼が宿っている。
「あ……いえ。ただ、似たような記述はあるんですけど……決め手になる情報がなくて」
「なるほど。拝見してもよろしいでしょうか?」
リアナはうなずき、自分のノートをそっと差し出す。エリアスは受け取ったそれに一瞥をくれると、静かに唇を開いた。
「魔石としての記録からは外れていますね。いくつか類似例はありますが、形状や反応の仕方に決定的な差異があります。……ところで、“生きているように感じる”とは、具体的にどういった意味でしょうか?」
「うまく言えないんですけど……なんというか、こっちの考えに反応して、動いたように感じたんです。視線を向けると、すっと光ったりして」
エリアスの視線が、ぴたりとリアナに定まる。
鋭さすら感じるまなざし。けれども口調は変わらない。
「……その反応が一度きりではなく、繰り返されているとすれば、非常に興味深い現象です」
彼は一瞬、考えるように視線を落とし、そして立ち上がった。
「お待ちいただけますか。適切な資料がございます。——少々、古いものですが」
その言葉通り、エリアスは棚の奥から一冊の色褪せた本を持ってきた。
表紙には、かすれた文字で『応用魔石反応記録——補遺』とある。
「こちらに記載されている内容に、今回の事例と一致しそうな記述があります。“心を持つ魔石”——そう称されていた記録が一件だけ存在しています」
「“心を持つ”……?」
「比喩ではなく、ある種の知覚や意思を持つかのように、持ち主の精神に干渉したという報告です。もっとも、その真偽は今も議論の余地があるとされていますが……」
リアナは、古文書のページをそっとめくった。
そこには、断片的ではあるが、確かに“反応する石”についての記録が残されていた。
――『接触時、使用者の精神波に微細な変化が見られる。視覚的・聴覚的刺激を受ける前に反応した事例あり』
――『分類困難。従来の魔石には見られない、共振のような現象』
――『……まるで、心を持っているかのように』
「……これ、もしかして」
ページの端に書かれた、細い文字の余白。そこには、手書きでこう記されていた。
『“呼びかけ”に応じた、という報告が一件。再現性は不明』
リアナは思わず息を呑んだ。まるで、自分の体験がそこに書かれているかのようで、胸の奥がぞわりと震えた。
あの時、自分の心の中でほんの少しだけ——問いかけるように願った。それに応えるように、石が淡く光ったのだ。
それは偶然なんかじゃなかったのかもしれない。
「リアナさん」
ふいに、エリアスが穏やかな声で呼びかけた。
「その記述は、資料の中でも特に古いものです。信憑性には疑問が残りますが……」
そこで一拍置き、視線をまっすぐに向ける。
「ですが、もしそれが事実だとすれば——“石”に関わる過去の研究や技術が、今なおどこかに眠っている可能性があります。くれぐれも、軽はずみな取り扱いはなさらぬよう」
「……はい。ありがとうございます。ちゃんと、気をつけます」
そう答えながら、リアナの心には確かに灯がともっていた。
この石には、まだ何かがある。その確信は、これまでのどんな資料よりも鮮やかに、彼女の胸に刻まれていた。
そしてそれを知ることができれば、きっと——まだ見ぬ新しい世界の景色が、自分の前にひらけていく気がした。