理想の伯爵夫妻
王家主催の舞踏会で周囲を無視して二人だけの世界に浸り続ける美貌の若き伯爵と令夫人。
そんな二人の心中はいかに。
「まあ、セルド伯爵夫妻よ」
「いつ観ても仲睦まじいわね」
王家主催の舞踏会。
王城の広間には多数の貴族が集い、噂話が飛び交う。
その中でも注目を集めるセルド伯爵とその令夫人はしっかりと腕を組んでお互いを見入ってきた。
周囲の様子が目に入らないほど熱烈な愛の世界がそこにあった。
「お姿を拝見出来るのも久しぶりね」
「仕方がないわ。セルド伯爵は第三騎士団長閣下だもの。地方の治安を維持するためになかなか王都に帰ってこられないって夫が話していたわ」
「まあ。ではセルド伯爵領はどなたが預かっていらっしゃるの?」
「そこは令夫人が治めていらっしゃるとか。なのでフラウレン様も滅多に王都にいらっしゃらなくて」
話題のセルド伯爵アーサーは三十代半ばの美丈夫。令夫人のフラウレンと結婚してまだ数年だが、遊撃騎士団の団長であるアーサーは一年中王国の各地を飛び回る毎日だ。
戦争こそないが、王都周辺はともかく地方に行けば盗賊団や不穏分子の暗躍が著しい。
アーサーは騎士団の陣頭指揮のために、自分の領地にもほとんど帰れない日々が続いていた。
「ご領地は大丈夫なの?」
「フラウレン様がしっかりと治めていらっしゃるわ。それどころか色々と改革を進められていて、年々増収の上に治安も改善しているとか」
「アーサー様もご安心ね」
セルド伯爵夫人のフラウレンはまだ二十代半ばのほっそりとした美女だ。
月夜に咲く睡蓮のような静かな美貌を夫に向けて微動だにしない。
アーサーもまた妻以外は目に入らない様子だ。
「しかし、奇跡のようだな」
誰かが言った。
紳士連中の評定が始まる。
「そうだな。セルド伯爵アーサーと言えば潤いを知らない、部下には恐怖を持って統制し、敵に対してはいっそ残虐なほどの苛烈な戦い方で有名な騎士だったのに」
「ずっと浮いた噂一つなく過ごしてきて、そのまま独身を貫くと思っていたんだが」
「突然、深窓の令嬢というよりは社交界にも出ていなかったサール子爵家の令嬢と電撃婚姻だもんな」
サール子爵令嬢フラウレンは、ほとんどその存在すら知られていなかったほどの深窓の令嬢だった。
サール子爵家もなぜかフラウレンを表に出そうとはせず、婚約の話すらなかった。
「アーサーがいきなりサール子爵家を訪問して婚姻を申し込んだらしいぞ」
「フラウレン嬢もその場で了承したとか」
「まさに運命の恋だな」
「しかし、アーサーはともかくフラウレン嬢は何の実績もなかったんだろう? いきなり伯爵家の奥方になってよくやっていけてるな」
「それが、どうもサール子爵家が最近発展しているのはフラウレン嬢の内助の功だという話でな。アーサーはそれを聞きつけたのかも」
「なるほど、自分は表に出ずに采配するタイプか」
「フラウレン嬢もよく承諾したな。アーサーといえば鬼畜騎士とか死神とか呼ばれていたのに」
「何かお互いに通じるものがあったのかもしれんな」
噂話は絶えないが舞踏会の喧噪の中、主役の二人は二人だけの世界で睦み合っていた。
「おい、大丈夫か?」
「何とか。でも、もう足に力が入らないかも」
「もうちょっと頑張れ。王太子の挨拶が済んだら退出できる」
「うん。頑張る。あなたの方は?」
「このくらいなら平気だ。誰かと話さない限りは抑えられる」
お互いに微笑みを浮かべて見つめ合ったまま場違いなセリフを交わすアーサーとフラウレン。
傍目には熱烈な愛の抱擁に見える二人の距離は、実のところお互いに支え合って何とか立っているのが実情だ。
「それにしてもクソッ。周り中からの視線が痛すぎる。片っ端から殺してやりたい」
「我慢して。ちょっとでも隙を見せたら」
「ああ、判っている。君の方こそ大丈夫か?」
「何とか。でも震えが止まらないの。誰かに話しかけられたりしたらその場で気絶しそう」
「その時はトンズラしよう」
二人は耐えていた。
お互いの存在だけを心の支えとして。
前世で社畜だったアーサーはストレスを溜め込んで妻や子供にDVを繰り返し、とうとう刺されて死んだ。
前世で引きこもりのニートだったフラウレンは対人恐怖症を併発し、親兄弟や親戚とも連絡を絶って孤独死した。
転生したら貴族だった。
絶望した。
結婚して子供を作り、貴族としての取り繕った生活が死ぬまで続く令息そして当主。
結婚して嫡子を産み、社交界で泳ぎ続けることが求められる令嬢そして令夫人。
絶対に無理だと思った。
「あなただけが頼りよ」
「ああ。僕だって君がいないと」
巡り会えたのは奇跡だった。
人間としてどうしようもない欠陥を抱えた二人だが、割れ鍋に綴じ蓋ではないがぴったりと合った。
結婚こそが唯一の正解だ。
アーサーは伯爵位を継ぎながら遊撃騎士団の長としてほとんど領地に帰らず社交もせずに思う存分、自らの暴力性を発揮出来る環境を手に入れられる。
フラウレンは領地経営を建前に社交界からほぼ手を引き、屋敷の奥底で側近に指示するだけの生活を続けられる。
アーサーは前世ではDV男だったが仕事は出来た。そして家族と滅多に顔を合わせなければDVに走る事もない。その分の暴力性は仕事で発散すればいい。
フラウレンは前世では引きこもりのニートだったがネットを通じてお金儲けは上手かった。対人恐怖症でも執事や側近以外とは顔を合わせないことで領地経営は可能だ。それどころか知識チートを小出しにすることで発展さえさせている。
「そろそろ跡継ぎを、という声が出ているわ」
「こっちにもだ。勝手言いやがって」
「私、無理」
「大丈夫だ。もう養子の選定にかかっている。君は関わらなくて良い」
「あなたと結婚して良かった」
「俺もだ。もっとかまってとか家族の時間も必要だとか押しつけてくる女房だったらDVに走る自信がある」
夫婦は滅多に顔を合わせないし、アーサーが領地の屋敷に戻っているときもほぼ没交渉だ。
もちろん床を共になどしていない。
フラウレンの対人恐怖症は夫に対しても発揮される。
「そろそろ帰らない?」
「そうだな。王太子の挨拶はまだか」
「離れないでね。知らない人たちよりあなたの方がまだマシだから」
「たまにこうやって縋られるのは悪くない。だが」
二人は結婚前に盟約を交わしていた。
社交は最低限、私生活でも極力相手を拘束しないこと。
盟約が反故にされた場合、アーサーは何をするか自分でも判らないしフラウレンは間違いなく自害する。
だが王国貴族である以上、社交から完全に手を引くことは不可能だ。
だから年に数回、王家主催のこういった舞踏会にのみ、身を切る思いで参加する。
「頑張れ」
「うん、頑張る」
傍目にはどこまでも美しく甘く甘美な理想の伯爵夫妻はいつまでも二人だけの世界を展開し、羨望と憧憬の視線を集め続けていた。
現代社会でどうしようもない性格な欠陥人間が中世貴族社会では案外上手くやれてしまうのではないか、という話です。
転生物ですが、悪役令嬢もヒロインも出ないのでヒューマンドラマになりました。