16 不穏の足音~1~
ある曇った日、街に出ると新聞売りの少年が「号外!」と叫んで走り回っていた。人々は新聞を片手にけわしい表情で話している。
どうしよう。明らかに雰囲気が異様だ。殺人犯が逃亡中だとか、そういうニュースだろうか。気になるけど、正直新聞を買うお金ももったいない。
「ティアさん」
振り向くとイーサンが立っていて、やはり新聞を持っていた。
「おはよう。良かったらこれ、読む?」
「おはよう。いいの? ありがとう」
イーサンの好意に甘えてありがたく受け取り、見出しに目を通す。大きな字で書かれた『隣国からの宣戦布告』というニュースに息を呑んだ。
「……戦争が、始まるの?」
「そうだと思うよ。よほどの戦況にならない限り、ぼくらのようなただの市民は徴兵されないだろうけど、生活への影響は間違いなく大きいよね」
私たちは、この国はどうなってしまうのだろうか。
もう何十年もこの国は他国との戦争をしていない。戦争の話は祖母から軽く聞いた程度だ。当時は食糧が戦地に送られ、国民の生活は困窮したらしい。
食料など生きていくのに最低限必要な物を買うので精一杯で記憶の魔法に頼る余裕などなく、祖母の店は戦争が始まってからしばらくほとんど依頼がなかったそうだ。
一方で、戦争が終わりに近づくと戦時中のトラウマを消してほしいという内容の依頼が来るようになり、そのお客さまから噂が広がって依頼が殺到したのだとか。魔法により祖母自身の記憶も消えるとはいえ、カウンセリングをしたり消す瞬間にお客さまの記憶を見たりし続けたストレスで精神的に疲弊したと言っていた。
今回も当時のようになってしまうのだろうか。隣国とは国交があり観光客なども訪れるから、まさか宣戦布告されるなんて思ってもみなかった。
「カイルさんなら、何か知ってるかな」
つぶやくと、イーサンは首を傾げた。
「カイルって、誰? お客さん?」
「イーサンは前に会ったよ」
「は、あの時の男かよ」
「ちょっと、失礼よ」
顔を歪めて吐き捨てるように言ったイーサンをたしなめる。普段はそんなことを言わないのにどうしちゃったんだろう。やっぱり、戦争のニュースがストレスなのかな。
「あの男なんかより、ぼくに頼ってくれよ」
イーサンは唇を噛み締めて、すがるような瞳で私を見つめた。
「ティアさんに頼まれたら、ぼくはどんな手を使ってでも必死にティアさんの願いを叶えるよ。戦争の話だって、なんとかして集めてくる」
「どうして……」
いつもとは違うイーサンの態度に動揺する。手に持ったままの新聞が揺れてカサカサと音を立てた。戦争への不安やイーサンの態度への驚きで手が震えているようだった。
その私の手を、イーサンの手が包み込んだ。驚いて手を引っ込めようとしたがイーサンの力は思っていたよりも強くて、そのまま握られた。
「ぼくの気持ち、今は言わない。今のティアさんに言っても、断られて避けられるようになるだけだ。そうだろ? だから、今まで通り友人として接してほしい。この先戦争とかで何か困ったことがあったら、なんでも相談してくれ。絶対に助けるから」
私でもイーサンが何を言いたいのかはさすがに理解できる。付き合いが長いからか、イーサンは私の考えることをよく分かっているようだ。優しさに泣きそうになってぐっと堪えた。
「……ありがとう、イーサン」
ただそれだけを口にした私に、イーサンはニコッと笑った。声が震えているのがバレてしまったのかもしれない。
イーサンに新聞を返してパンを買い、帰宅した。家に着き鍵を開けている最中にぽつりぽつりと雨が降ってきた。
濡れずに家に帰れたことに安堵しつつ、戦争の話を聞いた後だからか不吉な予感に襲われた。
雨の日はどうしても気分が暗くなる。
家と店の中にあるお金を数えてみたが、戦争が始まるかもしれないとなるとやはり心もとない。
「もっと節約、しなきゃ」
ひとりだけの部屋で、声に出して決意を新たにする。雨の音が全てを吸い込んでいる。静かな部屋にぽつりと響いた私の声に急激に寂しさが襲ってきて、テーブルに突っ伏した。
不安が胸の中に渦巻く。戦争が本当に始まってしまったら、どうなるの? 私はどうすればいいの?
なんだか息が苦しい。こんな時にカイルさんがいてくれたらいいのに。
カイルさんの明るい笑顔と低い声を思い浮かべる。そうしていると不安が少し和らぐ気がした。呼吸がふっと楽になる。
早くまた会いに来てくれないかな。
カイルさんが「よっ!」と店のドアを開けて入ってくるところを想像して、深く息を吸った。




