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2 ティアの日常

「あ、ハムがない」


 昼食にサンドウィッチでも作って食べようかと思ったのだが。


 少し悩んで、今から買いに行くことにした。今日は依頼予約が入っていない。予約せずに来るお客さんもいるが、まあ大丈夫だろう。


 店の扉に外出中と書いた木の札を下げて、バスケットを持って買い物に出た。私の店は王都の端の方にある。少し歩き回ればどんな物でも揃えられるところは便利だ。


「あら、ティアちゃんじゃないの。りんごはいかが?」


 立ち並ぶ露店の商品ををきょろきょろと見ながら歩いていると、果物を売っているおばさんに話しかけられた。

 おばさんは……。昔祖母が店に立っていた頃に依頼を受けたのだったか。

 いつも元気で明るいおばさんは、それ以来記憶の魔法に頼りに店を訪れたことはない。でも当時まだ幼かった私のことも覚えてくれていたようで、こうして見かけた時は声をかけてくれるのだ。

 心配してくれるのはありがたいが、話が長いから少し苦手だ。


「今日はハムを買おうと思って。ありがとう」


 果物は高い。収入の少ない私にとって、果物はぜいたくな品物だ。お金を節約する上で気軽に買えるものではない。


「ティアちゃん、果物を食べないと風邪ひくよ。節約もいいことだけど、まずは依頼料を上げたらどうだい」


 おばさんはわざわざ店から出てきて私の肩を掴んだ。

 ああ、捕まっちゃった。ついっと目をそらした。


「あんた、いつもパンとハムばっかり抱えてるじゃない。野菜も果物も食べないと、風邪はひくわ、お肌のつやはどこかに行ってしまうわで大変だよ。年頃の女の子だってのに、まったく」


「ありがとう。でも、お金節約しなきゃ」


 顔を横に振ると、フンッと鼻を鳴らされて首をすくめた。

 家は祖母が買った店の2階部分に住んでいるからお金はかからないが、生活費はそれなりにかかる。王都の税金もある。結晶を保存する小瓶も丈夫な物を選んでいるから、それなりの金額だ。

 これらをすべて依頼料でまかなっているわけだが、記憶の魔法に頼りたくなる状況はそうそう訪れるものではない。広い王都に店を構えているとはいえども、どうしても依頼の件数はあまり多くはないのだ。


「だから、さっきも言ったじゃないか。依頼料を上げろって」

「でも……」


 依頼料を上げたら、まだ稼ぎの少ない若い女の子などは依頼しづらくなってしまうではないか。

 祖母に「記憶の魔法は人助けの魔法だよ」と教えられて育った私としては、依頼料を理由に依頼を諦めてしまうような金額にはしたくなかった。


 やれやれとため息をついたおばさんは、りんごを手に取ると私の持つバスケットにりんごをごろごろと入れた。


「ちょ、ちょっと。おばさん!」

「いいから、持っていきな。代金はいらないよ」

「あ、ありがとう」


 ひらひらと手を振って定位置に戻っていくおばさんに慌ててお礼を告げる。

 3つの真っ赤なりんごが入ったバスケットはずしりと重い。おばさんの思いやりがつまったりんごは、いつもにも増して甘くておいしそうだった。


 重くなったバスケットを下げて肉屋に向かっていると、次々と声をかけられた。


「ティアさん、この前はありがとう!」

「お店に花を飾る予定はないかい?」

「ティアちゃん、元気?」


 会釈を返しながら歩く。声をかけてくれるのは女性が多い。お店の性質上、お客さまは女性が多いからだ。

 祖母が若い頃から店を開いているから、記憶の魔法に頼ったことのある人は多い。消したいと望まれた記憶や感情は消したり癒やしたりしてしまうが、魔法に頼りたいと思って店に来た記憶や明るい気持ちで店を出た記憶は残っているから、皆はこうして話しかけてくれるのだ。


「パンが焼きたてだよ!」


 声が聞こえてきたほうを向いてみれば、焼きたてのパンの香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。


 ふむ、せっかく買い物に出たんだし、今日はパン屋のパンを食べてもいいかもしれない。

 節約のために、ひとつだけ。


 露店と露店の間、パン屋の入り口の前に開けられたスペースに立って呼び込みをしていたパン屋の息子のイーサンが抱えている箱をのぞきこむ。イーサンが抱えているパンは3種類だ。


「どれもおいしそう……。全部買いたい……」


 漏れたひとりごとに、イーサンがくすりと笑った。


 パンとにらめっこして悩んでいるのをイーサンはじっと待ってくれた。彼はお客さまとして来店したことはないが、祖母の代の時に何度か母親に連れられてきていた。祖母と彼の母親が話している間は別室で一緒に遊んでいたので、男の子の中では珍しく私に話しかけてくれる。


「これにする」


 全部買って帰りたいという欲望に必死に抗って、白くてふわふわしたパンだけを指して財布を取り出した。


「りょーかい」


 袋に入れてもらったパンをバスケットに入れる。お礼を言って店を離れようとすると、イーサンに引きとめられた。


「ちょっと待って、あれ、どこに置いたかな」


 ゴソゴソとお店の奥で何かを探すイーサンに首を傾げつつ言われたとおりにじっと待っていると、目の前に少し歪な細長いパンが差し出された。


「あった。これ、もし良かったら食べてみてくれないかな」

「え、大丈夫よ。おまけなんてくれなくても。気持ちだけありがたくもらっておく」


 遠慮すると、イーサンは何か言いたげにもごもごと口を動かした。


「いや、おまけじゃなくて、さ……」


 首を傾げると。イーサンは顔を赤くした。


「じ、実はこれ、ぼくが焼いたパンなんだ」

「へえ! すごいね」


 パンを袋ごと受け取ってまじまじと見つめる。形こそ歪だが、表面の焼き色は食欲をそそり、手に持つとその柔らかさが感じられる。


「ちょっと形は変だけど、はじめて人に渡せるレベルのパンが焼けたって思えたからさ。食べたらティアさんの感想を聞きたいんだ」


 感想か。「おいしかった」以外の感想なんて、思いつくかな。頑張るだけ頑張ってみるか。


「私がイーサンの役に立つような感想を言えるとは思えないけど……。ありがとう、食べてみるね。楽しみ」


 そのパンもバスケットに入れる。さらに重くなったバスケットを片手に、イーサンに手を振って元々の目的である肉屋に向かった。

 その後ハムも無事に調達して、ホクホクしながら店に帰ったのだった。

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