7 偏見と親切~1~
今日はお客さまが来ない気がする。
いつもよりも冷え込んで、太陽も分厚い雲の向こうに姿を隠している。窓から通りを見てみても、人通りはない。時間もそろそろティータイムだ。
今更記憶の魔法に頼りに来る人は滅多にいないだろう。
よしっと立ち上がり、上着を羽織る。久々に新しい服でも買いに行こう。食べ物以外を買いに行くのはいつぶりだろうか。たいていは大量に買い込んでストックしてしまうからな。
上着の袖をちらりと見る。この上着は何年前に買ったのだったか。ずいぶん昔から着ている気がするが、冬場は毎日家の中でも着ているから……。
日常生活で汚れるたびに洗濯して、すっかり擦り切れている袖の先は見なかったことにして、店を出た。節約しないといけないのに、上着まで買うわけにはいかない。高いんだもん、上着。これから汗をかく夏が来るから薄手の服が欲しいし、下着はどうしても消耗しちゃうし、そっちが優先よ。上着は……。まだまだ着れるね。また来年!
毎年のように同じことを考えて買い換えていないから擦り切れるのだが、先立つものがないのだから仕方がない。
財布を小さなカバンに入れて店の外に出て、少し大通りまで歩いてみても、やはり人は少なかった。露店も、いつもよりかなり数が少ない。
古着を売っていそうな露店をチラチラとのぞきながら歩く。袖の擦り切れた上着を着た客に、店主は胡乱な目を向けてくる。
今日は男物の古着が多く、なかなか女物は見当たらない。やっぱり、客足なんか気にせず天気の良い日に休業すべきかな。でも、お客さまがいないとそれこそ収入が……。
諦めきれずに、少し遠くの方まで足を伸ばそうかと考えつつ、最低限必要な下着を買うべくいつもの店の方に足を向けた、その時だった。
「うわ、あいつ魔女だぜ」
前から歩いて来た若い男の集団の中の一人に指差されて足が止まる。思わず後ずさるも、あっという間に取り囲まれた。
「古臭い服着てんじゃん、気持ち悪っ」
「身だしなみを整えるって概念は魔女にはねえんだよ」
「そうだよ、気持ち悪いとか言うなよ、可哀想じゃん?」
若く、いくつか歳上であろう男たちは身長が高く、壁のように感じる。露店の店主たちが割って入ってくれないかとも思うが、その気配はなかった。今日は男性が多い。記憶の魔法に頼った経験があるのは女性がほとんどだから、味方はいなかった。
「そもそも、なんでいつまでも住み着いてんだよ。良い加減どこかに引っ越せよ」
「確かに。魔女がいて何も良いことないよな」
「魔女なんてロクなやついねえよ。問題起こしまくりじゃね? どうして追い出されないんだ」
「昔から都合の悪い記憶は片っ端から消してんだよ、どうせ」
「なるほどな!」
そんなことを嘲るように笑いながら話す彼らは、一言ごとに私を突き飛ばした。よろけても腕を掴んで引っ張り上げられて、また押されて、また転んで。
さっきまで手に持っていたカバンは、転んで手を地面についた時に離してしまった。
彼らは財布が入ったカバンには目もくれない。
細々と王都の端で店を出しているだけだし、問題なんて起こしてないし、記憶を消してごまかして住み続けているなんてこと、私も祖母もしていない。私はともかく、尊敬する祖母が貶されたことに怒りが湧きながらも、黙って突き飛ばされ続ける。
言い返した方が酷い目に遭うことは、これまでの経験で痛いほど知っている。
早く飽きてくれますようにと祈りながら、奥歯を噛み締めた。
「おい、何してる!」
遠くから声がして、誰かが駆け寄ってくる気配を感じる。
「やべ、騎士だ」
「早く逃げるぞ」
「チッ、捕まったらお前のせいだからな!」
男たちは一斉に逃げ出した。乱暴に離されて崩れ落ちる。最初に私を指差した男は、最後に舌打ちをして思いっきり私の左肩を蹴り飛ばして走り去った。
うっ、最後のが一番効いたな……。
肩をさすりながら上体を起こすと、「大丈夫か!」とさっきの人が支えてくれた。
「魔女さん、怪我は?」
男性で私が魔女だと知っているのに、心配してくれるなんて珍しいなぁと顔を上げると、男性は先日ベラさんと一緒に来た騎士さまだった。あの人は違って騎士服を着ている。あまりもう会いたくないと思っていたけど、助けてもらうことになるなんて思ってもみなかった。
「あ、騎士さま」
「あ、騎士さまじゃねえ! 早く見せろ。骨が折れてるかも知れねえだろ」
「ちょ、ちょっと!」
道の真ん中で服をめくろうとする騎士さまを慌てて制止する。
「こんな場所で肌を出したくありません!」
騎士さまは目をぱちくりとさせて、顔を真っ赤にして飛び退いた。
「わ、悪い!」
あわあわと口を動かす騎士さまの眉は、上がったり下がったり、寄ったり離れたりと忙しい。
相変わらずの眉毛にくすりと笑いながら、いつの間にか脱げてしまっていた上着を指先でつまみ上げる。男たちに踏まれたのか、上着はすっかり泥だらけになっていた。
「どこなら落ち着いて怪我の状態を見られるんだ?」
遠くに転がっていた私のカバンを拾って来てくれた騎士さまに聞かれて、うーんと首を傾げる。
「私の店、ですかね」
「分かった」
騎士さまは、自然な動作で私の泥だらけの上着を奪って腕にかけた。
「騎士さまの服が汚れます!」
「服は汚れるもんだろ。洗えばいい」
ぶっきらぼうな返事だけを残して、私のカバンと上着を持った騎士さまはさっさと歩き出した。
私の荷物を全部他人に持たせて自分は何も持っていないというのは、気まずい。
「荷物くらい自分で持てますから!」
長い脚で歩く騎士さまに駆け足で追いついて主張する。騎士さまは歩くのが早く、大股で必死に早く歩いても置いていかれそうになって、小走りになった。
「怪我人だろ」
騎士さまは足を止めてこちらを向いた。ついっと向けられた青い瞳に目を奪われる。
さすが騎士さま、魔女にだって親切なんだな。
黙って歩き始めた騎士さまに合わせて、私も足を動かした。
少しして、小走りにならなくても騎士さまについていけることに気がついた。