17 不穏の足音~2~
いつものように「よっ!」と言いながら店に入ってきたカイルさんに、私は洗いかけの食器を泡だらけのまま放置して駆け寄った。
「カイルさん!」
「なんだ?」
私の勢いに少し驚きつつも優しく聞いてくれたカイルさんに、挨拶もそっちのけで質問する。
「戦争が、始まるんですか?」
途端、カイルさんの笑顔がすうっと消えた。その変化に息を呑む。カイルさんの返答は聞かなくても分かった。
「ああ」
カイルさんの声が、いつもよりもさらに低くて鋭い。様々な感情が内包されているようで、私は唇を噛み締めた。
「だから、しばらくここに顔を出せなくなるかもしれない」
声が出なくなった。何も言葉が思い浮かばないのに、何かを言いたくて口をはくはくと動かした。
来れなくなるって、どういうこと?
まさか。
「戦争に、行くんですか?」
「……分からない」
「分からないって、どういうことですか!」
涙が浮かび、景色が歪む。
戦争。実際に体験したことはないが、想像くらいできる。多くの人の命が簡単に失われるのだと。
カイルさんが死んでしまうなんて、二度と会えないなんて、そんなのは嫌だ。
カイルさんの服の裾に手を伸ばし、握りしめる。今は触れられるほど近くにいるのに、手が届かないところに行ってしまうとしたら。
「当面は王都に集まっている王族や貴族の護衛の部隊に配属されることになった。最前線には行かない」
「本当ですか?」
「ああ」
最前線ではない。とりあえず、喜んでもいいのだろうか。戦況が悪化すればいずれ命の危険に晒されるのだろうけど。
「だから、戦争が終わるまでは会いに来れないと思ってくれ。今日が最後だ」
今日が最後。
頬を伝う涙が止められない。
「ほら、泣かないで。前に敬語もさん付けもやめろって言っただろ。戦争に行く騎士のために、そのくらいしてくれるよな?」
カイルさんの大きな手が頬に添えられて、溢れる涙を拭ってくれる。おどけて気分を変えようとしてくれているカイルさんのために、必死で涙を止めた。
「はい、うん、泣かない」
「えらいえらい」
幼い子どもにするように頭を撫でられて、むっとする。泣いてたからって子ども扱い。一人暮らしもしてるし、とっくに成人してるのに。ひどい。
「さん付けはやめませんから。ううん、やめないから」
「はあ?」
カイルさんをツンとにらみつけると、カイルさんは両眉を跳ね上げた。
「戦争が終わってまた会いにきてくれたら、やめてあげる」
ふんっと鼻を鳴らすと、カイルさんは呆気に取られたように口を開けた後、くっくっと笑った。
「かわいいな」
「はい!?」
何をどうしたらそうなるの。
顔がかーっと熱くなり、カイルさんにまたクスッと笑われた時だった。
「……あのお。出直した方がいいでしょうか……?」
ドアから顔を覗かせ、顔を手で覆って指の隙間から見ている女の子に、私は声にならない悲鳴を上げた。
私自身の気持ちを落ち着けるためにも紅茶を用意して、お客さまにもお出しする。一口飲めばハーブの香りが口の中に広がって、ふうっと息をついた。
咳払いをして、お客さまに謝罪する。
「先ほどは大変失礼いたしました。本日はどういった御用でしょうか」
お客さまは、部屋の端に移動させた椅子に座って悠々と紅茶を飲んでいるカイルさんにちらりと視線を送った。
「あの人が噂の助手さんですか?」
「はい。彼にはお話を聞かせたくないようであれば退出させますが」
「……いえ。かまいません」
お客さまは背すじを伸ばした。
「実は、恋人が戦争に行くことに決まったんです」
私は思わずはっと息を呑んだ。視界の端で、カイルさんの紅茶を飲む手がピクリと震えたのが見えた。
「彼に、別れてほしいと言われました」
お客さまは目を伏せた。相手の男性の覚悟とお客さまの悲しみを思うと、胸が痛んだ。
「彼が最後にわがままを聞いてほしいと私に言ったんです。見送りに来てほしい。そして、絶対に泣かないでほしい。最後には私の笑顔を目に焼き付けたいと」
お客さまは静かにはらはらと涙を流した。
「わ、わたし。泣き虫だから。泣かないで済むように、魔法で助けてください」
私は静かに頷いた。
笑顔で見送りたい、見送ってほしい。その気持ちは痛いほど理解できる。
「訓練を受けるために、一時間後には出発するそうです。だから、今すぐお願いします」
「分かりました」
お客さまの手が震えている。そっと手を添えると、お客さまは潤んだ瞳で見上げた。
「お客さま、大丈夫ですか?」
お客さまは首を横に振った。結ばれた髪が左右に揺れる。
「ごめんなさい。いっそのこと、恋心を丸ごと消してください。悲しみを少し癒やしてもらったところで、彼の顔を見たらきっとまた泣いてしまいます」




