第7話 静かな書庫での出会い
工房の中ではもう調べられそうな資料は見つからなかった。
けれど、この石のことをそのまま放っておくのも落ち着かない。
(何か、調べられる場所が村の中にあるかもしれない)
調べ物をするなら、本や記録があるような場所——そう考えたリアナは、腰のポーチを整え、扉を開けた。
……開けたのはいいけれど。
(えっと、どっち?)
家々の屋根が連なる村の小道に出たものの、目的の場所がどこにあるのかは、まったく分からない。
昨日通った道は覚えているつもりだったが、いざとなると、すべての建物が似たように見えてくる。
(あれ? この角……さっきも曲がらなかったっけ?)
気づけば、ぐるっと回って元の道に戻ってきていた。
リアナはこめかみに手を当て、ひとつため息をつく。
「……ここが異世界だってこと、改めて実感するよね……」
と、ぼやいていたところで、荷車を引いていたおじさんに声をかけてみた。
「すみません、この村に……本がたくさんある場所を探していて……記録が残っているような場所、ってありますか?」
おじさんは一瞬「本がたくさんある場所?」と首をかしげたあと、「ああ、学園の書庫のことか!」と元気に教えてくれた。
「子どもたちが通ってる場所だよ。大人も出入りできるから、調べもんがあるなら、そこが一番だな!」
「ありがとうございます!」
教えられた方向を向いたものの、そこはまた見覚えのない通りだった。
(……なんとなく、こっちって言ってた気がする)
半信半疑で歩きながら、ようやくそれらしい建物を見つけたときには、リアナの足取りはすっかりゆるくなっていた。
(よかった……たどり着けた……)
小さくガッツポーズをしながら、リアナは木の扉の前に立った。
村の中心にほど近い場所に建つ、石造りの落ち着いた建物。
それが、フィロード学園だった。
高い天井と古びた木の扉。その傍らには、一枚の小さな看板が掲げられている。
《フィロード学園 書庫 ※村の方はどなたでもご利用いただけます》
(……ここなら、何か手がかりがあるかも)
リアナは少し緊張しながらも、扉に手をかける。
きい、と控えめな音を立てて開かれた室内には、静かな空気と紙の香りが漂っていた。
本棚が壁沿いにずらりと並び、中央には長机といくつかの椅子。
まるで時間がゆるやかに流れているような空間の奥——そこに、一人の人物がいた。
中性的な顔立ちの、小柄な青年。
年の頃は十代後半に見えるが、その身のこなしには妙な落ち着きがある。
棚の前で本を手にしていた彼は、リアナの気配に気づき、ゆったりと振り返った。
「こんにちは。初めてお見かけしますね。何かお困りでしょうか?」
穏やかで落ち着いた声だった。音のひとつひとつが丁寧で、まるで誰にでも同じように優しく話しているような口調。
リアナが戸惑っていると、彼はにこりと小さく微笑んだ。
「……もしかして、最近こちらに来られた方ですね? 風の感じとでも言いましょうか。まだこの村の空気に馴染んでいないように思えました」
リアナは、思わず息を飲んだ。
(なんで……そんなことまでわかるの?)
彼の声はあくまで穏やかだったが、どこか見透かされているような、不思議な感覚がした。
「それと、失礼ながら——その腰のポーチ。何か珍しいものをお持ちでは? ほんの少しだけ、気配が動いていたように見えました。魔石、でしょうか?」
あまりにも自然に、けれど核心を突くようにそう言われて、リアナはとっさにポーチの上に手を置いた。
(……見えてた? いや、“気配”って……?)
それがこの世界では普通のことなのかはわからない。
でも、目の前の青年——この人なら。なぜか、そう思えた。
「……はい。あの、実は……これなんですけど」
リアナはそっとポーチの口を開き、包み布にくるまれた石を取り出す。
青と紫が混ざり合った、不思議な光沢を持つ石。
彼は両手で丁寧にそれを受け取った。
その所作は、何か大切な儀式でも始めるかのように静かで慎重だった。
「……これは、やはり」
彼は小さく呟き、光に透かしたり耳に近づけたりしながら、ゆっくりと観察を始めた。
長い睫毛の奥の瞳が、真剣な光を帯びている。
「色の揺らぎ。内側の脈動。魔力の粒子が、まだ完全に落ち着いていませんね……」
「それに、これは……既存の分類には、ほとんど当てはまらない性質を持っています」
少し考えるように沈黙したあと、リアナへと視線を戻す。
「もしかすると、これは“未定義”の魔石、あるいは——加工された形跡があるようにも見えます。何者かの手が入った痕跡です」
「……やっぱり、普通の石じゃないんですね」
リアナの声に、彼は柔らかく微笑む。
「ええ。珍しいものをお持ちですね。……とても興味深い」
しばらく沈黙が流れたあと、リアナは石を見つめたまま、小さく呟いた。
「これ……もしかして、誰かが意図して、あの工房に残していったんじゃないかって。そんな気がして……」
彼は一瞬だけ表情を曇らせ、視線を石から外した。
「……その可能性は、ないとは言い切れません」
「ですが、それを判断するには、もう少し手がかりが必要ですね」
声の調子は変わらない。けれど、どこか言葉を選んでいるような間があった。
リアナはそれを感じ取って、胸の奥に小さなひっかかりを覚える。
(……まるで、何かを知っているようで。けれど、わざと口にしていないような……)
けれど、問い返すことはできなかった。
知りたいという気持ちはある。でも、それ以上に、“今は聞いてはいけない気がした”。
彼はそっと石を包み直し、リアナに差し出す。
その仕草はいつも通り丁寧で、微笑みも柔らかかった。
「少し、資料を確認してみましょうか。似た記録が残っているかもしれません」
差し出された手を見ながら、リアナもゆっくりと頷いた。