与えられることが正しいとは思わない
目が覚めた。
一瞬どこか分からなかった。
見慣れない天井。
静かすぎる空間。
ふっと息を吐いて。
ゆっくりとおりて、窓の外を眺める。
霧がかっていて、庭が見えない。
庭師のお二人が綺麗に整えてくれていた庭。
……眠れない。
まだ起きるには早すぎる。
みなさん寝てるだろうから音を立てないように、部屋をでる。
……とても静か。
怖いぐらいに。
でもそれが心地いい。
もともと騒がしいのは好きではないし、あの場所もそういう場所じゃなかった。
重たい扉もゆっくり開けて、音を立てないようにするのは少し難しかったけれど、ゆっくりとゆっくりと。
ふう。
少し寒いかな。
上着を用意しておいてよかった。
ふわっと羽織って、庭を歩く。
……この季節の花ばかり。
季節に合わせて花を植え替えるのはかなりの作業量。
これだけ広い庭をお二人で管理しているのは頭が下がる。
私たちもみんなで綺麗にしていたけれど。
ゆっくり歩く。
この時間ならさすがに使用人の皆様は寝てるだろうけれど、仕事によっては起きはじめるのだろうか。
私はこの時間から起きていた。
一通り中を確認しておく。
異常がないかどうか。
あの子達の平穏のために、私がはじめたことだけれど、朝起きるのは気分がいい。体が起きる。
「おはようございます。主様」
突然の声に、弾かれたように振り返った。
「老体ゆえ早く目が覚めてしまうのです」
にっこりと笑って、そこに立っていた。
「カンパニュラさん。おはようございます」
スッと礼をして。
好好爺のような笑みを浮かべている。
老紳士というほうが合うだろうか。
「主様はこの時間にいつも起きておられるのですか?」
「前の場所ではこの時間に起きていたもので」
「早起きなのですね。ここではその必要はありません。といっても目が冷めてしまうものはしかたありませんよね」
ホッホッと笑って、私の前をゆっくりと歩かれた。
「私は年で、この時間には目が覚めるのです。もともと静かな屋敷ですが、より一層静かでしょう? この時間が私はとても好きなのです」
足音一つたてることなく歩いていかれる。
自然と後ろをついて歩いた。
「主様はここをどう思われていますか? といっても昨日の今日なのでどう思うかと問われても難しいかもしれませんが」
とても穏やかで温かい。
笑うことで目が細くなるが、その瞳の奥は、笑っていない。
「今日、私の服を仕立てるというお話でした。主としてこのお屋敷にふさわしくなりたいという心はあります。ですが、身に余るものを手にしたいという心はありません。足るを知る。自分に合ったものを。そう思っています」
正面に向きあう。
「私の言動に問題があった場合、何が正しく、何が間違いなのか。ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「主様」
スッと手に持たれていた、ブランケットをかけてくださって。
「ではまず間違い……というか、注意を」
両手を大きな手が包み込んで。
「上着を羽織られてはいますが、お体が冷えております。季節も季節です。どうかお体を冷やさないようにしてください。上着だけでなく、ひざ掛けなどお持ちください。服を仕立てる際には、その点もお気をつけていただければ。ご体調を崩されず、健やかにお過ごしくださることが何よりでございます。主様には長生きをしていただきたいのです」
……。
「承知しました」
そっと手を外し。
「カンパニュラさんも。ご自愛を」
私よりは温かいけれど、ふるえている手に、私の温度が伝わってほしい。
「おやおや。これはこれは。……主人に心配される家令ではいけませんね」
困ったように眉を下げられて、目が柔らかくなられた。
……はあ。
ちゃんと目が笑ってくださった。
一瞬にして、孫を見るおじい様のように。
私に祖父はいないけれど。
その立場に名前を連ねる方はいただろうけれど、私はその存在を認識していない。だから、話に聞く祖父。見聞きする存在の祖父。それしか知らないけれど。
きっとカンパニュラ様のような方なのだろう。
そう思った。
それなりの年配の方だから、私よりも体を冷やすのはよくないはず。
「部屋に戻ります。一緒に戻りませんか?」
「もちろんです。主様」
私を部屋まで送り届けてくださって。
もう一度ベットに入った。
いつもそうしている。
一人起きて何かしていると、あの子たちに気づかれたくなくて、少し前に起きたことにしていた。
ふう。
することがない。
……。
……どんな服を着たいかを考えるかしら。
季節に合わせたもの。
新しいものが欲しいと思ったことはない。
いつだってあるものを。
それに、主としてお茶会などで着る服。
どんなものがいいのかわからない。想像ができない。
アストさんとランティアさんに好ましいものを見繕っていただこう。
先代の当主がどんな方だったかはまだわからないけれど、皆様の様子からして品のある方で、お屋敷の様子からとても目の良い方だと思う。
家具も内装もどれも時代を問わず長く愛されるものばかり。
使用人の皆様もとても品行方正といった方。このお屋敷で浮いているのは私だけ。
……はあ。考えない。
こんな私をみたらきっと先生はこうおっしゃる。
何が正しいのか、考えなさい。
それができるのだから。
何が正しいのか。
主としてふさわしい服を仕立ててもらうこと。
でも、このお屋敷の資金がわからない。
食事の材料、使用人の皆様の服。
あまり散財をしたくない。
そもそも散財になれていない。
ほしいものが特別ないものだから、わからないけれど、このお屋敷の主にふさわしいもの。
それを選べばきっと正解なんだと思う。
正しくあろう。
正解を選ぼう。
それが私にできることだから。
……とは思ったものの。
「主様にはこの色のものがとても映えると思います」
「形であれば、流行はこういったものですが。……主様には少しやわらかいものが似合うかと」
「こちらであれば、瞳にあうかと」
「布はシルクがよろしいでしょうか。肌ざわりや光沢といったもので選ばれますか?」
「普段お屋敷の中でお召しになるのであれば、こちらが伸縮性があり、丈夫です」
「スカートも丈が長いものがとてもお似合いです。すそはあまり広がらないものがよろしいですね。主様はとても細身でおられますので、重たくなってしまうかもしれませんね」
「小物もそろえましょうか。明日、これらに合わせたもので靴や髪飾り、化粧品なども購入しましょう」
「主様はとても肌が白いですから、顔色がよく見える色がよろしいでしょうか」
「瞳や髪色に合わせるのであれば、あまり赤いと浮いてしまうでしょうか」
アストさんとランティアさんが私に次々と服を着せて。
くるくると私の周りを動き回っている。
……最初に私ではわからないから、お茶会と普段着をそえぞれ二着お願いしたけれど。
「承知いたしました」
その言葉しか繰り返さない仕立て屋さん。
……少しかかっているのかしら。
来られたお店の方の周辺にふわふわと漂っているものがある。
「では、でき次第お持ちいたします」
音もなく、目も合うことなく。
無表情に帰られた。
……ばれないのかしら。
「主様。いかがされましたか」
同じ顔がそれぞれ私を見あげている。
「……聞いてもいいですか?」
「はい。なんなりと」
キレイに声がかさなっている。
「あのお店の方。もしかして何か魔法をかけているのかしら」
「少しです」
「ここの事をあまり覚えていてほしくないので」
「注文を受けたことや、品物の事は覚えています」
「でも私たちのことはうろ覚えです」
「特に主様のことは。誰かわからないようにしています」
「それはどうして?」
交互に二人が答えてくださった。
「主様は特別なので」
「主様は魔法使いですので」
「あのような方たちの記憶に残るなどいらぬことです」
……。
そう答えた目は、とてもまっすぐで。
とてもゆがんでいる。
私の事が記憶に残ってはいけない?
「小物については必要があれば購入しましょう」
「すべて必要なものです」
「ナズナ様から許可を得ています」
「主様の身の回りに必要なものは全て私たちに任せられています」
とても自慢げに、誇らしげに。
「……わかりました。お願いいたします」
「はい!」
元気のいい二人の声がそろって。
「ただ、あまり散財にならないようにお願いします。このようなことを言うのはよくないのかもしれませんが、このお屋敷の資金を私はまだちゃんと理解できていません。皆様へのお給金もあるでしょうし、お屋敷の維持費もあります。使えるものがあるのであれば、買う必要はないです」
「承知いたしました。ところでお屋敷の内装なども主様のお好みにとナズナ様が」
「必要ありません。このお屋敷の状態が私は好きです」
「では茶器などはいかがしましょうか。主様を示す場所にございます。主様らしいものを」
「まず、このお屋敷にある茶器を確認させてください。そのうえで、買い替えるべきものを精査いたします」
「……わかりました」
不服そうだけれど、本心だから。
流行のもので、かわいらしく、華やかに、鮮やかにというのもできるのだろうけれど、それは似合わない。
この場所は古き良きものが一番あう。
不用意にものを増やすのはあまり好まない。朝、ナズナさんが淹れてくださった紅茶の茶器も夕食の時の食器も。どれも買い替える必要はなさそうだったけれど。
それに。
……とても懐かしい。
そう感じているから。
私の好みにしていいと言われても、だからといってこの今ある形を全く変えてしまうのは正しくない。
好きに買い与えられるのも正しくない。
主だからといって、皆様から頂くばかりではいけない。
与えてくれるからとそれに甘えるのは間違い。
……と思う。
それに、彼らとの関係はそういったものではないはず。
彼らにそんな関係を求めるの正しくない。
「主様があまりものを求められないとメイドの二人が申しておりました」
ナズナさんが少し困った風に笑っておられる。
「もともと物欲がないもので……。それにこんなにも素晴らしい茶器があるのです。もったいない」
並べてもらった食器類はどれも一級品。
右にあるのは百年前に製作された茶器。
左にあるのは五年間に製作され、現在流行の最先端とされているもの。
年代も色合いも幅広く。
「ではお茶会に必要なものがこちらの一覧になりますので、それらと照らし合わせていきましょう」
……お茶会に必要なものとして。私用できるものとして。
仕訳けて。
「では、こちらは箱にしまいまして、これらのものをいつでも使用できるようにしておきます」
ふわっと笑って。
丁寧に触れられる手。
茶器への想いが伝わってくる。
……うん。やっぱり捨てるなどできない。