19 不穏の足音~4~
カイルさんが店に来なくなってから、私は毎日寂しさを抱えるようになっていた。カイルさんが来るようになる前は今の状況が普通で、当たり前で、寂しいと思ったことはなかったのに。
私はカイルさんの影響で欲張りになってしまったのかもしれない。
騎士であるカイルさんのためにも、魔女と関わりを持たない方がいい。
そう思って、最初は距離を保とうと思っていたはずなのに、いつの間にかカイルさんを私の心の中の深いところに入れてしまっていた。
「カイルさんが、好き」
誰もいない店でつぶやく。初めて口にした想いは、カイルさんに届くことなく消えて行った。
その時、急にドアが開く音が聞こえて慌てて振り向いた。そこには、以前と同じように濃紺のローブを着たベラさんが立っていた。
「いらっしゃいませ」
「ごきげんよう」
思わずベラさんの後ろにカイルさんを探した。あの時のように護衛の騎士としてついてきていないのだろうかと。
そんな私のことを、ベラさんは唇を横に引き結んで見つめた。
「彼はいないわ」
そう、なのね。
落胆の気持ちを表情に出してしまわないように表情筋を引き締めた。
「お座りください」
椅子を引いて指し示すと、ベラさんは優雅に着席した。
「あなたに頼って良かったわ。今は犬が大好きなの。昔はどうして苦手だったのかしら。理由は分からないけど、感謝しているわ。きっとあなたの魔法のおかげなのでしょうから」
褒められて気分が上がる。カイルさんと出会うきっかけにもなったベラさんのご依頼のことは、私も印象に残っていた。その後ベラさんが無事に幸せな結婚生活を送れているのかはずっと気になっていた。
しかし、ベラさんの次の言葉を聞いた瞬間、私は思わず息を止めた。
「でもね、あなたに依頼したことを後悔しているのよ。特に、彼とあなたを出会わせてしまったことをね。私が犬を克服したいから手っ取り早く魔法で解決したいだなんていうわがままのせいで」
ベラさんは、表情を硬くした私を無表情に眺めて言葉を続けた。
「嫁いでみれば、優しい方々だった。犬が嫌いだと言っても許してくれたのではないかと思うほどにね。そもそも、なぜ犬が苦手だったのかは魔法のせいで忘れてしまったけど、あなたに頼らず自力で解決することもできたのではないかしら。あんなにかわいいのだから、覚悟を決めて関わってみればすぐにわかったはずだわ」
どうして後悔しているのか、聞きたいけれど声が出ない。どうして。まさか、危惧していたことがおこってしまったの?
「今さら後悔してもしかたがないわね。私が浅はかだったから、彼を巻き込んでしまった」
紅茶を飲みながら、ベラさんは低い声を発した。
「今日はね、彼ではない騎士を護衛として連れてきたの。でも、少し離れた場所で待たせているわ。彼のようになっては申し訳ないから」
顔から血がサーっと引いていく気がした。「彼のようになる」って、どういうこと? カイルさんに何があったの?
「彼はね、宣戦布告を受けてからも王都で貴族の護衛を担当している部隊に配属されていたのよ。私だけではなくて、日によって護衛対象は変わるのだけどね。知っていたかしら」
曖昧に首を縦に振る。口の中が渇いて仕方がなかった。「配属されていた」って、どうして過去形なの?
「来月から配属が変わることになったわ。隣国との国境を守っている、辺境伯領にある砦にね。この意味が分かる?」
私の周りから空気が消えてしまったようだった。息をしているはずなのに、いくら吸っても息苦しさが変わらない。冷たいベラさんの声も、ベラさんが話す内容も、私の心にザクザクと突き刺さった。
「分かったようね。そう、戦争の最前線よ。いつ死ぬか分からない地。王都で貴族の護衛をすることが許されるような実力と人柄の持ち主であった彼が急にそんな場所に送られることになるなんて。その理由は明らかだわ」
何も考えられない。ベラさんの言葉だけが私の頭の中を渦巻いた。嫌だ。そんなわけない。嘘よ。信じられない。
「魔女と関わりを持っていたからよ。しかも、友人どころか恋人であるかのような距離感でね。そんな騎士はいつ貴族に危害を加えるか分からない。そう判断されたから異動になったの。実力はあるから、きっと隣国との戦争で活躍するに違いないってね。たとえ死んでも構わないし」
太ももの上で両手を握りしめて、ベラさんの告げる私の罪を受け止めた。
私が調子に乗ったせいで。カイルさんとの時間が心地よくて深く関わりを持ってしまったせいで。
「これからは、たとえ人の役に立っていたとしても、あなたが魔女であり貴族に疎まれる存在であることを忘れずにいてくれることを望むわ」
ベラさんは紅茶代だとして何枚かのお札をテーブルの上に置いて立ち上がった。見送りのために席を立ってドアを開けなければいけないのに、私の頭は何も考えられず、足にも力が入らなかった。
自らドアノブに手をかけたベラさんは、忌々しそうに吐き捨てた。
「あなたに与えられた教訓は、カイルという一人の騎士の命も地位も犠牲にして得られたものだということを、一生忘れないで。あなたもカイルと仲を深めていたのかもしれないけど、私だって。私だって、昔からずっと外出する時は一緒にいてくれた優しい方で、大好きだったのだもの」
店に再び静けさが戻る。
渇いた口を濡らしたくてカップに伸ばした指は震えていて、うまくカップを持ち上げられずに紅茶をこぼした。テーブルに広がる紅茶の水たまりを見ていても、拭き取る気力すら湧かない。
いつかこんなことになるかもしれないって、分かっていたのに。
ずっと、離れなきゃって思っていたのに。
騎士と魔女という立場をわきまえようと思っていたのに。
カイルさんに恋する気持ちが、理性を吹き飛ばしてしまった。
少しくらい大丈夫だろうと、思ってしまった。
私が、カイルさんを好きになってしまったせいで。
私のせいで、カイルさんは死んでしまうの?
記憶の中のカイルさんの明るい笑顔が歪む。血を流して倒れ、動かなくなるカイルさんの姿を想像して吐きそうになった。




