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8 偏見と親切~2~

 店に戻り、鍵を開ける。鞄から鍵を取り出している時も、鍵を鍵穴に差し込んで回している時も、常に視線を感じる。なんだか気まずい。


「上着とカバンはそこのカゴに入れておいてください」


 騎士さまに持ってもらっていた泥だらけの上着と汚れたカバン。持って入るのは気が引ける。


 店に入るなり、騎士さまはぶっきらぼうに言い放った。


「消毒液、持って来い」


 横柄な態度に文句を言うのも面倒くさい。素直に店の奥の居住スペースから消毒液などが入った救急セットを取って戻ると、騎士さまは接客用の椅子に座るように私を促した。


「普通に歩けていたし、骨折はしてないだろ。とりあえず肩見せろ」


 今日の服はずらすだけで肩を出せるほどの襟元の余裕はないが、幸いなことにワンピースではない。黙って上半身だけ服を脱ぎ、胸の前で抱え込む。騎士さまは傷の治療をしようとしてくれているだけだし、今時は女性の騎士も多いと聞く。私の下着姿を見たところで何ともないだろう。


 まじまじと傷を観察しながらそっと肩の関節を動かさせた騎士さまは、自分が痛みを感じているかのように顔を歪めた。


「折れてはないが、アザになってるな」


 肩の広範囲に広がるアザを眺める。

 まあ、こんなものかな。結構力いっぱい蹴られたし。そこそこ痛かった。


 騎士さまの視線が脚に移動したのを感じて、スカートをまくり上げる。本来素足を異性に見せるのははしたないことではあるが、自分で治療するよりも騎士さまに見てもらった方がいいだろう。傷を負う機会が多い騎士さまの方が知識は豊富そうだ。


「おいあんた。自分の性別を分かってるのか?」


 顔を背けた騎士さまがぼやく。魔女でも一応女性として扱ってくれるらしい。

 けれど、道のど真ん中で服を脱がせようとした人に言われたくはない。


 渋々視線を戻した騎士さまは、ため息をついた。


「膝と手のひら、水で洗ってこい。他に血が出ているところがあればそこもだ」


 膝に目をやる。スカート越しだったからか砂や石はついていないが、確かに洗うべきかもしれない。


 さっき脱いだ服を着直して、いつもは紅茶をいれているキッチンで、手を洗う。これ、膝はどうやって洗おう。

 騎士さまの様子をちらりとうかがうと、こちらに背を向けている。気がきく人ね。紳士的。うーん、騎士的?


 騎士さまが見ていないのをいいことに、大胆に台に乗り上げて膝を蛇口に近づける。ぎりぎり届かない。身長がもう少し高ければよかったのに。ううん、脚が長ければよかったのに? そもそも怪我をしなければ……。


 悶々と考えながら、つま先立ちになった時。


「うわっ」


 バランスを崩して、ガタガタと大きな音を立てて前に倒れ込んだ。シンクの中に膝がつく。両手は背のびをするために台に付いているし、体重がかかりすぎて前に手をつけそうにない。シンクの中についた膝と両手を突っ張り、反対の脚で少しでもバランスを取ろうとピンと伸ばす。一瞬バランスが保たれたと思ったが、すぐに前に倒れ始めた。無理、これは顔から着地する……!


「危ない!」


 私の顔面が壁やシンクに激突することはなかった。腹部に回された太い腕に支えられて、傾いていた体が引き戻されて足が床についた。


「怪我はないか?」


 首を横に振る。元々流血していた膝と手のひらが、体重がかかったのと擦れたのとで少し痛むくらいだ。


「まったく、手で水をすくってかけるとか、方法はいろいろあるだろ。なんでまた怪我を増やそうとしてるんだよ」


 低い声で言われて縮こまる。全くもってその通りだ。誰かに怒られるのは久しぶりで、おずおずと口を動かした。


「ごめんなさい」

「ああ、反省してろ。ったく、任せておけない」


 騎士さまが、出しっぱなしになっていた水を大きな手ですくって膝を洗ってくれる。口調は荒いが手つきが優しい。


「ほら、反対も」


 低い声で耳元で囁かれてビクッとする。なんとか動揺を隠して足を入れ替えた。

 ようやく今の状況を自覚した。男性に腰を支えられて、素足をさらして、膝に触れられているのだ。こんな状況は初めてだ。

 まあ、騎士さまは洗ってくれているだけだけど。


 そのまま騎士さまの誘導に従って、傷の周囲を消毒して包帯を巻いてもらう。その間も騎士さまの大きな手を見ては動揺して、視線を逸らそうとした先で整った顔を見て動揺してと密かに繰り返していた。動揺が顔には出ていなかったと思いたい。恥ずかしい。


「これでよし」


 満足げな騎士さまの言葉で、そそくさとスカートを戻す。


「ありがとうございました、騎士さま。何かお礼をさせてください」

「礼? 礼はいらない。俺は騎士として当然のことをしたまでで……」


 騎士さまは目をグルンと動かした。心なしか顔が赤い。


「騎士さま?」

「あ、ああ……」


 様子のおかしい騎士さまに首を傾げると、騎士さまは口をもごもごと動かした。


「いや、あれだ。敬語を忘れていた。あれも一般市民への騎士としての礼儀の一つなんだが。それに、まだ名乗ってなかったか」


 敬語は別に気にしないが、名前は確かに名乗られていない。頷くと、騎士さまは姿勢を正した。


「私はカイルと申します。先ほどまでの失礼な態度、誠に申し訳ありませんでした」

「うわあ……」


 綺麗な顔の騎士さまによる丁寧な態度。非常にかっこいい。かっこいいのだが。

 先ほどまでの口調や態度を知ってしまったら、どうしても違和感が拭えない。


 顔をひくつかせていると、騎士さま改めカイル様は正していた姿勢を崩した。


「いや、もう遅いな。さっきのままでもかまわないか?」

「ぜひそれでお願いします」


 ぶんぶんと首を縦に振ると、カイル様は苦笑した。

 その時、急に雨が降り出した。窓の外の水音にカイル様はやれやれと肩をすくめた。湿った雨の匂いがわずかにただよう。


「あのう。お礼は必要ないとおっしゃいましたが、お急ぎでなければ雨宿りをして行ってください」


 私の申し出に、カイル様は眉尻を下げた。


「そうだな」


 カイル様の返事に高揚する。

 もう少し、カイル様と時間を過ごしてみたかった。好きとか、恋人になりたいとか、そんな感情ではない。街で絡まれるような「魔女」が騎士に対してそんな感情を抱けるわけがない。抱いてはいけない。

 ただ、代わり映えのない日々に少し刺激が欲しくなっただけだ。

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