第3話 はじめての朝ごはんと、優しい目
湯気の立つスープ皿を前に、リアナは少し緊張したようにスプーンを手に取った。
「……いただきます」
ぽつりと呟き、そっとスープをすくって、口に運ぶ。
――その瞬間、ふっと目が見開いた。
やわらかく煮込まれた根菜が、舌の上でほろりとほどけて、温かな出汁の風味がじんわりと広がる。
少しだけ香草の香りが鼻を抜けて、後味にほんのりとした苦味と甘みが残った。
それは、馴染みのある味とはまるで違った。
けれど――
(……なにこれ。知らない味なのに、すごく落ち着く……)
ひと口、またひと口。
口に運ぶたびに、体の奥まであたたかさが染み込んでいくようだった。
(この世界でも……ちゃんとごはんを食べられるんだ)
自然とスプーンを持つ手が、少しだけ震えていた。
それが緊張からなのか、安堵からなのか、自分でもわからなかった。
「そりゃよかった。冷えた身体には効くでしょ?」
向かいの席に腰かけたベルダさんが、腕を組んでにっこり笑う。
「しっかり寝てるの? 目の下に小さなクマできてるよ」
「あ……えへへ。ちょっと、いろいろとありまして……」
少し照れながらスプーンを口に運ぶ。
味だけじゃない、スープの温度、具材の柔らかさ、素朴な器の感触――
そのすべてが、“初めての異世界”でリアナをそっと包んでくれている気がした。
ふと視線を上げると、カウンターの奥や他の席の客たちが、ちらちらとこちらを見ているのが目に入った。
(……え、なに? 私、なんか変な格好してる?)
そっと自分の服に目をやる。昨日、小屋の棚に畳んであった服。
深いグレーのチュニックに、動きやすい黒のスパッツ。
目立つ色ではないけれど、布の質感や縫い目は、この村の服とは少し違う気がする。
(あ、でも、それだけじゃない……)
髪は肩あたりでまっすぐ切りそろえていて、さらりとした黒髪。
前髪は少し長めで、顔の片側にかかっている。
肌は色白で、目元は少し涼しげ。鼻筋がすっと通っていて、口元はきゅっとしている――らしい。たぶん。
けれど本人は、あまりそういうところに意識を向けていなかった。
(うわぁ……。注目されるの苦手なんだけどなぁ……)
「ほら、あの子。村の子じゃないね」
「きれいな顔してるし……ちょっと異国の姫様みたいだよな」
「おとなしいけど、品があるよ」
小さな声がちらほら聞こえてきて、リアナは思わずスプーンを落としそうになった。
「えっ、えっ……!? そ、そんな、きれいとか、全然……!」
慌てて否定しようとして、ベルダさんに目を向けると、彼女はにやりと口角を上げていた。
「そりゃ、目立つわよ。あんた、かわいいもん」
「い、いやいや、そんなことはっ……!」
「否定するあたりがまたかわいいねえ。素直に受けとっときなって」
冗談っぽいけれど、どこかあたたかくて、リアナの緊張が少し和らいだ。
スープをもう一口すすると、心まであたたまった気がした。
スプーンを置いて、小さく息をついたところで、ベルダさんが首をかしげた。
「そういえば、あんた。どこから来たの? この村じゃ見かけない顔だけど?」
「あっ……えっと、森の外れにある小屋に……」
「……小屋?」
ベルダさんの眉が少し上がる。
「もしかして、川沿いに建ってる木の? ちょっと傾いてて、煙突が歪んでるあれ?」
「た、たぶん、それです……はい」
「あんた、あそこに? 一人で?」
リアナはこくりとうなずいた。
「まあ……また誰か住むとは思わなかったねえ、あそこ」
スープ皿を拭きながら、ベルダさんはしみじみと呟いた。
「あの小屋、昔は魔道具師のじいさんが使ってたのよ。腕は確かだったけど、変わり者でね。道具もいっぱい残ってたって聞いたけど……まさか、また使う子が出るとは思わなかった」
「魔道具師……だったんですね、あの場所」
(だからポーチや道具袋が置いてあったのかな……)
「で、いつから住んでるの?」
「……昨日、からです……」
「ふうん。じゃあ、家族は?」
「い、いません……」
「仕事は? 紹介は? 親戚は?」
「……あ、あの、その、ええと……」
(やばい、なんかすごく聞かれてる……! でも、ほんとのことは言えないし……!)
リアナは目を泳がせながら、必死にスプーンでスープの底をかき混ぜる。
スープはもうほとんど残っていなかった。
「ふふっ。ごめんごめん、ちょっと聞きすぎたね」
ベルダさんが笑いながら肩をすくめる。
「うちで働いてみる? 料理手伝えるなら歓迎するよ?」
「え、えぇっ!?」
「冗談冗談。でも、困ったらいつでも声かけておいで」
「……はい、ありがとうございます……」
冗談交じりのあたたかい声に、リアナは胸がほんのり温かくなるのを感じた。
(この村の人たち、ほんとに……優しいな)
ベルダさんがふと視線を戻して、にこっと笑う。
「けど、よかったよ。あそこ、もったいないと思ってたからさ。まっすぐで、ちゃんとした子が住んでくれるなら安心だわ」
「えっ、わ、私が……まっすぐ……?」
「んー、スープ残さず食べる子は、だいたい大丈夫よ」
「そ、その判断基準、いいですね……」
ベルダさんがクスッと笑い、リアナもつられて少し笑った。