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23 退屈な日常

 戦争が始まった。


 とは言っても、あくまでも国境付近で争っているだけで、王都にはまだ影響は出ていなかった。

 ただ、やはり戦争の長期化を見据えて節約志向になったのか、生きていくのに必須ではない記憶の魔法に頼る人はほとんどいなくなり、私は貯金を崩して生活していた。


 誰も訪れない店内を、隅から隅まで掃除する。掃除をしていれば何もかも忘れて真っ白でいられた。幸いなことに、窓の桟や家具の裏側など、掃除するところはまだまだたくさんある。


 風がドアを撫でて音を立てるたびに、思わず振り返った。無事に戦争から帰って来た彼がいる気がして。もちろんそんなはずもなく、反射的に振り返ってしまう自分が辛かった。


 チリン、と遠慮がちにドアベルが鳴った。

 どうせ聞き間違いに決まっている。そう思って振り返らずにいると、遠慮がちな声が聞こえた。


「……ティアさん? 大丈夫?」


 カゴいっぱいのパンを抱えたイーサンが、心配そうにこちらを伺っていた。


 最近は全くいれる機会がなかったハーブティーを久々に用意して、二人でテーブルについた。


「あの男、最近は来ないんだね」


 イーサンに問われて、目を伏せた。カイルさんの笑顔が脳裏にチラついた。


「ティアさん、あいつのこと好きだったでしょ」


 顔をあげると、イーサンは口を横に固く引き結んでいた。

 何かを決意しているような、緊張しているような、そんな表情だった。


「前は言わなかったけど、今日は言うよ」


 真っ直ぐに見つめられて、落ち着かなくて目を逸らした。言いたいことは私でもさすがに想像がついた。


「ティアさん、好きだ。ぼくの恋人になってくれませんか」


 ほおが熱くなる。真っ直ぐに気持ちをぶつけられたのは初めてではないだろうか。私なんかを好きになってくれたことが嬉しかった。


「ティアさんが弱っているところにつけ込んで、卑怯だとは思ってる。でも、なりふりかまってたらティアさんは振り向いてくれないと思うから」


 言葉を重ねられて、そわそわとしてしまう。こんな風に言われるのは慣れていなくて、むずがゆかった。

 心のどこかで、平民のイーサンと恋人になって結婚すれば、魔女であっても幸せになれるだろうとささやく声が聞こえる気がした。愛されて、望まれているなら、その想いに応えた方が幸せになれるのではないかと。

 カイルさんのことをいつまでも想っていたところで、その想いに何の意味があるのか。


「返事は、試しに何度か食事に行ってからでもかまわないから。どうか頷いてくれないかな」


 切実な瞳で見つめられる。イーサンは良い人だ。幼い頃から私のことを知っていて、いつも話しかけてくれる貴重な男性。実りのないカイルさんへの想いにいつまでも固執するよりも、イーサンを好きになれるように努力した方がいいのだろう。


「お願いだよ、ティア」


 イーサンに初めて呼び捨てをされて、心が違和感を訴えた。私はもう、「ティア」という響きにカイルさんの声を当てはめてしまっている。


「……ごめんなさい、イーサン。私はカイルさんを忘れられないの」


 涙を堪えて首を横に振ると、イーサンはため息をついて切なげに微笑んだ。


「分かったよ。そうじゃないかと思ってた。ダメ元で、当たって砕けろの精神だったからさ、気にしないでよ」


 イーサンは紅茶を飲み干すと、立ち上がった。


「ありがとう、おいしかったよ」


 店を去ろうとするイーサンを見送るために立ち上がった私に、イーサンは微笑んだ。


「これだけは忘れないで。ティアさんは魅力的な人だ。魔女ってだけで大変なことは多いと思うけど、自信を持って」


 これからも友だちとしてよろしくね。そう言って、イーサンは店を出てドアを優しく閉めた。

 その瞬間、ドアの外から小さな泣き声が聞こえてきて、私の目からも涙があふれた。


 こんなにも優しくて、思いやりがあって、私なんかを好きでいてくれる人の想いに応えられないなんて。さっさと気持ちを切り替えてイーサンのことを好きになれたら、どんなに良かったか。

 恋心の制御方法が分からない。カイルさんのことを忘れられたらいいのに。


 クローゼットの中に封印された、カイルさんに買ってもらった服を見て、さらに涙をこぼした。

 二度と会えないとしても、あなたが無事でありますように。

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